注目の人気俳優ハリス・ディキンソンの才気あふれる初監督作『URCHIN/アーチン』

俳優ハリス・ディキンソン(1996年生まれ)が監督として鮮烈な第一歩を踏み出した。『キングスマン:ファースト・エージェント』(2021年)、『逆転のトライアングル』(2022年)、『ザリガニの鳴くところ』(2022年)、『アイアンクロー』(2023年)、『ベイビーガール』(2024年)などへの出演で知られ、サム・メンデス監督が手がけるビートルズの伝記映画『The Beatles – A Four Film Cinematic Event(原題)』では、ジョン・レノン役を演じる予定。この英国出身の若きスターは、20代の最後に放った長編初監督作『URCHIN/アーチン』で、自らが生まれ育ったロンドンの街へと視線を向ける。

ケン・ローチの系譜を受け継ぎ、その先へ。
ストリートの周縁に生きる“クズ青年”の内奥を優しく見つめた傑作の登場
タイトルの“URCHIN”とは、浮浪児やはみ出し者を意味する言葉だ。主人公はロンドンの路上で暮らす青年マイク(フランク・ディレイン)。炊き出しに並び、人々に小銭を求めながらその日暮らしを続ける彼は、ある日、自分に親切に接してくれた男性サイモン(オケジー・モロ)の腕時計を衝動的に盗み、すぐ質屋に持ち込んで結局逮捕されてしまう。服役を経て社会復帰の機会を得たマイクは、ホテルの厨房で働きはじめ、新しい人間関係にも恵まれる。しかし人生を立て直そうとするたび、彼は同じ場所へと引き戻されるように転落を繰り返していく。
物語だけ追えば、アンダークラスと呼ばれる長期的な失業者、路上生活者、低福祉受給者の実態を見つめ、深刻な依存症や貧困を扱った社会派ドラマのようにも映る。しかし本作が際立っているのは、主人公を社会制度の被害者としても、あるいは自己責任の帰結としても、決して単線的に描こうとはしない点だろう。

実際、マイクは厄介な人物である。彼は自身に手を差し伸べてくれる人たちの善意を何度も裏切る。序盤で親切にしてくれたサイモンに“恩を仇で返す”のがその典型だが、出所後も彼は周囲の期待を裏切り続ける。ホテルの上司や同僚、社会福祉士、恋人になり得た女性。彼らは皆、マイクを支えようとする。しかし彼は嘘をつき、見栄を張り、自ら関係を壊していく。そこには単なる人格の欠陥では片付けられない困難がある。
マイクは先のことを長期的に考えるのが苦手だ。目の前の欲求や衝動に支配され、場当たり的な判断を積み重ねてしまう。出所後には「起業を考えている。高級ドライバーを派遣するビジネスを始めたいんだ」と社会福祉士のナディア(バクソ・ディロン=ウーリー)に夢を語る。しかしその言葉は明らかに現実から遊離している。何かを変えたいという意志自体は本物なのだろう。だが、変えるために何をすべきかが見えていない。

監督のディキンソンは、この主人公を断罪も美化もしない。実のところ、彼はニュースター俳優として世界的な飛躍を遂げる一方、2019年頃から地元ロンドンでホームレス支援の現場に携わってきた。また劇中のマイクが働く厨房のホテルや、サウスバンク・エリアの清掃現場には、ディキンソン自身がかつて経験した労働の記憶も反映されているという。つまり“現場のリアル”を知っているからこそ、この映画には貧困を主題とする作品にありがちな“概念的な正しさ”の押しつけがない。映し出されるのは、社会の周縁へ追いやられた人々の日常に対する、驚くほど具体的な眼差しである。
そうした姿勢は、英国映画が長く培ってきたリアリズムの伝統にも連なっている。1950年代から60年代に台頭した文化運動「怒れる若者たち(Angry Young Men)」を起点とし、フリー・シネマやキッチンシンク映画へと受け継がれた潮流。さらにケン・ローチ、マイク・リー、シェーン・メドウズ、アンドレア・アーノルドらへと至るその映画的実践は、労働者階級や社会的弱者の現実を見つめ続けてきた。『URCHIN/アーチン』もまた、その豊かな蓄積から生まれてきた一本といえる。

手持ちカメラで捉えられるロンドンの街並み。行政機関や福祉サービスとの接点。庶民的で皮肉なユーモア。時に笑いを交えながら苛酷な現実を見つめる眼差しは、確かにケン・ローチ作品などを想起させる。しかも本作が興味深いのは、そこからさらに別の位相へと踏み込んでいる点だ。ローチ映画では、制度や政治への怒りがしばしば明確な輪郭を帯びる。対して『URCHIN/アーチン』が試みるのは、ひとりの若者の行動原理を一切単純化せずに描き、彼の内奥へと深く分け入っていくことだ。
“問題児”として扱われるマイクだが、彼は決して陰鬱な青年ではない。むしろ愛嬌があり、人を惹きつける魅力を備えている。例えば職場の仲間の女性ふたりと一緒に出かけ、カラオケでアトミック・キトゥンの「Whole Again」を歌う。2001年の全英No.1ヒットだけに、彼らにとっては懐かしい一曲なのだろう。その場面には束の間の青春の輝きが宿る。友人と笑い合う時間もある。清掃の仕事を通じて知り合ったアンドレア(メーガン・ノーサム)との甘いひとときもある。

だが、それらはすべて「点」として消えていくのだ。本来なら人生の転機となるはずの出会いや経験が、彼のなかで「線」へと結ばれない。絆も仕事も愛情も、その瞬間は確かに存在しながら持続しない。あらゆるものが途切れ、再び同じ場所へと引き戻される。その反復と停滞こそが、本作の見つめる痛みの核心となる。
映画としての説得力を大きく左右しているのが、マイクに扮するフランク・ディレインの圧倒的な演技だろう。自分で自分の感情を処理できない──そうした困難と矛盾を抱えた人物を、ディレインは驚くほど繊細な身体感覚によって演じきる。彼の表情には罪悪感がある。恥もある。しかし同時に傷ついた自尊心や戸惑いも混在して、行き場を失っているかのようだ。その複雑な内面模様を、説明的な台詞に頼ることなく鮮やかに表現してしまうのである。
この卓越したディレインの生々しい実在感に呼応するように、ディキンソンは徐々に現実の輪郭を揺るがせ、作品設計そのものの力でマイクの精神の深部へと降りていく。シャワーの排水口から地下の異空間へ通じる幻覚的なイメージ。夢とも現とも判然としない視覚表現。社会の周縁に追いやられた若者の姿を描いていた物語は、やがて彼自身の心象へと姿を変えていく。ストリートとマジックリアリズムの融合は、若者たちの閉塞を見据えながら現実と幻惑の境界を自在に横断した『トレインスポッティング』(1996年)にも通じるものだろう。

そして本作がたどり着くのは、「理解しきれない他者と、いかにして共に生きるのか」というアポリア(難問)だ。多くの作品が感情移入の容易さを追求する一方で、本作はその発想自体を慎重に退ける。マイクは決してわかりやすい人物ではない。なぜ同じ過ちを繰り返すのか。しかし映画は、その感情を正誤の問題へ還元しない。むしろ他者の不可解さと向き合うことを促してくる。だから本作は裁かない。救済もしない。理想化もしない。ただひとりの人間としてマイクを見つめ続ける。その姿勢には、“共感”ベースで人間の成否を判断しがちな現代社会への静かな異議申し立てが込められているのかもしれない。重要なのは「わかる」ことではなく、「わからないまま共にある」ことだ。『URCHIN/アーチン』は、その不可欠な倫理の領域にまで踏み込んだ作品だといえる。

ハリス・ディキンソンは本作によって、第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門でカメラドール(新人監督賞)の候補となり、作品は国際映画批評家連盟賞を受賞した。さらに主演のフランク・ディレインが最優秀男優賞に輝いている。ディキンソン自身もキーパーソンとなるネイサン役で出演しているが、これは撮影直前になって配役変更を余儀なくされたためだったという。完成されたチームに新たな俳優を迎えるより、自ら演じる方が合理的だと判断した結果であり、そこに“スター”としての自己顕示は一切感じられない。何より重要なのは、この作品が優れた映画作家の出現を新たに告げたことである。鋭い社会的視線と豊かな映画的想像力を併せ持つディキンソンの監督デビューは、近年のイギリス映画における最も刺激的な才能の登場として記憶されるに違いない。
『URCHIN/アーチン』
監督・脚本/ハリス・ディキンソン
出演/フランク・ディレイン、メーガン・ノーサム、ハリス・ディキンソン
全国公開中
https://cinema.starcat.co.jp/urchin/
配給/スターキャットアルバトロス・フィルム
© Dream Space Films Ltd/British Broadcasting Corporation/The British Film Institute 2025
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito
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