江頭誠インタビュー。狂い咲く“毛布アート”と豊かさの行方
高度成長期──むせ返るほど咲き狂った花々に抱(いだ)かれて、誰もが同じ豊かさを夢見た時代。祖母宅で、実家の押し入れで。忘れられ、色褪せていく“バラ模様の毛布”の記憶を呼び起こし、すべてを包み込むアーティスト、江頭誠。いつか見たバラ色の未来、その残り香がここに。(『ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)』2020年3月号掲載)
愛用していた“バラ模様の毛布”
「ダサい」の一声で開けた眺め
──バラ模様の毛布といえば、ある世代以上の誰もが郷愁を覚える存在。素材として着目した理由は?
「僕自身の経歴の話になりますが、幼い頃から『人と違うことをしたい』という思いがあり、上京して多摩美術大学の彫刻学科に入ったものの、周りは個性の強い人ばかり。そこで、彫刻の基礎となる木や石、粘土とは違う素材を使おうと考え、熊本産のミカンの皮で熊本城を作ったり『物質的な作品は作らない』と、バッタの格好をして彫刻の森美術館を歩き回るパフォーマンスをしたり……彫刻のルールに抵抗したいと思いながらも、枠の外には出られないでいたんです。そんななかで出合ったのが、バラ模様の毛布でした。発端は、一人暮らしの部屋に友人が来たとき、実家から持ってきた毛布を『ダサい』と言われたこと。今まで気に留めていなかったバラの絵柄が急に恥ずかしく、意識せざるを得ないものになった。そこから生まれたのが、卒業制作の『大阪冬の陣』。毛布といえば冬、冬からの連想で“大坂冬の陣”で大阪城。要するにダジャレですね」
──それ以来、バラ模様の毛布の作品を作り続けていますね。
「実は卒業から4年ほど、制作から遠ざかっていたんです。アンティーク家具店で修理の仕事をしていたんですが、やっぱり自分の手でゼロから作りたいという思いが湧き上がってきて。先輩に『毛布を使って霊柩車を作ったら面白いと思う』と話していたところ『それなら作ってコンペに出したら』と言われて。バラ模様の毛布という存在の面白さを自分はまだ消化しきれていないという思いもあり、やるからには大きなものを作りたいと、休日を返上して原寸大の作品を作り上げて『岡本太郎現代芸術賞』へ応募したところ、特別賞をいただいた。2015年のことです。その後、作家業に力を注ごうと仕事を辞めたものの、ぜんぜん依頼が来ない。自分から動くしかないと、スパイラルが主催する公募展形式のアートフェスティバル『SICF』に応募して、グランプリを受賞しました。展示ブースのサイズを逆手に取り、空間全体を洋式トイレの個室に見立てた作品です。翌年の受賞者展では、歩道に面したスパイラルショウケースの空間全体で日本の洋間を表現しました。それがファッション界をはじめとする方々の目にとまり、H.P.FRANCE WINDOW GALLERYの展示などにつながっていきました」
戦後日本の“豊かな暮らし”
夢にまで見たロココ天国
──洋間といえば、レースのカーテンや猫足の家具をあしらうなど、戦後日本人のライフスタイルの象徴。風刺的なニュアンスを感じます。
「宮型の霊柩車もリンカーンなどの高級車に伝統的な日本建築の装飾を施したものですし、洋間も和洋がミックスした空間ですよね。17年から寝具メーカーの京都西川(現・西川)の協賛で個展を開催するようになり、教えていただいた話ですが、戦後の日本では豊かな暮らしへの憧れから『西洋=高級』というイメージが広まり、毛布にも贈答品としての高級感が求められました。その流れから、1960年代末頃にロココ調のバラ模様の毛布が生まれたのですが、おそらくこの絵柄の毛布は日本にしかないだろうと。中国にしても、使うのは牡丹や金魚といった伝統的な吉祥紋様。毛布一つで日本の戦後の歴史が見えてきますし、その感覚が意図せず僕の体にも染み付いていたことに、興味をかき立てられました」
──来場者が作品の中に入り込み、空間全体を体感できる作品を数多く発表していますが、その狙いは?
「実は『SICF』のトイレの作品までは、発泡スチロールで形を作って毛布を貼り付けていたんですが、展示中に子どもが便座に座ってしまい、壊れてしまった。そこから“座れないトイレ”を作ってしまった自分への反省の気持ちが湧き上がってきて。それ以来、本物の椅子やテーブル、置物や家電などを毛布でくるんで空間を構成し、中に入って触って楽しんでもらう体感型の作品に取り組むようになりました。例えば『BIWAKOビエンナーレ』では古民家の一室をまるごと使って展示をしたり、『六甲ミーツ・アート 芸術散歩』では造花を覆った作品で温室を埋め尽くしたり、場所に応じた展開を心がけています」
ものに息づく人の思いを、感じることから始まる世界
──日常的な空間をバラ模様の毛布で覆うことで、特異な体験を作り出す。その目的は何でしょうか。
「お客さんの反応を見ていて感じることですが、世代によって大きな違いがあるんです。例えば、バラ模様の毛布が生まれた高度経済成長期に子ども時代を過ごした50〜60代の場合、純粋にバラの絵柄が好きという方が多い。逆に30〜40代はその価値観をリアルに嫌悪していて、風刺的な見方をする傾向があります。ところが10〜20代になると、そもそもこういう毛布自体を見たことがないからか『すごく可愛い!』という好意的な反応が返ってくる。僕としてはそこから一歩踏み込んで『自分はなぜこれが嫌いなのか』『なぜ可愛いと感じるのか』を考えてもらえたら、自分が育った時代背景や先入観、価値観の違いなどが浮かび上がってくるはずだと思っています」
──北海道の木彫りの熊や博多人形など単体のオブジェには、ユーモアと切なさを感じます。どんなメッセージを込めているのでしょう。
「一言でいえば『無駄なものほど面白い』ということ。世の中がどんどん効率化されて、お茶の間やブラウン管テレビの上に並んでいたような土産品も排除されていく。でも、ものにはそれを作った人、選んでくれた人の思いが詰まっているはずです。もちろん資源の浪費は避けるべきですが、ものに託された生活のゆとりや余白、遊びの部分を全否定しても、今の社会の問題は解決しないと思います。本当は無駄なものなんて世の中には存在しないはずだし、心からものを愛でるという行為は、とても素敵なことだと思うんです。今、友達とギャラリーを作っているんですが、それぞれに集めたものを愛でて批評し合いたい。自分の活動を介して、ものや価値観に対する気づきや思いがつながっていったなら、うれしいですね」
Portrait : Tadayuki Uemura Edit, Interview & Text : Keita Fukasawa