ハンドニットの技術と魅力を伝える pillingsデザイナー、村上亮太の挑戦
pillingsの前身となった村上亮太の名前を掲げたブランドでは、実母とともに制作、ブランドのコンセプトも、母の存在が大きい。2018年春夏コレクションからは、村上亮太単独で手がけ、2020年、ブランド名をpillingsに改称。23年末からは、サザビーリーグの運営とサポートのもとデザイン活動を行い、創作の輪は日本全国のニッターを巻き込み広がっている。そのユニークな軌跡、24年秋冬コレクション、今後の展開について村上亮太にインタビュー。
──ブランド名の由来は?
「ブランド名を変えたのは、神戸にある会社アトリエK’sKの代表でニットデザイナーの岡本啓子さんと知り合ったタイミングで。『何か一緒にできないか』という話になり、それ以降は協業して、日本全国の手編みの職人さんとものづくりするようになりました。デザイナーひとりの思想ではなく、チームとしての活動や表現として見てもらいたいという思いがありました。pillingsは毛玉たちという意味で、人と人との関係性から生まれるものづくりを大切にし、毛玉ができるくらいまで長く愛されるブランドを目指したいという想いから付けた名前です」
──ブランドが始まったストーリーがユニークです。お母様との思い出が中心になっているとそうですね。
「きっかけは、coconogacco(ここのがっこう)の山縣良和さんと坂部三樹郎さんのアドバイスからでした。最初に、『おかんにデザインしてもらったら』と言われた時は、正直理解できなかったのですが、母と製作していく過程で少しずつ理解ができてきた感覚です。今思うと、とても芯をついたアドバイスをいただけたと感謝しています」
──最初は、違うタイプのブランドを目指していたと?
「漠然と洋服のデザインがしたいとは思っていましたが、ニットをメインとした服づくりというイメージではなかったです。coconogaccoに、小学生の頃に着ていた母親の手編みのセーターを持っていき、その服がクラスでからかわれていた話をした頃から、ハンドニットというキーワードが浮かんできました。“なぜ、母のセーターは認めてもらえなかったのか”がスタートのコンセプトとしてあったのですが、それを表現することがなかなかうまくいかなくて。母の編むセーターは、天然というか純粋な表現なので、デザインしようという欲や邪念みたいなものがなく。そのような服づくりを目指して母との共同製作がスタートしました。これは、イタリアのファッションコンペ「ITS」に出展した際の母のデザイン画とアーティスト写真です」
──お母様が作る手編みニットは、どのようなデザインだったのでしょう。
「当時の男子小学生にしては、少し可愛すぎるデザインだったと思います。自分も周りのみんなが着ているような服を着たいという気持ちはありました。服だけでなく、手編みのドアノブカバーやぬいぐるみがそこらじゅうにある家だったんです。そんな母の世界観で部屋が溢れていたので、友達が家に来るのも少し恥ずかしかったです」
──手作りがお好きなお母様だったんですね。そこから、どのようにしてファッションに目覚めていったのですか。
「本人は特に作ることが好きとは言っていなくて、糸や布が余っていたから作るくらいの感覚のようで。もしかしたら、生粋のクリエイターなのかもしれないです。当時は母の世界観を拒絶していて、自分で洋服や持つものを選んだり、部屋の中だけでも格好よくしようと努力していたと思います。そういうなかで、ファッション的な感覚を知ったのだと思います。ファッションへの目覚めは“人と同じ格好がしたい”がスタートだったと思います。クラスのおしゃれな人を真似することからはじめ、そうするうちに時々着こなしを褒めてもらえることもあり、次第に装うことに興味をもったように思います」
──ファッションブランドという存在を知るようになったのはいつごろですか。
「中学生になったら近所に古着屋ができて、そこのオーナーさんにファッションについて教えてもらいました。まだインターネットの情報も充実していなかった時代です。そのオーナーに『コム デ ギャルソンという凄いブランドがある』と、教えてもらって。兵庫県に住んでいたんですが、雑誌で調べてお店が広島県にあると。本当はもっと近い大阪にあったんですけど。中学校の卒業祝いをもらって、新幹線に乗って初めて広島店に行き、買いものしたのを覚えています。これまで見てきた服との差に大きな衝撃を受けました。唯一、予算で買えたコンバットブーツを買って帰りましたね。初めて手に入れたデザイナーズブランドだったので、嬉しかったです」
──デザイナーを目指そうと思ったきっかけは?
「高校生になりバイトを始めたので、いろんなブランドを見に行ったり、買ったりしていました。当時は、エディ・スリマンのディオール オムが全盛期。マルジェラの大阪店にも通い、店員さんがすごく丁寧に本を見せながら、マルジェラのことを教えてくれました。それまでは、見た目の珍しさやかっこよさに目を奪われていたけど、もっと社会とのつながりや時代を映すものとしての側面に惹かれていきました。作り手の哲学がこもった洋服を見たり着用したりする中でファッションデザイナーってかっこいい職業だなと思いはじめたのがきっかけです。バイトを掛け持ちしながら給料のほとんどを服につぎ込んでいました。バイトのしすぎで時間がなかったので、せっかく買った服を着て出かける機会もなく、結局バイト先に着て行くぐらいでしたが(笑)。服飾の専門学校を出て、どこかに勤めるというよりは、自分で何かやりたいとは漠然と思っていました。その後に、山縣さんのブランドwrittenafterwards(リトゥンアフターワーズ)でアシスタントとして働きながら、coconogaccoに通いました」
──山縣良和さんの存在はどのように知ったのでしょうか。
「学生時代に、雑誌『装苑』でニュークリエーターとして紹介されていたのを見ました。でっかいブラジャーを子供が引きずっている作品だったのですが、『この人、何なんだろう』と思い覚えています。writtenafterwardsは、特殊なブランドなので、いわゆる洋服ではないものも多かったように思います。ミシンを踏むよりも、ノコギリとドリルを持っていました(笑)」
──いまpillingsとしてブランドを続ける意義とは?
「幼い頃に着ていた母のセーターをファッションとして認めてもらいたいという思いで、母とふたりではじめたブランドでした。それも次第に変化していき、現在は日本全国にいるニッターさんと仕事をする中で、ハンドニットの価値をもっと上げていきたい、おこがましいですが、ニット産業をもっと盛り上げたいという気持ちが強いです。ルーツこそ日本ではありませんが、日本のハンドニットの技術力は高いと思っています。その素晴らしい技術を次の世代へ繋いでいくことがこれからもっと大切になっていくと考えています」
──ニットを中心に服を作る醍醐味は?
「糸選びから服作りが始まるのが特徴です。個人的には、布帛のデザインよりも、ニットデザインは立体的に絵を描いていく感覚に近い。また既存の編み地の組み合わせ次第で新しいものが生まれる面白さがあると思います」
──2024秋冬は、歳を重ねるにつれ忘れてしまったものやことに思いを馳せているそうですが、どのようにコレクションを構築していったのでしょうか。
「いま、人間にとって大切なことは、創造性をもって生きていくことではないかと感じていて、それを伝えたいと思ったのが始まりです。子供の頃には見えていたものも、変わらずそこに存在しているのに、大人になるにつれて気づけなくなっているのではないか。フェンスにあいた穴の抜け道、スイミングプールの匂い、アリの行列…。時間がなかったり、効率を重視し、せわしい日々の繰り返しの中で、小さなワクワクの発見や楽しみを忘れてしまってはいないか。
そう振り返ったときに、宮澤賢治の作品にはそんな感覚が溢れていたことを思い出しました。そこで彼の作品を読み返し、言葉を探しながら、組み立てていきました。今季に限らず、心の中にふと湧き上がった思いが出発点になることが多いです」
──コレクションを象徴するかのような夜行バスの座席柄のニットは印象的でした。どんなイメージから生まれたアイテムですか。
「久しぶりに夜行バスに乗る機会があり、そのときの座席の柄が天の川みたいに感じられて。乗っていると、だんだん銀河鉄道に乗っているような気分になってきて、そういうイメージでこのニットを作りました。インターシャという技法で、色が変わるところで糸を一回結んで色を変えていくのですが、ベテランのニッターさんが、4人がかりで1ヶ月かかるくらい複雑なテクニックです。まず、最初はグラフィックデザイナーに写真を渡し、データに落とし込んでもらってからそれをパソコン作業でドット状にしていく。糸をどう使うか、どのドットにどの糸を当てはめていくのかを考えます。編むことはもちろん大変なのですが、データ作りもとても大変でした」
──今後、挑戦したいことは?
「ニットのイメージと技術をアップデートしていくことは続けていきたいです。そして、ハンドニットの魅力を飾らずに表現していくことを大切にしたい。昔は野暮ったいものをスタイリッシュに見せようと努力したこともありましたが、その行為自体が野暮ったいと思うようになりました。ネガティブにとらわれそうな部分に本質的な魅力が隠れていると思うので、そこを追求していきたいですね」
天然鉱石パーライトを埋め込んだケーブルセーター
「今季は、まずミネラルフェアなどに行き、鉱石を集めました。宮沢賢治は鉱石オタクだったらしいのですが、石の効能や占い、迷信、スピリチュアル的なものを信じるのって素敵だなと思ったんです。ずっとそういうことは興味なかったんですが。自分の想いを乗せて石を集めたりする世界観に魅了されました。石は自然に落ちているものなのに、各々値段が付いているのも面白くて。集めた鉱石をセーターに埋め込む方法は、実験を重ねて試行錯誤しました。石に穴を開けるのが何より大変でしたね。一つの穴を通すのに、超音波でゆっくり30分かけてやるので」
天使モチーフ「ニッターエンジェルズ」が埋め込まれたケーブルセーター
「宮沢賢治は星も好きだったので、その延長で天使のモチーフを作りました。星図を見て『あれって、あの星なのかな』と思ったりする。そういう時間が貴重な気がしていて。ニットに編みこまれているのは、編み物をしている天使たち。ニッターさんたちをイメージしました。オリジナルはイタリアのフリーマーケットで購入したもので、家の守り神的な存在として玄関に置いてあるんです。他にも、花を持っていたり、いくつかポーズがあります。樹脂にメッキ塗装を施し、手塗りで着色しています」
ケーブルの間からフクロウが覗いているように編みこまれたケーブルセーター
「フクロウは、インターシャという技法で編んでいます。映画や絵本など、ファンタジーの入り口って必ずフクロウいるじゃないですが。アートの世界では、『時間』や『空間』という意味もあるモチーフとして知られているらしいです。一つの記号的な存在として、引用しました」
風車パッチワークのアランセーター
「宮沢賢治の作品は、物語の始まりや終わりに必ず風が吹くんです。何か起こる前にとか、意味深なことの予兆として。『風の又三郎』という作品もありますが、モチーフとして風車を入れました。何かをものごとを進めようという思いも込めています。偶然にもこのシーズンのファッションショー当日も、とても風が強い日でした」
星柄のネックラインのジップアップアランカーディガン
「ネックラインが星の柄になっているカーディガンです。これも宮沢賢治作品から着想を得、首まわりを星にしたいというところからデザインを起こしました。ハンドニッターにより変則的に編み込まれたケーブルワークがポイントです」
ゴッホ『糸杉』の刷毛目を落とし込んだアランセーター
「2種類の糸を使用し、手編みで仕上げています。ゴッホの絵を参考にした柄で、ケーブルニットで『糸杉』を表現。糸杉の筆のタッチをケーブルで追いかけています。宮沢賢治は『春と修羅』という唯一の詩集があって。その中のサイプレイスという英単語が出てくるのですが、糸杉という意味なんです。まっすぐ高く伸びている木なので、天国と地獄をつないでいると言われています。日本だと神社に生えていますよね。生死の表現として、宮沢賢治の作品にもよく出てきます」
pillings
URL/https://pillings.jp/
Instagram/@pillings_
Photos:Ai Miwa Interview & Text:Aika Kawada Edit:Masumi Sasaki