美しき幻想の旅──ヴァサンタ・ヨガナンタンが語る叙事詩の行方@シャネル銀座
その美しき光景は、果たして幻想か現実か──。気鋭のフランス人フォトグラファー、ヴァサンタ・ヨガナンタンの日本初個展が東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開幕した。インドの叙事詩に導かれ、思わず心洗われるようなアートの冒険へ。光と色と時空の耽美なる使い手、その才能とヴィジョンをひもとくインタビュー。
繊細な色彩のカラー写真や、インド各地のアーティストとのコラボレーションによる彩色写真、さらにはインドで発行されているマンガ版「ラーマーヤナ」のイメージなども構成に取り入れたアートブックが第5巻まで発行されているが、今回の展示では映像作品も含め、完結編となる第7章までが世界に先駆けて展示されている。会場構成も随所に工夫が凝らされており、本シリーズ特有のメディアを横断した複合プロジェクトとしての要素も大いに発揮されている。
その美しくも奥深い魅力をたたえた作品世界について、来日したヨガナンタンに話を聞くことができた。
フィクションと現実が織りなす「ラーマーヤナ」の世界
──「ラーマーヤナ」は、ヒンドゥー教の聖典の一つで、長大な叙事詩とのことですが、インドの人々にはどのように親しまれている物語なのでしょうか?
「たとえ他の宗教を信仰している人であっても、インド人であれば誰もが知っているものだと言ってよいと思います。マンガやアニメにもなっているので、みんな6、7歳の頃からストーリーに親しんでいて、例えばサルの神様であるハヌマーンなどのキャラクターは誰もが知る存在です」
──物語は王子ラーマとその妃シーターが国を追放され、14年間の放浪中にシーターがスリランカの王にさらわれたことを契機に二つの王国が戦争に突入するという、非常に壮大なものですが、その世界観を作品化しようと決断した理由はなんですか?
「まず、『ラーマーヤナ』における“フィクションと現実の関係性”に興味を持ったことが第一の理由です。物語はもちろんフィクションなわけですが、しかしインド人にとってはある意味で“本当の歴史”ともいえるものになっていますから」
──それは、現実とフィクションがつながっているということですか?
「物語に登場する地名がみな地理的に実在していて、実際に訪れることができるんです。ここは猿の神様がいた場所、ここはお妃様が誘拐された場所というように、インドの人々が生きている土地がそのまま『ラーマーヤナ』につながっている。例えば、シーター姫がスリランカの王にさらわれてしまったとき、世界中の動物が集まって探索に参加するんですが、その集合場所はインドの最南端。物語ではそこから橋を作ってスリランカへ渡るんです。もちろんその橋は伝説上のものですが、インド人の多くはその場所を訪れて『ああ、ここが橋をかけた場所なんだな』と、自分の目で見てみたいと思っています」
──なるほど、日本でいうと「因幡の白兎」みたいな感じなのかもしれないですね。その物語を解釈して制作された「A Myth of Two Souls」は、今のところ5巻まで発行されていますが、写真をベースにしながらも、さまざまな手法で制作されたアートブックのような形式になっていますね。
「『ラーマーヤナ』が7章から成り立っている物語なので、自分の作品もそれに合わせて全7巻になる予定です。そして第1章の“誕生”から第7章の“死”に至るまで、それぞれの章が主人公たちの人生における重要なポイントを示しており、『A Myth of Two Souls』ではその流れを追いながらも、同時に美学的・芸術的な変化をたどれるようにしたいと考えました。例えば第1章を扱う1巻は、主人公の人生の初期ということで子どもがたくさん登場しますし、色彩も穏やかで、ゆっくりと静かに物語に入っていく。また、第2章は主人公二人が結婚するストーリーなので、色がよりビビッドで鮮やかなものになっている……という感じです」
色とりどりの空間でたどる、耽美にして幻想的なストーリー
──王子や妃などの登場人物の格好や仕草を思わせるようにして作品に写っている被写体の方々は、インドで出会った地元の人々そうですが、制作にあたってコラボレーションをしたという現地の職人やアーティストたちもまた、撮影旅行の際に出会った人々でしょうか?
「おっしゃる通り、現地で偶然に出会った人々です。写真に彩色してもらった画家の方には、何もリクエストせずにただ私の写真を渡して、彼の解釈で自由に色を施してもらいました。その上でストレートの写真と着色をした写真を意図的に混ぜて構成しているのですが、そこに『ラーマーヤナ』の根底に横たわる“フィクションと現実の曖昧さ”を体現したいという意図を込めています」
──展示には日本の和紙にプリントした作品もありますが、独特の色彩や質感がとても印象的でした。
「それは第3章の『Exile』を扱った作品ですね。インド北部の冬はとても寒くて、朝は水平線や地平線が見えないくらいの霧が立ち込める。王子と妃が追放されてインドの田舎をさまよっているという、先の見えない様子を表現するためにこの霧深い風景を撮影したのですが、プリントにあえて薄い和紙を使っているのは、王と王妃の運命がとても危うくて脆く、不確かなものであることを示すためです」
──第4章の展示では、床は板張りになり、写真作品とコミックのイメージが並置されていて、雰囲気がガラリと変わっています。
「この章では妃が誘拐されてしまうと同時に、初めて主要キャラクターが魔法を使うシーンが登場します。その舞台がジャングルのように深い森なので、そういった世界観や奇想天外なストーリーをイメージしてもらいたくて、展示方法に工夫を凝らしました」
──第5章の「Quest」は世界中の動物たちが集合して誘拐された妃を探すシーンですが、展示では葛飾北斎の浮世絵『富嶽三十六景』にある有名な波の作品を参照されたとか?
「この章では海や海岸が舞台になっていますが、海や動物たちをただ写すのではなく、写真の撮り方を工夫したり、メインの色彩をブルーにしたりすることで、ストーリーやその舞台となった場所を想起させるようにしました。それに加えて展示ではもう一工夫しようと、北斎の波の作品を参考に作品を配置してみたんです」
光と色、時空を超えゆく魔法のアートプロジェクト
──こうした空間的な展示に加えて、今回は映像も出品されていますね?
「戦いをテーマにした第6章にあたるもので、ビデオアーティストと音楽家とのコラボレーション作品です。インドでは年に一度、『ラーマーヤナ』で善が悪に勝ったことを祝うお祭りが1週間にわたって行われるんですが、今日の夜は第1章、明日の夜は第2章というように毎晩、野外劇が上演される。映像作品はこの夜のお祭りを撮影してまとめたもので、他の章とは違う暗いイメージになっています」
──展示では、まだ発行されていない6巻と7巻にあたる部分も展示されていますが、こうして空間的に展示をするのと、本にするのとでは、ご自身の中でどのような違いがありますか。
「6巻と7巻は来年出版する予定ですが、今回は世界に先駆けて、その一部を展示しています。これまで7年かけて取り組んできたプロジェクトの全体像を初めて見せるという、とても重要な機会であり、シャネルのバックアップで空間も含めてフルオーダーすることができ、環境としても完璧なものを作り上げることができました。これは本当に感動的なことです」
──展示にしても本にしても、これは写真という表現に留まらず、歴史という時間や空間をも取り込んだ総合的なプロジェクトだと実感しました。ご自身のスタンスとしても、写真家であることを超えてメディア発信やコラボレーションなど、多岐に渡る活動になっていると思います。
「そうですね、あえて自分を定義するなら、単に写真家というよりも、さらに広がったさまざまなフォーマットを扱うアーティストというスタンスになるのかもしれません」
──その上で、全体を貫く色合いのトーンに、美しくも淡く可憐な感覚、ある意味で“可愛いらしさ”を感じたのですが、何か意識をされているのでしょうか。
「色については特に意識しています。撮影にあたって、自分が『ラーマーヤナ』のストーリーに参加していくための色、自分だけのカラーパレットを見つけたかった。画家が絵を描くときに『ここはブルーだな』『このシーンはベージュが鍵になる』と思いながら描いていくのと同じように、現地を歩きながらそれぞれの色を見つけていきました。そうすることで、日常の風景を写しながらも、光や色によってフィクションの世界を表現することができるのです」
──なるほど…! 「ラーマーヤナ」は私たち日本人にはあまり馴染みのない物語ですが、展示の空間によって話の場面が変わっていくうちに、自然と引き込まれてしまうのには、そんな効果があったのかもしれませんね。日本といえば、今回は5回目の来日だそうですが、これまで訪れたなかで特に印象的だったのはどこですか?
「屋久島です! 深い森や樹齢を重ねた樹々に、深い感銘を受けました。たどり着くまでの途中で立ち寄った鹿児島も大変印象的でしたね。今は新しいプロジェクトをいくつか構想しているところですが、日本にはゆかりのある家族もいて大好きな場所なので、いつか日本で制作した作品も発表したいと思っています」
ヴァサンタ ヨガナンタン写真展「A Myth of Two Souls 二つの魂の神話」
会期/開催中〜9月29日(日)
会場/シャネル・ネクサス・ホール
住所/東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4F
開館時間/12:00〜19:30
休館日/なし
入場料/無料
URL/https://chanelnexushall.jp/program/2019/vasantha/
Interview & Text:Akiko Tomita
Edit : Keita Fukasawa
Profile
「A Myth of Two Souls」プロジェクトのサイト:https://www.a-myth-of-two-souls.com/