マチュー・アマルリック インタビュー「“危険な仕事”だから映画監督は面白い」 | Numero TOKYO
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マチュー・アマルリック インタビュー「“危険な仕事”だから映画監督は面白い」

フランス映画はもちろんのこと、ハリウッド映画にも出演するなど俳優として国際的に活躍し、映画監督としても評価されているマチュー・アマルリック。事前に知らされるあらすじは「家出をした女性の物語、のようだ」という1行のみという最新監督作『彼女のいない部屋』が公開中だ。このたび映画の公開と「イメージフォーラム・フェスティバル 2022」への参加に合わせ、2013年以来9年ぶりに来日。およそ10日間の滞在中に話を聞いた。

映画という媒体で表現をするということ

──『彼女がいない部屋』はクロディーヌ・ガレアの戯曲が元になっていますが、文章で書かれたものを映像に翻訳、変換することはマチューさんにとってどのような作業なのでしょうか?

「映画とはまったく関係のない材料を使って、映画以外の何ものでもないものにどうやって翻訳、変換ができるか。それを探ることにワクワクしている自分に気づきました。その方法はとてもシンプルで、ただ観客の中にいる自分を想像するんです。目を閉じて、自分の中からイメージと音にできる何かを探す。たとえば、どうすれば、お腹が空いた人を撮れるか。言葉で『お腹が空いた』と言うのではなく、サイレント映画のようにどう見せるかというジェスチャーを考えるのが好きで。そこで見つけた手段に自分が惚れ込むことができて、映画の可能性をさらに追求し始めたら、もっとエキサイティングになります」

──この映画の中にも、言葉では言わないけれど、感じられる場面がたくさんあります。

「たとえば、主人公クラリスが夫を恋しいと思うのは、彼のことを思い出した瞬間なんだと思ったら、その手がかりを見つけなければならない。たとえば、クラリスが他の男性の胸に手を置いたときに、夫にも胸に毛があることを思い出すとしたら? というようなことを連想しながらジェスチャーを考えていきます。20年近く同じメンバーで映画づくりをしているので、今回も彼らを驚かせなくちゃという意識にも助けられています。新しいことに挑戦することもあれば、古典に戻ることもある。常に独創的であり続けるって、疲れることですからね(笑)」

──マチューさんは日本映画についても詳しく、たくさんの作品をご覧になっていますよね。

「フランス人はとてもラッキーで、日本映画好きな人も多いからか、映画館で上映される日本の作品が充実していますし、映画監督のレトロスペクティブ上映も多いんです。 また、アンスティチュ・フランセ東京の映画プログラム担当をする、坂本安美さんのおかげで、故・青山真治さんはじめ、たくさんの日本のフィルムメイカーたちを知ることができて、つながりもできました」

──『彼女がいない部屋』の脚本は、そういった日本映画に流れる死生観やスピリチュアリティを思いながら執筆されたとか。

「私たちの周りには並行した人生があって、時には自分を誰かの幻影のように感じることもあれば、誰かの幻影と一緒に暮らすこともあるかもしれない。黒沢清さん、河瀨直美さん、諏訪敦彦さん、濱口竜介さんもそうですが、日本人はそういった感覚を現実的に受けていれている。なので、クラリスという女性について書いていたときは、日本人のことを考えていました」

──最近は、文化背景にかかわらず、東洋的スピリチュアルな感覚も普遍的なものになってきているのではと感じています。マチューさん自身も、そういった邦画に共感されていたわけですもんね。

「みんなスピリチュアルなものを必要としているし、自分なりの方法でそういったものを発明しているんじゃないかなと思います。多かれ少なかれ、誰もがそれぞれに神様的なものを持っていて、信仰がある。それが、明日も朝、目覚めたいという希望につながります。残念ながら、スピリチュアルなものをお金に換えてしまう人もいますけどね。日本映画も本当に多種多様なので、日本映画がすべてスピリチュアルだとくくるつもりはないですが、今名前を挙げた監督たちが映し出すファントム性は、映画をつくるというクレイジーな仕事をしているからこそ共感しますね」

映画は自分では答えられない問いに答えてくれる

──映画を観終わった後も、まだクラリスの見ている世界が自分の中で続いてるような感覚がありました。

「そうなることを期待していたんです。というのも、スクリーンに映るものは現実ではないけれど、観ている人はそれを現実だと思ってしまう。だから、クラリスがするように、現実を否定しようとしますよね。もちろん、最後には現実を見ることになるんだけれど。だから、彼女のことを思いながら道を歩いていて、ああ、音楽は鳴っていなかったんだ、すべてが幻想だったと実感できるのは、2日後、4日後かもしれないなって」

──私自身、ある種、ハッピーなことだけじゃなく、恐ろしいことや悲劇的な出来事も描かれる映画から、自分の傷が癒やされていくという経験をしてきたのですが、マチューさんは映画のセラピー効果に関してどんなうふうに捉えていますか?

「癒やされるだけじゃなくて、気分がよくなることだってある。歩き方が変わるかもしれないし、自分は魅力的だと感じるかもしれない。映画を観て、自分が映画の登場人物になったように5分くらい感じたり、そうなりたいと思うこともあるかもしれない。それだけじゃなく、映画は時に自分では決して答えることができない問いに対して、ほぼ道徳的に応答してくれる。でも、悲しいかな、映画は病院ではないんですよね(笑)」

──ですね。ただ、解決ではなくても、問題に直面するほうへ気持ちを向かわせてくれる気がします。ちょっとした、見えない支えになるような。

「映画って、自分がコミュニティの一員であることを感じさせてくれるんですよね。だから、映画館に行く行為はとても大事。ほかの人たちと一緒に映画を観ると、みんなそんなに変わらないということがわかるから、狂気も感じないし、孤独感もなくなっていく。つらい経験がある人の多くが『彼女のいない部屋』を観て言っていたのは『自分はおかしいんだと思ってた。クラリスと同じようにしてたから』というものでした。一方で、1週間前に夫を亡くしたという女性は『考えたこともなかったけど、彼女のようにしてみようと思う』と言っていて。生きていくための技術的なトリックを教えてくれることもありますよね」

──たとえば、ほかにどんなトリックを教わりました?

「ジョークとか、人を誘惑する方法とかね」

──確かにそうですね。悲しいことに、9月13日に、映画監督のジャン=リュック・ゴダールが他界されましたが、マチューさんにとってゴダールはどんな存在ですか?

「彼はいなくなってはいません。僕の中にいて、これからもっと探求したい存在です。常に現在、コンテンポラリーに関心を持っていて、何が起こるかをビジュアル化した人。会ったことはありませんが、僕の友人だと思ってます。彼をよく知っているし、みんなが思うような生真面目な人ではなくて、とにかくおもしろい人だと知っています。ゴダールの好きなところは、いつもジョークを飛ばしているところ。小学生みたいにね。おもしろいって、すごく重要なんですよ。ジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』みたいな感じ。あれも馬鹿馬鹿しいジョークが詰まってますから」

映画を監督するということは、自分にとってヨガのようなもの

──俳優をしているときは、監督をしているときとまた違うマインドセットになるのでしょうか?

「俳優をしているときは、本当に自分のすべてを捧げるように努めます。ヴィッキー・クリープスが僕にしてくれたようにね。でも、監督はさらに危険な仕事だから面白いんです。というのも、もともと僕は監督志望で、俳優ではなかったし、チームでいろいろな裏方仕事をしていたら、アルノー・デプレシャンの思いつきで演技をすることになった。演技なんて、一度もしたことがなかったのに。自分がやれるなんて想像もしていなかったことをするのは楽しかったんだけど、今は俳優業は一旦お休みです」

──監督業に専念されるんですか。

「ほかの俳優がそうしているように、僕人は演技をすることで世界の全体が見えるわけではないと感じていて。映画を制作するという危険を感じているときのほうが見えてくるというか」

──安全な場所にいるのではなく、リスクを背負うほうが、自分に飽きないで生きていられるから、ということなのでしょうか。

「自分には必要なんだと思います、ある種のリスクが。でも、喜びがないわけじゃない。むしろ、たくさんあります。一番はコラボレーションができること。自分の体に、知らなかった新しい神経を発見できたような感覚です。やったことはないですが、身体的、精神的な知識を持つための、東洋的な瞑想のようなものなんじゃないかなと。それは自分を世界の一部にすると同時に、どんどん広がっていく、とても拡張的なものです。私はそうやって自分なりのヨガをやっているんだと思います」

──監督業がマチューさんにとってのヨガなんですね。ヨガを実際にやったことはあります?

「もちろんないです(笑)。僕はタバコを吸う人間ですよ。でも、監督をしていると、そういうトランス状態になることがあって。世界は実は小さくはないんだ。より大きく、より複雑なんだ!ということがわかる瞬間が。単純化でも、一つの解決策を持つことでもない。こうあるべき!というイデオロギーは恐ろしいものです。そうではなくて、愚かだったり美しかったり、複雑な性質がある人間が、共存できる場所を見つけることなんだって。だから、今、僕はさらにクレイジーな作品に取りかかっていて」

──それが、2500ページある、オーストリアの作家ロベルト・ムージルによる未完の小説『特性のない男』を映像化なわけですね。

「1年間、撮影するんです。毎週26分を52回分(計22時間)。クレイジーでしょう?」

──アメリカの前衛音楽家ジョン・ゾーンのドキュメンタリー『Zorn I (2010-2016)』、『Zorn II (2016-2018)』、『Zorn III(2018-2022)』も12年間というかなり長期的なプロジェクトになっていますが。

「そうなんだけど、初めはそんなに長いプロジェクトになるとは思ってもいなかったから。Iの撮影のときは、東京で(音楽家の)巻上公一さんにゾーンが住んでいた高円寺を案内してもらって。II、Ⅲには『To be continued…』と入れました。来年、ゾーンの70歳の誕生日に向けて、 IVも完成する予定です。ゾーンが70歳になるなんて! 50代にしか見えないけどね」

──ゾーンさんは、マチューさんとすごく波長が似ているという勝手な印象があります。

「彼は、僕に多くのインスピレーションを与えてくれる人なんですよね。ふさわしい人たちと一緒にいるために、くだらない問いで自らを汚染しないために。これも僕なりの瞑想法です。真面目な話、自分で自分に愚かな質問をし続けて一生を終えることもできてしまうので。みんなそんなものだと思いますけど」

「映画はアートではない」理由

──今回の来日ではイメージフォーラム・フェスティバル2022にて、主演されたジャン=マリー・ラリュー、アルノー・ラリュー監督による『トラララ』の日本初上映も行われました。

「僕はラリュー兄弟の世界観が大好きなんです。最も多くの映画を一緒につくっていて、世界に知らしめるにふさわしいフィルムメイカーだと思うので、日本で上映されてとてもうれしいです。彼らの作品で演技するのが好きなのは、肉体的な欲望が満たされるから。生まれたままの姿、女、男、動物、そのすべてになるんです。ラリューの映画は本当に魅力的で、カップルや夫婦がどうしたら関係を続けていくことができるかが描かれます。再婚にまつわるコメディもたくさんある。それは、ラリュー兄弟の大きなテーマの一つだと思います」

──マチューさんは以前、「映画はアートではない」とおっしゃっていましたが、なぜそう思うのかを聞かせていただけますか?

「アートではなくて、それ以上のものというか。映画は、イメージと音であり、完全に偶然の産物です。選択の余地がない状況をつくり出しているだけで。それに、映画づくりは、とにかくお金がかかります。ちょっと何かを始めたら終わらせないといけないし、もう撮影に行きたくなくなってしまうこともあります。フェデリコ・フェリーニの美しい小噺があって、撮影に行かなくてはいけなかった日に、あまりに怖くなって、彼はチネチッタ(撮影所)に向かう途中でちょっとした事故を起こしたんだそうです。それで、『Yes! これで撮影に行かなくて済む』と思ったと。即興じゃなく、反応してるだけなんです。危険でしょ? でも、それってすごくエキサイティングじゃないですか。自分が生きていると実感できるから。そして、映画の本当に驚くべきところは、もう誰が映画をつくっているのかさえわからなくなるところにあります」

──境目がなくなっていくわけですね。

「そう。だから僕らは、作品を『私たちの映画』と呼びますし、関わる人たちと一緒に達成するものだと考えています。また、なぜ僕が自分をアーティストだと思わないかといえば、そうすると孤独になってしまうから。同じアパートに作家が住んでいるけれど、彼はいつも一人でひどい生活をしているんです。でも、僕にはクルーがいる。同じアパートにはミュージシャンも住んでいて、ツアーをする仲間がいます。だから、僕にとって一番大事なのは、コミュニティなんです」

──パンデミックの最中、休業せざるをえなかった日本のミニシアターに向けて、マチューさん含めた世界のフィルムメイカーの方々が応援メッセージを送ってくれたことがとても心に残っています。現在、隔離はなくなり、私たちはコロナとともに生きる生活を送っていますが、映画館に人は戻ってきていると感じますか?

「当初は、映画を好きな人たちが最初に映画館に戻ってくると思っていました。でも、そんなことはなくて。隔離されている間に、インターネットはくだらないと思っていた人たちが、そこが素晴らしい映画を観れる場所なのだと発見したんです。信じられないような選択肢の動画配信プラットフォームがあることもね。習慣が変わった彼らは、映画館に来なくなった。映画館は、大体3割ほどの顧客を失いました。結果、プログラム編成を再考したり、関連プログラムを行ったり、ゲストを呼んだり、もっとイベントをやっていかなくてはいけないと気づいた。特に対策をしてこなかった映画館は、危機に瀕しています。だから、考える必要がある。そもそも、映画館は常にリスクとともにあり、死にゆく運命にあるんですよ。リュミエール兄弟だって『映画は未来のない発明である』と言っていたくらいだし。沈黙になっていくときこそ勝負のタイミングであり、変化が起こる。それは良いことだと思います」

『彼女のいない部屋』

フランスの地方都市らしい場所で、クラリスは車を走らせている。彼女は家出したようだ……。主演は『ファントム・スレッド』のヴィッキー・クリープス。第74回カンヌ国際映画祭カンヌ・プレミア部門に選ばれ、セザール賞では各主要部門にノミネートされた。

監督/マチュー・アマルリック
出演/ヴィッキー・クリープス、アリエ・ワルトアルテ
全国順次公開中、10月14日(金)よりアップリンク吉祥寺にて公開
https://moviola.jp/kanojo/
© 2021 – LES FILMS DU POISSON – GAUMONT – ARTE FRANCE CINEMA – LUPA FILM

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Photos:Chikashi Suzuki Interview & Text:Tomoko Ogawa Edit:Sayaka Ito

Profile

マチュー・アマルリックMathieu Amalric 1965年、フランス・ヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。1984年、ジョージア(グルジア)出身の名匠オタール・イオセリアーニ監督作『月の寵児たち』で映画デビュー。アルノー・デプレシャン監督作『そして僕は恋をする』(1996)に主演して注目を集め、セザール賞有望若手男優賞を受賞。その後はフランス映画だけでなく『ミュンヘン』(2005)、『007 慰めの報酬』(2008)、『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)など幅広い活躍で国際的な俳優として人気を得る。監督としても、1997年『スープをお飲み』でデビュー。『さすらいの女神たち』(10)でカンヌ映画祭の監督賞とFIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞を受賞。『バルバラ セーヌの黒いバラ』(2017)ではカンヌ映画祭 ある視点部門開幕作品に選ばれるなど高く評価されている。

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