ジジ・グッド インタビュー「ジェンダーもファッションも、自分らしく生きるヒントは“not that serious”」
ロサンゼルス出身のドラァグクイーンとしてNetflix『ル・ポールのドラァグレース』のシーズン12で準優勝した、ジジ・グッド。番組史上最年少出場者として人気を博して以来、ミュージックビデオ出演、ファッションアイコンとしてショーに出席と世界から注目を浴びている。今回、アクネ ストゥデイオス(Acne Studios)の招待で来日した彼女にインタビュー。独自のファッション観、そして昨年、トランス・ノンバイナリーと公表したこと、今の彼女自身について聞いた。
「ただ美しいものを追求する、ファッションはそれが大切だと思う」
──今回の撮影では、アクネ ストゥディオズの2022年秋冬のコレクションを着ていただきましたが、その中で1番気に入ったものは?
「やっぱり、デニムのパッチワークドレスです。シンデレラのようでとても素敵。気楽に着られるものじゃないけれど、実用的な服よりもクリエイティブなものが好きなんです。このデニムのドレスは秋服シーズンのフィナーレを飾ったものですよね」
──ジジさんは、アクネ ストゥディオズの2022年秋冬と、2023年春夏コレクションの2回、ショーをご覧になったんですよね。
「そう。2023年春夏シーズンのショーは、ニットのドレスを着て出席したんですけど、それもとっても素敵だったんですよ。春夏のショーは、音楽やモデルと服の関係性を含めてとっても美しくて、最高の経験になりました」
──ジジさんのクリエーションの中で、アクネ ストゥディオズからインスパイアされたものはありますか?
「私がアクネに注目したのは、高校生のころ。もう何年も前のことですけど、その頃から、レザーやデニム、パッチワークなどの素材遣いやデザインのディテールなど、独自のスタイルとヴィジョンが確立されていました。それを今もずっと維持していることにインスパイアされます。それから、2023年春夏コレクションで一番インスピレーションをくれたのは、青いギンガムのジャケットとブーツのルック。『オズの魔法使い』のドロシーのようで、とても素敵でした」
──ジジさんが準優勝を飾った『ル・ポールのドラァグ・レース』シーズン12では、ファッションにおいてお母さんの影響が大きいと語っていましたが。
「私の母は、ファッション業界に詳しいわけではないんです。もしかしたら、アクネ ストゥデイオスのことも、例えばバレンシアガのことも知らないかもしれません。ただ、私が子供の頃、ハロウィンの衣装や、家族写真用の服を作ってくれたり、私がこの活動を始めてから今までずっと、ステージ衣装を作ってくれているんです。私にとって、母は全世界でいちばんの友達。どれだけ愛しているか、言葉では言い表せないくらいです。母は私のデザインスケッチを見て、それと全く同じものをたった一週間で仕上げてくれるんですよ。そんな人は他に知らないし、私の身体を3Dキャプチャーしたトルソーを持っているので、母が作った服はいつも私にぴったり。私がこうしていられるのは彼女のおかげだし、私が活動することも全て彼女のためなんです」
──素敵です。ジジさんのファッションポリシーは?
「大切なことは“Don’t take it seriously”、深刻に考えないこと。ファッション業界のみなさんは、この産業を深くリサーチしたり、デザインを細かく分析したりしているけれど、ただ美しさを追求することも大切だと思います。私のスタイルは、あるメッセージを表現することもあるけれど、型に捉われずに、ただ本当に美しいと思う服を着ることが多いんです。それから、ファッショに関して大切なことは、まず自分のスタイルを理解すること。そして進化すること。昨日より今日、そして明日の私は進化し続けていると信じているんです。そして、未来は全く違う自分でありたいと願っています」
「楽しみを見つけて、家族や友人を愛すること。自分らしくいられる時間を忘れないで」
──今回の来日は、故ラリー・スタントンとのカプセルコレクションと、それを記念したエキシビションでのイベントでの来日でした。
「ラリー・スタントンは1984年に37歳でエイズで亡くなったのですが、現在、ミラノに所蔵されている彼の作品が、東京でたくさんの人に披露されたことに大きな意味がありますよね。エイズによって多くのクリエイターの命が失われましたが、彼らの作品を展示して、今を生きる人たちに伝えることはとても重要だと思います」
──もし、自分の個性やアイデンティティを見つけるために模索している読者に、アドバイスするとしたら?
「私自身の話をしますね。アメリカにもいろんな街があるけれど、ロサンゼルスに住んでいたのは、とてもラッキーなことでした。ここは、トランスパーソンが自分らしく安全に生きることができる街です。アメリカもそうですけど、地域によっていろんな問題がありますよね。昨晩も、一緒に出かけた友人たちと、名前を変えることがいかに難しいことなのか、ホルモン剤を投与してジェンダーを移行するプロセスの難しさ、そうでなくても、生きているだけでどれだけ大変なことなのかを話したところでした。
まず、外に出て、パブリックな場所で自分を晒すことも怖いことです。自分を受け入れてもらえないかもしれない。歩いているだけで危害を加えられるかもしれない。日が暮れて、自宅に帰って、ドアに鍵をかけて、安全なベッドルームに入ると、それすら奇跡のようで、とても不思議な気持ちになるほど。アイシャドウと口紅、メイクブラシを手にして、鏡に向かう時間は私にとってセラピーのようなものです。
これから時代が変わって、アメリカでもどこの国でも生きやすくなると思うけれど、それまでの間、私からアドバイスするとしたら、自分自身を失わないこと。愛する家族や友達を見つけること。あなたを嘲笑わない人、外見や性別で判断しない人を見つけること。でも、一番大切なことは、自分と自分自身の関係です。楽しめることを見つけて、自分を進化させて。もし必要ならば、状況がよくなるまで、他人の制服を借りて着ているような気持ちでいればいいと思います。今だけはね。息が詰まるなら、ロサンゼルスに遊びに来てください。誰もが自由になれる街だし、両手を広げて歓迎してくれますよ。大事なのは、あなたが自分自身としっかり向き合っていくことです」
──ジジさんは、昨年、トランス・ノンバイナリーと公表されました。トランス・ノンバイナリーについて教えてください。また、それに気付いたきっかけは?
「一般的なことを説明することはできないけど、自分自身のことを話すと、ずっと私は、自分を女性と男性、どちらとも思えなくて、その時によって、その中間だったり、どちらかに偏ったり。『ル・ポールのドラァグレース』に出演しているときは、男性でも女性でもない、ノンバイナリーだと自己認識していたんですが、それからトランス・ノンバイナリーに移行しました。女性的な顔になるための手術を受けて、体内のホルモンバランスを変えるためのステップを踏んでいます。今では、完全なトランス女性として自分を認識しています。でも1年後、男性になったり、さらにその先、また女性になることもあるかもしれません。
難しく考えないでいいんです。父は私のことを理解できずにいたので、私たちは長い間、距離がありました。でも時間が経つにつれて、理解できるかどうかは重要ではなく、お互いを尊重することが大切だと思えるようになりました。私には私の旅があり、父には父の旅がありますからね」
──最後に、Numero.jpの読者に向けて、自分らしくいるために覚えておいてほしいことを教えてください。
「いつも心がけているのは、“It’s just not that serious”、深刻になりすぎないこと。仕事、プライベート、人間関係でも、自分自身に対して、プレッシャーをかけ過ぎてしまうことがあります。でも、みんないつか終わりの日がきて、土に還るんだから、毎日を楽しんで、クリエイティブに生きて、家族や友人を愛してください。働くために生きるんじゃなくて、生きることを目的にただ生きるだけでもいい。仕事が楽しいのは幸せなことだけど、大変なこともたくさんありますよね。睡眠時間がとれないことも、休みの日も働かなくちゃいけないこともあるかもしれない。でも、1日の終わりには素敵な人に囲まれている。私たちは、とても幸運です。それは当たり前のことじゃなくて、なんてラッキーなんだろう!と喜んで。それを忘れないでください」
Photos:kisimari Interview & Text:Miho Matsuda Styling & Edit:Midori Oiwa