METガラ2019のテーマ「キャンプ」ってなんだ!?
今年のメットガラのテーマは「キャンプ」。でも「キャンプ」とは何を意味するのだろう? 多くの言葉と触れ合ってきたブックディレクターの幅允孝に漫画家の辛酸なめ子が聞く。(「ヌメロ・トウキョウ」2019年3月号掲載)
世界が注目する《キャンプ》とは?
辛酸なめ子「今年のメットガラ(※)のテーマは『キャンプ』とのことですが、この《キャンプ》とは何なのでしょうか?」
※メットガラ
NYのメトロポリタン美術館にて毎年5月に開催されるファッションの祭典。セレブリティの豪華な衣装が話題となる。
幅允孝「1964年にスーザン・ソンタグ(※)が発表した『《キャンプ》についてのノート』の中で提唱した審美的な見方のことです。日本だと『反解釈』(ちくま学芸文庫)に収録されているのですが、ソンタグが66年に発表した評論集『反解釈』自体が、当時の批評に対して批判的な部分がすごく多いんですね。それまでの批評は『この作品が意味するところは?』とか、形式よりも内容を大事にしていた。でも内容よりも形式、つまり様式(スタイル)を重要視することや、解釈ではなくあるがままに作品を見てとることの大切さを言っているのが『反解釈』だとすると、様式を基準に世の中を見たときに『こういう見 方もアリなのでは?』とソンタグが唱えたものの一つが《キャンプ》という考え方だといえると思います」
※スーザン・ソンタグ(1933ー2004)
20世紀アメリカを代表する批評家、小説家。著書に『写真論』『良心の領界』など。写真家、アニー・リーボヴィッツのパートナーだったことでも知られる。
辛酸なめ子「山とかでやるキャンプとは違うんですよね?」
幅允孝「ソンタグの言う《キャンプ》は、仏語の俗語『se camper(仰々しく挑発的な振る舞いをするの意)』からきていて。ただ反自然というか、ありのままでないものを好む審美眼のことをキャンプとするなら、野山のキャンプも人工的なことですけどね」
辛酸なめ子「コム デ ギャルソンのコレクション(※)でも引用されたとか」
※コム デ ギャルソンのコレクション
コム デ ギャルソンの2018-19秋冬コレクションのテーマは「キャンプ」だった。
幅允孝「高潔な美意識を求めていた人たちからしたら醜悪で美しさを感じられないものが支持を得て、都会から地方にまで行き渡ったのが50年代アメリカの大衆文化。でも現代のSNSも、あまりきれいでないものや責任の所在がはっきりしないものばかりがあふれている。この現状に対して何か思うところがあったのかもしれませんね」
辛酸なめ子「ソンタグさんは知識人という立場にあったのでしょうか?」
幅允孝「アメリカを代表する知識人の一人ですね。僕はお会いしたことがなかったのですが、ものすごく先進的で、時代の空気みたいなものを牽引した素晴らしい女性だったと聞いています。『《キャンプ》についてのノート』の後も『ラディカルな意志のスタイル』(74年)、『写真論』(79年)、 『他者の苦痛へのまなざし』(03年)などのさまざまな評論を発表するだけでなく、フィルム作品も彼女は制作していて。通常の審美的基準に対して、別の判断基準を提供する一つの指針のようなものを作ろうという考え方があったのではないかと考えられます」
辛酸なめ子「日本でいうと、どういう人が近いのでしょうか? 白洲正子とか?」
幅允孝「正直、僕は白洲よりソンタグのほうが理知的だと思います。白洲にはノブレス・オブリージュ(※)の感覚だったり、少しエモーショナルな部分があった気がします。でもソンタグは、まず理論から入った上で語る。どの評論でもそうでしたが、好きとか嫌いで物事を語らない人でした」
※ノブレス・オブリージュ
身分や地位の高い者はそれに応じて果たさねばならない社会的責任と義務があるという欧米社会における考え方。
現代における《キャンプ》的な感覚
幅允孝「ソンタグが『基準は変わり得る』と言っているのもキャンプの特徴の一つで。古くなったり、質が悪くなったりする過程を通じて、必要な共感が呼び覚まされる感覚――例えばちょっと前にはダサイと感じていたCHAGE and ASKAの曲「ひとり咲き」を、今なぜかすごく歌いたくなるみたいな、ソンタグが挙げていた「ひどいからいい」という感覚のようなものが現在の何かと共鳴しているところは絶対あると思うんですよね」
辛酸なめ子「最近だとドラマ『今日から俺は!!』や『バッドアート美術館展』(※)が話題になりましたものね。お台場の『チームラボ ボーダレス』も過剰な感じがあるし、キャンプ的な感じでは?」
※「バッドアート美術館展」
米・ボストンにあるバッドアート美術館が収集する「ひどすぎて目をそらせない」アートを展示し話題に(会期終了)
幅允孝「自然が反転して、過剰に人工的な感じがありますよね」
辛酸なめ子「サンバカーニバルもキャンプ的といえそう」
幅允孝「完全にそうでしょうね。でもリオではなく浅草のサンバカーニバルですね、キャンプ的なのは」
辛酸なめ子「なるほど。あと『ル・ポールのドラァグ・レース』(※)も近いかも。ル・ポール自身は違うかもしれないけれど、出演している人たちはすごく過剰に頑張っている」
※『ル・ポールのドラァグ・レース』
ドラァグクイーン界のカリスマ、ル・ ポールが主催する勝ち抜きコンテストを舞台にしたリアリティ番組。
幅允孝「女性らしさを誇張して真似るドラァグという感覚自体は、すごくキャンプ的なところがあると思います」
辛酸なめ子「MAXはキャンプでしょうか?」
幅允孝「ひょっとしたら『今、スナックで歌うなら『U.S.A』よりMAXのほうがいいじゃん』という感覚はキャンプ的かもしれませんね。なんか話しながら、どこからどこまでがキャンプなのか全然わからなくなってきましたが(笑)。あと真面目であることを突き抜けてしまう不真面目さも、ソンタグがいうキャンプの特徴だと思います」
辛酸なめ子「真面目な不真面目さ?」
幅允孝「最初から不真面目を意識しているのではなく、失敗した真面目さ。本人はいたって真剣にやっているのに、はたから見ると『おいおい、オマエ!』となるもの。ツッコミどころがあるというのは現代のコミュニケーションにおいて一番重要なことだと僕は思うのですが、その感覚と皮肉の中に価値を見いだそうとするキャンプは近いところがあるのではないかと。純真だからこそ不純なものが入り込める余地があるという意味でいうのであれば、純真であるというのも現代版キャンプを語る上でのキーになるかもしれません」
セレブたちの装いは、どうなる?
辛酸なめ子「次のメットガラ、ソンタグだけに忖度してみんなすごい格好をして来そうですね」
幅允孝「『ジギー・スターダスト』の頃のデヴィッド・ボウイはすごくキャンプ的だと僕は感じるんですが、ああいった両性具有的な格好をする人がいるのは間違いないかと。あと巨大化した小林幸子さんが登場したらすごく面白くなりそう」
辛酸なめ子「メガ幸子(笑)」
幅允孝「ソンタグは『日本製のSF映画(『ラドン』『地球防衛軍』『美女と液体人間』)などの駄作映画にはキャンプ性がある』と言っていましたが、『地球防衛軍』は巨大ロボットが登場する日本初の映画なので。大きくても小さくても、小林幸子さんを招待すればいいのに」
辛酸なめ子「ホストを務めるレディー・ガガは、これまでいろいろとやりきってきた感じがありますが、さらにその上へ行くのか…」
幅允孝「きっと今の先にあるスタイルを考えるでしょうね。元来はカウンターだったからこそ機能していたキャンプという考え方が、メインストリームともいえるメットガラのテーマになったときに『キャンプ的なものは果たして保たれるのか?』みたいな部分もあるので、どんな人がどんな格好で来るのか楽しみです。ただキャンプを『両性具有』とか『人工的で誇張されたもの』と単純に解釈しただけだと面白くないので、日本人で参加する方は『《キャンプ》についてのノート』を読み込んだ上で装うといいですよね。みんなで集まって『これはキャンプか?』『いや、違う』 ってクイズとかやるのも面白いかも(笑)。変容し得るものだから答えはないけれど、まず語ることが重要ですし、語ること自体が60年代の批評の世界においてソンタグがやりたかったことだと思いますからね」
Photos:Kouki Hayashi, Aflo Illustration:Nameko Shinsan Text:Miki Hayashi Direction:Sayumi Gunji Edit:Sayaka Ito