「怖い絵」シリーズの著者・中野京子に聞く、画家とモデルの知られざる濃密な関係
さまざまなポーズをとって画家が筆を動かすのを待つモデル。見つめる画家と見つめられるモデル。その間には、私たちが日常生活で経験するものとは違う濃密な時間と空気が流れる。画家とモデルのそんな特別な関係を読み解く『画家とモデル』の著者、中野京子に聞いた。
──『画家とモデル』には全部で18組が登場しますが、中野さんが個人的に思い入れのあるものは?
「ジョン・シンガー・サージェントとアンドリュー・ワイエスの章ですね。この2組を巻頭と巻末においたのはそのためです。ワイエスは、モデルを務めたヘルガが存命だということをつい最近知ったのがきっかけです。考えてみればワイエスよりもかなり年下だったので不思議はないのですが、YouTubeでワイエスについて話しているのを見て驚きました。YouTubeでは“So Special”などと言っていますが、果たしてどのような関係だったのかは語っていません。しかし、ワイエスの絵を見る限り二人の間に何もなかったとは考えにくいですよね。仮に何もなかったとして、その上であのような絵を描いたのだとすれば、それはそれですごいと思います。ヘルガシリーズは日本でも90年代に、全点ではないまでもかなり大々的に展示されました。ぜひもう一度、やってほしいですね」
「サージェントは日本ではあまり知られていない画家です。《マダムX》を知っている人はいると思いますが、サージェントの作品としてはやや異色なんですね。サージェントはやはり黒人男性のヌードが衝撃的でした。《マダムX》の優美な女性像とは全く違う、こんなエロチックな絵も描いていたのか、という驚きです。これらの絵が描かれた1920年代のアメリカは、KKK運動の第二波が吹き荒れ、アフリカ系アメリカ人への暴行が激しかった時代です。とても絵を公表できるような雰囲気ではありませんでした。サージェントの死後30年たった1955年にようやく展示できるようになったのです。日本ではあまり報じられなかったようですが」
──タマラ・ド・レンピッカの人生も面白いです。若くして成功したのに後年の絵はその才能が失われてしまったかのような、退屈なものになってしまいました。
「レンピッカは数年前にBunkamuraザ・ミュージアムで回顧展があり、そのときに改めて最盛期とそのあとの停滞期との落差が激しいことに驚きました。別の画家、たとえばゴヤのように若い頃はそれほど上手でなくとも、次第に独自の圧倒的世界を構築する例や、ルーベンスやピカソのように若き日の天才性を晩年まで維持する例など、いろいろです。レンピッカはデビューしていきなり大評判となったのですが、最盛期はとても短くてすぐに描けなくなってしまった。彼女自身もそれを自覚していたようでいろいろなことを試していますが、正直なところどれも下手で痛々しい。最盛期の自分の作品を他の人が模写しているようにしか見えないものもあります」
──レンピッカはなぜ描けなくなってしまったのでしょうか。
「彼女は贅沢が好きな女性だったのですが、ロシアから出てきてお金がなかったので絵を描いてお金を稼がなくてはならなかった。でも絵が売れてお金も名誉も手に入る。さらに貴族と結婚して社会的地位も盤石になりました。欲しかったものすべてを手にすることができ、欲望が満たされて絵に対する意欲がなくなってしまったのではないでしょうか」
──フェルナン・クノップフは妹を繰り返し描いています。何か禁断の関係を想像してしまうのですが……。
「クノップフの妹はちょっと変わった容貌をしていますね。どちらかというと男性的なイメージです。自画像でもある特定のモデルであっても何度も同じ相手を描いている場合は、その対象に執着している証拠です。ワイエスもヘルガを15年にわたって描いていました。
クノップフのように兄妹で執着するということは他にも例がないわけではありません。これは絵画ではなくて音楽ですが、ワーグナーのオペラ『ニーベルンゲンの指輪』の『ワルキューレ』では兄妹であることを知らずに惹かれあう男女が出てきます。その事実を知った二人は普通なら別れると思うのですが、かえって燃え上がる。禁断の恋こそ二人の結びつきを強くする、そのちょっと変わった事例です。もちろんクノップフ兄妹がそういった関係だったという意味ではありません」
──ハンス・ホルバインはペストで死んだという説があります。
「疫病に倒れた画家は他にもいて、たとえばエゴン・シーレは100年前のスペイン風邪で亡くなっています。疫病といえば絵画ではないのですが、『ロビンソン・クルーソー』の作者、ダニエル・デフォーの著作『ペスト』が面白い。1665年に大流行したロンドン・ペストについての本です。デフォーはそのとき子どもだったのですが、長じて叔父ら生き残った人々から話を聞いてこの本を書きました。ペストは種類によっては痛みがなく、ついさっきまで普通に話していた人がばたっと倒れて死んでしまうということもありました。当時から伝染病であることはわかっていたので外出禁止令が出されたりもしています。家を封鎖し、見張りをたてるのです。が、見張りに金を渡して逃げ出してしまう人もいる。こんな街にいたくないというので橋を渡って隣村に逃げたところ、隣村の人々がペストで全滅したため、橋を壊してしまったり、『これは神の天罰なのだ』と予言者が登場して人心を惑わせたり。今も似たようなことが起きていますよね」
──この本に登場するクラーナハは絵を描くだけでなく、薬局や印刷所を経営しています。レンブラントは三階建ての家を手に入れ、三階を弟子たちの仕事場にしていました。ちょっと芸術家らしくないような気もするのですが。
「今の日本では芸術家というとお金には頓着せず自分が描きたいから描くものだ、というイメージが強いのですが、実際には画家も生活していかなくてはならない。とくに近代以前の画家はクライアントから注文を受け、それに応えて制作する職人のような職能でした。クラーナハやレンブラント、ルーベンスといった画家たちは大勢の弟子(スタッフ)を抱える社長のようなポジションだったのです。
現代の芸術家は自らの内面の自由な発露として作品を制作していますから、基本的に制約はありません。しかし、近代以前の画家はたとえば壁画なら発注する王侯貴族や教会から『主題はギリシャ神話のこの物語で』『両隣にはこういった絵を描いてほしい(あるいはすでに描かれているのでそれに合わせてほしい)』といった注文を受けて描いています。そんな細かい制約がありながら素晴らしい芸術作品を残している。現代のように何でも欲しいものが手に入ると、かえって選ぶのが大変ということにもなります。制約があるからこそ傑作が生まれる。偉大な画家の絵を見ているとそんな気がしてきます」
『画家とモデル 宿命の出会い』
著者/中野京子
本体価格/¥1,750
発行/新潮社
https://www.shinchosha.co.jp/book/353231/