田名網敬一 × 篠原有司男&乃り子「これがアーティストの生きる道」
世界を驚嘆させ続ける“ポップアートの巨星”田名網敬一と、“伝説の前衛アーティスト”夫妻、篠原有司男(通称:ギュウチャン)&乃り子。逆境を乗り越え、今ようやく「自分に時代が追い付いてきた」と語る3人の友情と信頼の向こうに何が見える? 3人合わせて230余年(!)の生き様、東京/ニューヨークで刻んだそれぞれの軌跡から、大いなる上昇気流が立ちのぼる。(「ヌメロ・トウキョウ」2019年5月号掲載)
芸術一家は「毎日がマフィアの抗争状態!」(篠原有司男)
──田名網先生とギュウチャン先生は10代の頃からの付き合いですが、ギュウチャン先生が渡米してから今年で50年になりますね。
篠原有司男「そう考えると、今があるのは完全に奇跡だね。タナさんは学生の頃からデザイナーになって、ずっと順風満帆だけど」
田名網「僕は僕でいろいろあったけどね。でも、渡米前はギュウチャンはずっとうちに居候していたわけだから、ニューヨークへ行ってからしばらくは寂しかったよ」
有司男「着いたその日からタナさんに手紙を書いたもんね。見るもの聞くものすべてが新しくて、誰かに伝えて発散したかった。その相手がタナさんだったわけよ」
田名網「今や伝説的なグループになったけど、僕がネオダダイズム・オルガナイザーズの吉村益信や田中信太郎、赤瀬川原平と知り合ったのはギュウちゃんを通してだからね。ギュウチャンがいなければ僕もアーティストにはならなかったと思うよ」
篠原乃り子「そうすると、私の場合は全然逆。絵の勉強のために留学したのに、有司男と一緒になって子どもが生まれて、貧乏で生きていくのに精いっぱい。何か趣味に取り組もうと思っても、家にある画材で絵を描くことしかできなかったわけだから」
有司男「二人とも移民で英語ができなくて、そんな所で子どもを育てようと思ったら生半可じゃないよね。当時のダンボ地区は荒れ果てたエリアで、人の住む所じゃなかった。暖房すらないロフトを借りて、絵の道一本でやっていくんだからさ」
乃り子「移民の子は親の苦労を見て育つから、努力をして弁護士や医者や起業家になるのが普通なのに、息子のアレクサンダー・空海はギュウチャンの悪影響でアーティストになるって言い出して、芽が出なくて苦しんで…。ようやく“自分の絵”を見つけたところで『親父が僕のアイデアを盗った』って大騒ぎよ。私だって、自分の表現である“キューティー”を見つけるのに40年もかかった。自分のアートを発見したり発明したりするのは、本当に大変なんだから」
有司男「だから、アーティスト一家でお互いを高め合うなんて到底無理。絵の具やアイデアの取り合いで、毎日がマフィアの抗争状態だよね」
田名網「ギュウチャン一家の生き方って、芸術家夫婦の中でも異色中の異色でしょう。普通の人はこの二人を見て『自分も芸術家になろう』とは思わないだろうね(笑)」
「人生は変えられない。でも時代は変わる」(田名網敬一)
──ドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』がアカデミー賞にノミネートされてからは、知名度も格段に上がったのでは?
有司男「いや、そんなに甘くないって。日本のマスコミは成功物語しか伝えないから、みんな俺がニューヨークで大活躍していると思ってるけれど、まだ全然活躍してない。だいたい、俺からアーティストの看板を取ったら何もないからね。来た直後に大工のアルバイトをやったけれど、仕事が雑だからすぐにクビ。『アーティストって格好いいなあ』って言われるけど、食える、食えないは別問題だから」
ドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』
篠原有司男&乃り子夫妻の“愛と闘い”を記録したドキュメンタリー作品。波乱に満ちたニューヨーク生活と創作の様子を赤裸々に映し出し、2014年アカデミー賞・長編ドキュメンタリー部門ノミネート、13年サンダンス映画祭・最優秀監督賞を受賞するなど大きな話題を呼んだ。監督・撮影・製作:ザッカリー・ハイザーリング 出演:篠原有司男&乃り子、アレクサンダー空海ほか。
田名網「芸術のためになりふり構わないという意味では、ネオダダの中でもギュウチャンが一番ひどかった。ゴミのベニヤ板や新聞紙で作品を作って展示して、運送屋に頼むお金がないという理由でそのまま捨てて帰るんだから。でも僕に言わせれば、いま活躍している芸術家の多くが作品よりも処世術でのし上がった一方で、ギュウチャンはそういう駆け引きには目もくれないでやってきた。だから純粋な意味で、ギュウチャンこそが“真の芸術家”だと思うよ」
有司男「面白かったのはさ、タナさんの紹介で編集者が何人も取材に来たこと。バブルの頃かな、『本当のニューヨークが知りたい』って、うちの床にゴザを敷いて寝て、ものすごい汚いバーに行って『こりゃあすごい!』って泣くんだよ(笑)。でもこっちはその場所で、拾ってきた段ボールでひたすら作品を作ってるんだから」
田名網「あの家はアンダーグラウンドの極致だからね(笑)。昔は歩けないくらい怖いエリアだったのに、今はすっかり開発されてしまった。でもギュウチャン自身は一本気で全然変わらない。変わったのは周りのほうだから。一方で僕は違う職種だったこともあって、いくら憧れても同じようにはできなかった。ギュウチャンの芸術に対する純粋さ、アーティストとしての生き様は、僕にとっていわば反面教師なんだよね」
有司男「この間も『ボクシング・ペインティング』の作品が売れたんだけど、ゴミだらけの所にグチャグチャにして置いてあったのが十数万ドルだもんね。だから全部偶然なんだよ。映画だって、撮られてるときは「もうやめてくれ」って感じだったわけだし。それに、アメリカのギャラリストたちは数カ国語で世界中の評論を読み尽くしているようなやつらだから、取り入ろうとしたってダメ。最高の作品を作らなきゃ、すぐに見抜かれてしまう。そこが面白いんだよ」
──ギュウチャン先生と離ればなれになっても、田名網先生はその姿をずっと見守ってきたわけですね。
田名網「手紙のやり取りは続けていたけれど(※)、でも『諦めて帰ってこい』と思ったことはないかな。才能さえあれば、どこにいても注目される時代になったから。それにこの年齢になると、やれることはただ一つ。とにかくいいものを作る。その一点しかないんだよね」
有司男「でもさ、タナさんの絵もすごいよね、大爆発だよ。心の中がギンギンに燃え続けてる。好奇心とかアイデアが充満していて、見ていて飽きないどころか、ずっと見続けていると疲れちゃうくらい、ものすごいエネルギーを感じるよね」
田名網「僕もずっとデザイナーをやりながら絵を描いてきて、アートとして評価されるようになったのはこの十数年だけど、生き方って変えられるものじゃないからね。時代に即応しようとすればするほど右往左往するけど、ギュウチャンの生き方はそうじゃないからこそ、ものすごく美しい。そして、そういう人が作る芸術だからこそ、本当に面白い。つくづく途方もない人生だと思うけれど」
有司男「そこはお互いに評価してるよね。だってタナさんとは以心伝心だもん。言葉にしなくても、絵を見ればピッ! ってわかるんだから」
※送り続けること半世紀、篠原有司男が田名網敬一に宛てた書簡や写真を収録した書籍『ギュウチャンからの手紙(仮)』が、今年の初夏に刊行予定(編/田名網敬一 発行/東京キララ社)。
田名網敬一 × アディダス オリジナルスのコラボが実現
東京・渋谷のギャラリー「NANZUKA」で開催された個展「Tanaami × adidas Originals」(2月2日〜3月9日)の出展作品。同展はアディダス オリジナルスが立ち上げたアーティストとのコラボレーションプロジェクト「adidas gallery」の第1弾として特別開催された。 © Keiichi Tanaami Courtesy of the artist and NANZUKA
「Tanaami x adidas Originals」出展作品より。幼少時の原体験や胸膜炎で生死の境をさまよった際の幻覚、記憶や夢を題材に、異形の存在や吉祥紋様で織りなす田名網宇宙の最新地平。なかでも左の立体作品は高さ3メートル以上に及ぶ過去最大級の大作となった。© Keiichi Tanaami Courtesy of the artist and NANZUKA
トレフォイル(三つ葉)ロゴと融合した田名網のアートワークを落とし込み、このたび誕生した「adicolor by Tanaami」コレクション。全9アイテムを全国のアディダス オリジナルスショップほかで展開中。右から「TANAAMI HOODIE」¥11,000 「TANAAMI FB TRACK TOP」¥9,990 「TANAAMI FB TRACK PANTS」¥7,990/すべてadicolor by Tanaami(アディダスグループお客様窓口 0570-033-033)
Profile
アーティスト。1936年、東京都生まれ。武蔵野美術大学在学中からポスターや雑誌などのデザインを開始。日本版『月刊PLAYBOY』などのアートディレクションを手がける傍ら、アニメーションや絵画、立体作品など実験的な創作活動を行う。2001年頃を境にして、独創を極めた世界観に注目が高まり、アート活動の幅を拡大。各国での個展や、ルイ・ヴィトンなどブランドとのコラボレーションをはじめ、日本が誇る奇想の巨匠として世界的な注目を集めている。
通称ギュウチャン。アーティスト。1932年、東京都生まれ。東京藝術大学中退後、60年に吉村益信、赤瀬川原平、荒川修作らと「ネオダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。69年に奨学金を得て渡米し、以後ニューヨーク在住。2014年、その破天荒な生活に密着したドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』が米アカデミー賞にノミネート。今年1月より放映の清涼飲料「マウンテン・デュー」の全米CMに「ボクシング・ペインティング」で登場するなど“前衛の道”を邁進中。
アーティスト。1953年、富山県生まれ。72年、美術を学びに訪れたニューヨークで篠原有司男と出会い結婚、長男を出産。育児の傍らアート活動を再開し、86年に初個展、2007年ニューヨークのジャパン・ソサエティ100周年記念などに参加。10年頃より自身の分身“キューティー”を描き始め、映画『キューティー&ボクサー』をきっかけに注目を集める。17年に電子書籍『キューティ〜&ブリー』(ソニーデジタルエンタテインメント)を発表するなど、精力的な活動を続けている。
Portraits: Koji Yamada Interview, Edit & Text: Keita Fukasawa