映画監督パク・チャヌク インタビュー「これまでの作品の延長線上に『別れる決心』はある」
作風が異なるといわれる最新作
──第75回カンヌ国際映画祭での監督賞受賞、おめでとうございます。新作『別れる決心』、あまりにも素晴らしいので驚きました。パク・チャヌク監督の映画の中でもとりわけ個性的で、破格の面白さだと思います。
「ありがとうございます。そんなに喜んでいただけてうれしいです(笑)」
──不条理劇のような異色のミステリーにしてラブロマンスですね。すでにリピーターも続出しているそうですが、中毒性の強い作品世界で、確かに何度も味わいたくなります。今回、監督がご自分に課したいちばんの新しいチャレンジは何だったか、教えてください。
「実のところ、今回、観客の皆さんから『ずいぶんロマンティックな映画ですね』などと言われ、これまでのパク・チャヌクの映画とは変わったとおっしゃる方も多いことに驚いています。というのも、私の中では、あくまでもこれまでの作品の延長線上だからです。そんなに大きく変わったかな?というのが、私自身の正直な見解なんですね。もし今までの作品から変わったところがあるとすれば、それは感情表現の仕方においてだと自分では思っています」
──と言いますと?
「過去の私の映画では、登場人物たちは自分の感情をはっきりと、果敢に表現してきました。しかし本作の登場人物は、いつも我慢し、抑制している。自分の感情を率直に表現することを躊躇している点が、過去の私の作品とは違うような気がしています」
──なるほど。パク・チャヌク監督のフィルモグラフィの流れを考えますと、例えば僕は『お嬢さん』(2016年)を観たときに、これはもしかしたら『イノセント・ガーデン』(2013年)のリメイクのようなものではないかと思ったんです。それでいくと今回は『渇き』(2009年・第62回カンヌ国際映画祭審査員賞受賞作)とつながるところがあるように思います。
「はい、確かに」
──『渇き』は、吸血鬼の神父と人間の人妻の奇妙なラブロマンスでもあったわけですが、今回の『別れる決心』の主人公である刑事チャン・ヘジュン(パク・ヘイル)は、『渇き』でソン・ガンホさんが演じたヴァンパイア神父に似た生真面目さを感じさせます。
「そうですね。今回の刑事ヘジュンのキャラクターは、スウェーデンの人気ミステリー小説『刑事マルティン・ベック』シリーズがヒントになっています。『もし刑事マルティン・ベックが、容疑者の女性と恋におちてしまったらどうなるだろう?』というふうに想像しました。これは小説で書かれていないストーリーなので、私の頭の中で勝手に妄想を膨らませた結果が、『別れる決心』の内容へと広がっていったんです。
そしてお話いただいたように、『渇き』と『別れる決心』には似たところがあります。両作の主人公は“善なる職業”である。善意を持って周りの人たちのために尽くしているはずの彼が、ある決定的な出会いにより、本来自分が意図しているものとは違う方向へ、誘われてしまうところが似ているかと思います」
シーンを彩る楽曲について
──その不思議な愛の道行きに、主題歌となる韓国歌謡「霧(アンゲ)」がぴったりハマっています。もともとキム・スヨン監督の1967年の映画『霧』の主題歌ですが、以前からお好きな曲だったとか?
「ええ。『霧』という映画に関しては、実は『別れる決心』の脚本執筆の段階になって初めて観たんです。公開当時、私は小さな子どもでしたので。ただ、そんな幼い子どもですら、主題歌の『霧』は記憶に刻まれていました。それくらいこの曲は大ヒットしたんですね。
今回はまさに『刑事マルティン・ベック』と『霧』がおおもとの着想で、まずこの一曲から映画全体の構想が湧いたんです。霧の街を舞台にした幻想的なラブロマンスというイメージですね。こういうひとつの既成曲をモチーフに、そこから一本の映画が立ち上がったケースは私の場合は初めてでした」
──そういえば、ご著書『パク・チャヌクのモンタージュ』の中で、いつかトム・ウェイツの1992年の名曲「ブラック・ウィングズ(Black Wings)」を自分の映画で使いたいと書かれていましたね。
「トム・ウェイツ! そうなんですよ(笑)。『ブラック・ウィングズ』に関しては、実は『渇き』で使おうとしたんです。ただ、いざ作品に当て嵌めてみると『ちょっと違うな……』と(笑)。ただもちろん今も、私はトム・ウェイツの大ファンですし、いつか『ブラック・ウィングズ』を自分の作品の中で使えることを願っています」
──楽しみにお待ちしております(笑)。さらに今回の映画では、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』(1971年)と同じ、マーラー交響曲第5番第4楽章アダージェットが繰り返し使われますね。
「ああ! できればそこは他の曲にしたかったんですよ(笑)。劇中の物語において、ヒロインのソン・ソレ(タン・ウェイ)の最初の夫が、このマーラーの曲が大好きだった、という設定なんですが、そもそもここでマーラーである必要は特になくて、クラシックの交響曲であればなんでも良かったんです。
ただ、私のファーストインスピレーションとしてパッと浮かんだのがマーラーの第5番だったんですね。でも、どうせ『ベニスに死す』の真似をしたと思われるに決まってると(笑)。そこで他の曲をいろいろ当てはめてみたんですが、どうしても最初のアイデアを超えない。だから、やっぱり本当にこれしかない!と。『別にヴィスコンティだけがこの曲を使っていいと法律で決まっているわけではないんだ!』と決心して、マーラーを堂々と使うことにしました」
──そのマーラーしかり、パク・チャヌク監督の作品は、他の映画へのレファレンスを感じさせつつも、まったく別の個性に昇華されているのが素晴らしいと思います。監督ご本人にこんなことを言うと失礼かもしれませんが、『別れる決心』から僕が連想した映画をお伝えしてもよろしいでしょうか?
「もちろん! お願いします」
『別れる決心』が思い起こさせる映画たち
──まず主人公の刑事の男性が、ひとりの女性(の幻影)を追いかけて、ある種の迷宮状態を彷徨う展開は、アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』(1958年)。ヒロインが山岳事故で夫を亡くし、殺人を疑われるという設定などは、増村保造監督の『妻は告白する』(1961年)。さらに不安定な愛の関係や、不条理劇のムードなどが、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の世界、例えば『情事』(1960年)に通じるかなと思いました。
「いま挙げていただいたものは、すべて私の好きな作品や監督たちです。特にヒッチコック監督の『めまい』との類似に関しては、欧米のジャーナリストの方々からの指摘が多かったです。ただ私自身、そのことはまったく念頭に置いていなかったんですね。むしろ事件の容疑者と刑事が惹かれ合う物語ということで、『氷の微笑』(1992年/監督:ポール・ヴァーホーヴェン)のことは少し考えていました。ただ『めまい』は、私が心からいちばん好きな映画のひとつですし、言うならばヒッチコック作品を通して映画を学んだようなものですので、きっと無意識のうちにヒッチコック映画が私の体の中に染み込んでいるんだと思います。
そして増村保造監督の『妻は告白する』に関してですが、実は最初、この脚本を書いている段階で、おそらくこれは『妻は告白する』に似ていると言われるに違いないと思ったんです(笑)。共同脚本家のチョン・ソギョンさんにも『似てるって言われるよ、どうしよう?』と不安を告白したんですが、彼女から『でも私たち、山で始めて海で終わる話にしようって、もう決めてるじゃないですか。似てるからって変えるつもりですか?』と強く反論されて、そのままで行く覚悟を決めました(笑)。
それに本作のタン・ウェイと、『妻は告白する』の若尾文子さんは、まったく違う強い個性をそれぞれ持つ俳優さんですよね。だからたとえ同じ脚本の映画化だったとしても、まったく異なる雰囲気の映画になるだろうと思います」
俳優タン・ウェイの魅力とは
──確かに。今回、タン・ウェイさんをヒロイン役に起用されたのは、どういった理由からですか?
「彼女がトニー・レオンと共演した『ラスト、コーション』(2007年/監督:アン・リー)の印象が鮮烈だったんですね。私にとって衝撃的な出会いでした。チョン・ソギョンさんも同じように思ったらしいです。韓国映画の『レイトオータム』(2010年/監督:キム・テヨン)に出演されたタン・ウェイさんも素晴らしかったですし、ぜひ彼女と一緒に映画を作りたいと思い、今回ついにその念願が叶ったという次第です」
──タン・ウェイさんが演じることもあり、本作のヒロイン、ソン・ソレは中国人の設定です。彼女は韓国語がまだ苦手で、スマホの音声翻訳アプリを使って話したりもするのも印象的でした。また、言葉=意味のズレというものが、そのまま主人公のふたりの男女の関係性の表象、不均衡で決して同じバランスにはならないことを表わしているようにも思えました。
「音声翻訳アプリを使うというのは、最初からあったアイデアではなかったんですね。むしろデジタルデバイスを使うのがイヤで避けていたんですけども、今の時代を舞台に映画を撮るからには、もう避けることはできないと悟りまして(笑)。じゃあむしろ積極的に、ちゃんと映画的に使おうというふうに思い直しました。そこで思いついたのが、音声翻訳アプリを使ってコミュニケーションするというアイデアです。
音声翻訳アプリを使うことで、男女の関係に動揺が生じるわけですね。刑事と容疑者として出会ったふたり。ひとりは韓国人、もうひとりは在韓の外国人。つまり本来は刑事ヘジュンが優位な立場にいるわけですが、その権力関係に亀裂が入り、支配と服従の構図が傾くことになるわけです。
タン・ウェイさんは相手を服従させるような、あるいは彼女に服従しなければいけないような雰囲気を持っている俳優さんだと思います。それは観客も同じように感じるのではないかと。なので『私が中国語で話す間、あなたたちは黙って聞いていなさい』と(笑)。我々は『はい』と素直に、彼女に従うというわけですね」
へジュンにとっての“決定的な瞬間”
──よくわかります。ところでヘジュンの妻、アン・ジョンアン(イ・ジョンヒョン)は原子力発電所の技術者という設定ですが、そのココロは?
「原子力発電所で働いている責任者というのは、とにかく物事を安全に、万全を期さないといけない。『隙があってはいけない』という考え方を持っているように思います。なので『家庭を守る』といった問題におきましても、そういった性格が出るようになっている。
対して夫のヘジュンはもっと情緒的な考え方をする人物です。言うならば彼は“文系”、妻ジョンアンは“理系”。そして釜山の警察署に勤務する夫は“山”の人、原発のあるイポという海辺の街(映画用に設定された架空の地域)に住む妻は“海”の人。これはソレの亡くなった夫ドスと、ソレにも言える図式ですね」
──なるほど、「山」「海」といったシンボリックな対比のお話、すとんと腑に落ちました。最後にもう一問よろしいでしょうか? 主人公の刑事ヘジュンが何度も目薬をさしますよね。そのタイミングが気になりました。いったい彼はどういったルールで、どの瞬間に目薬をさすのか?
「細かく観ていただきありがとうございます。それは“決定的な瞬間”です。非常に重要なタイミングで、気を引き締めなければならないとき。注意散漫ではいけない、ちゃんと物事を整理して考えなければいけないとき、集中する必要があるときに、彼は目薬をさすのです」
『別れる決心』
男が山頂から転落死した事件を追う刑事ヘジュン(パク・ヘイル)と、被害者の妻ソレ(タン・ウェイ)は捜査中に出会った。取り調べが進む中で、お互いの視線は交差し、それぞれの胸に言葉にならない感情が湧き上がってくる。いつしかヘジュンはソレに惹かれ、彼女もまたヘジュンに特別な想いを抱き始める。やがて捜査の糸口が見つかり、事件は解決したかに思えた。しかし、それは相手への想いと疑惑が渦巻く“愛の迷路”のはじまりだった……。
監督:パク・チャヌク
脚本:チョン・ソギョン、パク・チャヌク
出演/タン・ウェイ、パク・ヘイル、イ・ジョンヒョン、コ・ギョンピョ
2月17日(金)より、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
https://happinet-phantom.com/wakare-movie/
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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Interview & Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito