松下洸平インタビュー「“好き”を追いかけ続けたから たどり着いた現在地」
舞台で培われた確かな演技力を武器に俳優として、さらにはシンガーソングライターとしても活躍する松下洸平。出演するドラマは軒並み話題作になり、2023年も引き続き要注目の松下洸平が昨年出演した音楽劇『夜来香(イエライシャン)ラプソディ』がBlu-ray化されるにあたって、この舞台への意気込みを語ってくれたインタビューを再掲。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2022年4月号掲載)
周りに支えられながら、大きな壁にも対峙してきた
──松下さんは演技はもちろん、絵を描く、曲を作って歌う、楽器を弾く、エッセイを連載するなど、何でもできるイメージです。できないことはないのでは?
「できないことだらけですよね! 皆さんが思っている以上にポンコツです(笑)。まず物忘れがひどい。鍵をすぐ失くす。道を覚えられない。絵を描くのは好きですが、手先が不器用で裁縫もまったくできないし。料理は好きでよく自炊しますが、自慢できるほどのレベルではなくて。どれもこれも好きが高じて続けていることで、逆に中途半端にならないようにと自戒しています。特に仕事として取り組んでいる芝居や音楽はね」
──何を褒められると一番うれしいですか。
「作品です。自分の手で作ったものが認められたり、褒められたりすると、やってよかったなと思います。芝居でも「あのシーン良かったよ!」って言われたらうれしいなぁって。もちろん最終的には僕が台詞をしゃべり演じたものでも、そこには導いてくれる人が必ずいるわけで、決して僕一人だけの表現ではないんですね。音楽もそう。良い曲が書けた、うまく歌えたと思っても、そこに至るまでに一緒に作り上げてくれた人々が必ずいます。その方たちに常に感謝しながらやっていかなければと思っています」
──この人からめちゃくちゃ刺激を受けたという方は?
「褒めてくださる人だけでなく、叱ってくれた人たちにも感謝したいです。当時は悲しくて悔しくてそれどころじゃなかったけれども、僕を成長させるため叱ってくださったから今の自分がいるわけで。演劇の分野でいうと、演出家の森新太郎さん。森さんとご一緒した『TERROR ~テロ~』(2018年)は、ある意味、僕にとっての転機でした。テロリストにハイジャックされた民間機を独断で撃墜した空軍少佐。彼は有罪か否か、観客に投票で決めていただく法廷劇です。僕は被告人である少佐を演じましたが、森さんの演出は厳しかったです。
特に芝居がどういうふうにお客様に見えているのか。目を少し逸らすだけで、その人の動揺がわかるし、体の向きを変えるだけで心の変化が表れる。それらをビシバシ教えていただきました。当時の僕は、役柄としても精神的に追い詰められ、胃に穴が開くような思いで、すっかり戦意喪失。これ以上立ち上がれないというところまで一度打ちのめされてしまったんです」
──それは大変。どうやってモチベーションを保ちましたか。
「もう立っているだけで精一杯。ほんと、どうしていたんだろうなぁ? これって誰かに相談できるものでもないんですよね。代わりに解決してもらうわけにはいかないから。僕が独りで乗り越えなければいけない課題。とにかく毎日稽古場に行くことすら試練で、大きな壁でした。最終的に乗り越えられたかどうかは今もわかりません。それでも、その経験が僕を少し強くしてくれたのは確かです。何より、できない自分が悔しかった。今でも時折、森さんだったらどう言うだろう? 自分の成長した姿を見ていただきたいし、さらにコテンパンにされるだろうなぁと、森さんのことを思う瞬間があります」
音楽劇『夜来香(イエライシャン)ラプソディ』で作曲家・服部良一を演じる
──音楽劇『夜来香ラプソディ』は2017年に出演なさった音楽劇『魔都夜曲』とリンクするとか。
「はい。『魔都夜曲』は上海の共同租界で生きる日本人と上海人、そして政治が絡む複雑な世界観のお話でした。そこで僕は作曲家の服部良一さんの若い頃をモデルにした人物・鳥谷を演じたわけですが。今回は服部良一さんを主人公に、音楽で時代を変えようとした人々とそのパワーを描けたらと思っています」
──松下さんが演じる服部良一さんはどんな方だと思われますか。
「好奇心が旺盛でジャズが大好き。実際にジャズが盛んに演奏されていた上海へ来てみたら、日本での噂とはまったく違う側面もあり、『えらいとこに来てしまった!』と思われたそう。それでもジャズを学びたい一心で突き進む、その行動力には凄まじいものがありました。危険な目にも遭いながら異国の地で音楽に触れ合うことで、後に日本の歌謡界に大きな影響を与えた。前向きな方という印象です。
──性格的にはどんな方だと?
「お孫さんがテレビ局でお仕事されていて、晩年の服部さんは優しくていつも笑顔、陽気なおじいちゃんだったと伺いました。その気さくさや優しいオーラは生まれ持ったものだと思うし、その性格だから激動の時代を生き抜き、素晴らしい音楽を作り続けられたのでしょう。僕も音楽を目指していた時期は怖いもの知らずで、難しいことはさておき、まずはやってみようと。それがすべての原動力でしたから、共感できることが多いです」
──服部良一作の音楽の魅力は?
「当時の上海には一流のプレイヤーがたくさんいて、服部さんはよりジャズの魅力に取り憑かれたんでしょうね。服部さんの言葉をお借りすると中華風、そして日本人による作曲、アメリカのルーツとしてのジャズ音楽。服部さんが作る曲はこの三つが合わさった独自の音楽性を持っています。僕の好きな一曲を挙げるとすると、淡谷のり子さんが歌う『別れのブルース』。僕も同時代に生まれて、下町でこの曲を聴きながら、たそがれたかったなぁって」
──エンターテインメントが制限されているコロナ禍は当時の上海とリンクする部分があります。今だから伝えたいことは?
「自分たちが大事にしているものを優先して考える、このポリシーみたいなものが人間にはとても重要かと。僕にとって大事なものは、演劇や音楽、芝居をすること。もちろん今は我慢すべきことも多いけれども、好きなものがあってよかったなって。それは夢だけでなく、大切な人を守りたいということでもいいと思います。自分の中に何か大きな柱があれば、どんな逆境にも耐えられるでしょうし、たとえポキッと折れたとしても助けてくれる人がいるはず。稽古や本番を通して僕らも『夜来香ラプソディ』に救われるかもしれません。たぶんビッグバンドが入り、シンガーやダンサーも大勢出るでしょう。上海という都市の華やかで妖しげな空気、そこで純粋に音楽を目指した人たちを通して、皆さんに勇気をお届けしたいです」
手放すことなく育んだ、幼少期に見つけた“好き”
──振り返るとどんなお子さんでしたか。真面目? やんちゃ?
「のびのび育ちましたね。やんちゃではなかったです。もちろん自分の人生について悩んだり、迷ったりすることもありました。でも、音楽や絵画などわりと早くから好きなことを見つけられたのはよかったなと。自分はこれらをやっていれば大丈夫という支えになっていたと思います。勉強はできないけど絵がうまいヤツって感じだったかな。外で遊ぶことも大好き。ゲームも今ほど盛んではなく、小学生の頃は川で魚を釣ったりしていました。勉強についてはまったく言われなかったわけじゃないけど、結構自由に暮らしていた気がします」
──オフの日のルーティンは?
「特にないです。何もしなくていいのであれば、ずっと家で寝ていたい(笑)。夢は見ますが、レギュラー化している夢はないかな? 悪夢にうなされることもないし。普段、常に考えながら仕事をしているので、横になって何もしない時間はすごくリセットされます」
──最近ハマっていること、気になることは?
「最近ではないけれど、格闘技を見ることが好きです。僕は昔から誰かと競ったり、誰かを打ち負かしたいという闘争心があまりなくて。自分にないものだから、ボクシングや総合格闘技を見るとテンションが上がる。熱くなるんですよね。小学生の頃、体があまり強くなくて、母親が空手の道場に通わせてくれたんです。だけど組手では1回戦から勝ちあがれたことがない。だから小学校を卒業して、すぐにやめました(笑)」
──競うことは好きではない?
「でもね、順位は大切。数字として出るものに対するこだわりはあります。もちろん数字に囚われたくありませんが、どうしても気になってしまう。自分たちが自信を持ってつくったものに対して、良い結果が出てほしいと思う気持ちは必ずあります」
──現実としっかり対峙なさるんですね。20年後は何をしていたいですか。
「のんびりと暮らしていたいです。葉山あたりにアトリエのある小さな家を建てて、サーフィンをしながら時々お芝居や音楽をする……。でも、実際はどうでしょうね(笑)」
Photos:Masato Moriyama Styling:Tatsuhiko Marumoto Hair & Makeup:Kuboki Interview & Text:Maki Miura Edit:Sayaka Ito