名だたるアーティストから愛される音楽家・原摩利彦がたどり着いた、多様な音の世界
音楽家・原摩利彦の活動は年を追うごとに多岐にわたっている。野田秀樹演出の舞台『Q:A Night At The Kabuki』でサウンドデザインを、彫刻家・名和晃平によるプロジェクト『Vessel』では坂本龍一と共に劇伴を手がけた。日本を代表するアートコレクティブ『ダムタイプ』のメンバーとしても活動している。京都を拠点に国内外を飛び回る原の3年ぶりのソロアルバム『PASSION』は、いくつもの新たな挑戦の末、とても多様で広がりのある作品となった。
──その新しい手法もあって、『PASSION』はアルバム1枚を通しても、1曲の中だけでも、とても多様な音が共存していますよね。
「大きな目標としては、アルバムの後半にあるような電子音楽が重なっていく抽象的な曲調をいろんな人に聴いてもらいたいというのがありました。舞台や映画ではメロディがない音楽は頻繁に使われていますが、それだけを聴くディスクは日本ではまだあまりメジャーではありません。だから今まで遠慮してやってなかったんですが、『これだったら聴いてもらえるかもしれない』っていう感触を見つけられたので、今回積極的に入れていったんです。でも電子音楽だけではなく、能管などの邦楽器も配置していきたいと思い、それも進めていきました」
──前作の『Landscape in Portrait』はピアノがメインのとても温もりを感じさせる作品で。手の届く目の前の世界から、『PASSION』は雄大で360度見渡せるような世界旅行のようなイメージを持ちました。
「それは嬉しいです。西洋と東洋というのは宗教や文化の違いという問題があって。でも音楽的には、例えば”Confession”では西洋がベースになってきたストリングスに中東の音が関わっていて。でもそれは”融合”しているわけではなく、どちらも美しく存在している。その現実にある種の希望を感じさせたくて、数分間の曲の中で縮図のようにぎゅっと違う音を詰めたんです。アルバム全体でもそうです。僕が実際マレーシアに行った時、マレーシアは多民族国家なので、フードコートにインド系の人もマレー系の人も中華系の人もいて。様々な民族が同じ空間で食事しているのを見て、『僕はこの人たちと本質的にわかり合えるのかどうか』を考えたんです。それで『わかり合えないかもしれない』と思った。でもわかり合えないかもしれない人達が、同じフードコートで人間としてとても根源的な”食べる”という行為を共通してやっている。それがいいなって思ったんです。住み分けをして、『違う民族のことは知らない』っていうのではなくて。『一音楽家がどれだけのことをできるのか』っていうところもありますが、僕としては作品の中にそういう気持ちを込めたかったんです」
──まさに、違う地域の音同士を無理に合わせるのではなく、ひとつひとつの音に存在感があって共存した作品になっていますね。
「特に僕が住んでいる京都では、和と何かの融合みたいな企画が多いんです(笑)。でも自分がやるとしたらこういう形かなって」
──今作のマスタリングは、ヨハン・ヨハンソンの『オルフェ』で知られるフランチェスコ・ドナデッロが手掛けています。どんな経緯があったんですか?
「マスタリングは人にしてもらうのが好きなので、レーベルからも提案してもらって。でもまさか受けてくれると思いませんでした(笑)。僕はヨハン・ヨハンソンをすごく尊敬していて。彼が劇伴を手がけた映画『メッセージ』と『ボーダーライン』が好きで。『ボーダーライン』の続編の『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』はヨハン・ヨハンソンが亡くなってしまったこともあり、最近だと『ジョーカー』を手がけたヒルドゥール(・グドナドッティル)が引き継ぐような形で音楽を手がけていて。映画の最後のクレジットで”In Memory of JÓHANN JÓHANNSSON”と文字が出てきてぐっときましたね」
──マスタリングされた音を聞いて、どんな感想を持ちましたか?
「自分が知ってるピアノの音とは違う音になっていて、最初は少し戸惑ったんですけど、しっかり聴いていくと、自分が注目していた音色を物理的なものと解釈して、より具体的にフォーカスしてくれた気がします。広がりのある音になっていてさすがだと思いました」
──近年のお仕事は、舞台音楽、映画音楽、現代アート等、本当に多岐にわたっていますが、ソロ名義の作品への向き合い方には何か変化はありましたか?
「ありましたね。『Landsacpe in Portrait』から『PASSION』の間の仕事は色々なアプローチがあって。ポール・クローデルというフランスの劇作家の戯曲『繻子の靴』では、能楽笛方藤田流宗家・故藤田六郎兵衛さんと共演しましたが、電子音響を入れてどういうものが合うかいろいろと試した末に“共存”できたと思えたんですね。能管というのは耳につーんとくるくらいの鋭く大きな音が出ますが、西洋演劇を上演する劇場だと、少しマイクを立ててリバーブを出したほうが自然に聞こえるって気づいたり。その経験は、能管と電子音がステレオの曲でどういう風に共存できるのか考えるきっかけになりましたし、『PASSION』にも繋がりました。それぞれの仕事で、時間の感覚も大きく違うんです。『繻子の靴』は1日約8時間の上演時間で、それが4幕分4日間にわたるんです。それをやると、2時間が短く感じられたりする。あと、多くの歌舞伎の作調をやられている歌舞伎囃子方・田中流家元の田中傳左衛門さんと仕事をすると、ほんの数分の打合せの間に大体のプランが決まったりします。その短さに驚くとともに、でもそれは傳左衛門さんがこれまで積み上げてきた年数と、もっと前から伝わってきた長い歴史があってこそのほんの5分なわけです。野田秀樹さんとのお仕事では、『原君、ここは何かない?』といったオーダーが驚くほど次々と投げかけられたりして。片や『ダムタイプ』では何十時間もの間ミーティングが行われる。その間、話がいろんなところに行ったりしながら、少しずつ進んでいくんです。そうやっていろんな時間の使い方を体験することは、音楽を扱う上で大事なんじゃないないかなって思いました。それがおもしろくもあり、ある意味どれもプロになれないといいますか(笑)。別の現場に行くと、また1からリセットされる感覚もあって。でも僕は昔から少し飽きっぽいところがあって。小学校4年生の時に、学校に毎日繰り返し通うのが嫌で、大学まで通うとしたら今から何日通わなきゃいけないのか計算して絶望したことがあるんです(笑)。だから大きな変化があって楽しいですね。一方でじっと我慢しつつゆっくり進むのも好きだったりするんで、相反するおもしろさがありますね」
──16年には桐谷健太さんと”香音-KANON-“でコラボレーションしたり、18年にはサニーデイサービスの”さよならプールボーイ”(写真左)のリミックスも手掛けられ、音楽ジャンルも問わずお仕事をされてますよね。
「仕事としてやってるというより、そういうポップなメロディの音楽も元々自分の中にあるのでどんどんやっていきたいんです。長編映画の音楽も、昨年『駅までの道をおしえて』(写真右)という作品で初めてやらせてもらって。だから自分の感覚としては、まだ一周もしてなくてこれからっていう感じなんです」
──様々な極端な現場を経験するのはどういう感覚なんですか?
「刺激的ではありますけど、しんどさもありますね。でも、作品と対峙して苦しむ音楽家の姿に憧れてるところがあって、『大きく捉えるとそれが今の自分が感じている感覚なのかな』と思うと嬉しいんですよ。『音楽は”音を楽しむ”って書くんだよ』って中学校の先輩に言われた時にすごい嫌な気持ちになった記憶があります(笑)。それだけじゃないんだ! と思っていました。もちろん人それぞれだと思いますし、楽しんでいますよ(笑)」
Marihiko Hara 『Passion』
(Beat Records)
2020年6月5日(金)リリース
各種デジタル配信はこちらから
Interview&Text:Kaori Komatsu Edit:Chiho Inoue