90年代NYインディペンデントの伝説的な映画作家が放つ待望の最新作『トゥ・ランド』

ハル・ハートリーという名を聞けば、90年代ニューヨーク・インディペンデント映画の空気がふっと蘇る。乾いたユーモア、哲学的な台詞、ぎこちない身体の動き、そして“青臭さ”の輝き──『トラスト・ミー』(1990年)、『シンプルメン』(1992年)、『ヘンリー・フール』(1997年)などが刻んだ青春の匂いは、当時を知る者にとって忘れがたい記憶だ。その孤高のシネアストが、コロナ禍による制作中断を越え、11年ぶりに長編へ帰還したのが2025年発表の『トゥ・ランド(原題:Where to Land)』である。タイトルが示すのは、人生のどこに着地するのか、あるいは着地できるのか?という問い。ハートリーが長年抱えてきた課題についての、最新のセルフアンサー(あるいはとりあえずの呟き)でもある。

不器用で未完成な大人たちのドタバタ珍騒動──そして“青臭さ”の残響
物語は、「仕事を探してるんだ」と教会の墓地にふらりと現れた中年男の一言から始まる。清掃中のグラウンドキーパーに声をかけたその彼こそ、ジョー・フルトン(ビル・セイジ)。一見アッパーミドル風の身なりをした58歳の独身男で、かつてロマンティック・コメディで人気を博した映画監督だ。いまはセカンドライフを模索し、弁護士と相談しながら遺言書を作成中。悪化する世界情勢を見据えつつ、人々の役に立つ永続的な労働を望み、“ハズバンドリー(自然資源の保護や管理)”という言葉に心を動かされている。

しかし、このささやかな転機の予感は、思わぬ方向へ転がり始める。ジョーの遺言書作成を知った恋人でテレビスターのミュリエル(キム・タフ)が、彼が余命わずかだと早合点し、取り乱した末にこう叫ぶのだ。
「フランク・ザッパは52歳で死んだ。ブレヒトは58歳。ディケンズも……!」
この誤解は瞬く間に広まり、友人、元妻、姪、さらには見知らぬ若者たちまでがジョーのアパートに押しかける。そんなドタバタ珍騒動の渦中で、果たしてジョーの現在地と未来展望の行方はいかに……!?

ハートリー映画を知る者にとって、本作には懐かしさと新しさが同時に押し寄せる。『アンビリーバブル・トゥルース』(1989年)から始まるロングアイランドの郊外(ハートリーの地元)を舞台にした初期三部作の“青臭さ”は、今回マンハッタンで相変わらず浮遊しながら生きる“老いた青年”の姿となって甦る。6本セット9ドルの安いライトビールを飲み、プルードンの「所有は束縛である」というアナーキズムの言葉を引用しながら、スマホの電源の入れ方すら知らないジョー。成熟したというより、ただ不器用に年齢を重ねただけの“未完成さ”こそが、ハートリー映画の魅力だ。

キャストにはハートリー組の常連が集う。ジョーを演じるビル・セイジはハートリーの大学の後輩であり、初期からの盟友。ロバート・ジョン・バークやイーディ・ファルコも顔を揃え、同窓会のような温かさが漂う。特にちょろちょろ暇そうに現れて、ジョーの自宅でレスポールを弾いたりするエリック役のジョージ・フィースター──大学卒業制作短編『Kid』(1984年)から出演してきた古参──が絶妙な存在感。
一方、ジョーの大学生の姪ヴェロニカ(ケイトリン・スパークス)の瑞々しさは、初期作品のアイコニックなヒロイン像を思わせ、作品にフレッシュな風を吹き込む。第51回カンヌ国際映画祭で脚本賞を獲得した『ヘンリー・フール』に続く『フェイ・グリム』(2006年)、『ネッド・ライフル』(2014年)の三部作で培われた話芸が、初期回帰の温度と共に作家としての成熟を示し、弁護士オフィスに貼られた『FLIRT/フラート』(1995年)のポスターなどセルフオマージュも楽しい。

編集にはジャン=リュック・ゴダールの影響が滲み、黒画面の挿入やタイポグラフィなどが随所で特異なリズムを刻む。物語構造はスクリューボール・コメディのオフビートな応用形。ミュリエルの勘違いを皮切りに、友人、元妻クララ、自称息子の青年とその友人(ミックとキースという名で、劇中で「ローリング・ストーンズかよ!」とツッコミが入る)までが押しかけ、饒舌な会話劇が展開する。その中で浮かび上がるのは、自己決定が定まらないまま漂い続ける生のかたちだ。

音楽は例によってハートリー自身が手がけ、インディギターポップの軽やかな響きにビートルズ「プリーズ・プリーズ・ミー」の一節が紛れ込む瞬間、“青臭さ”の残響が胸を温める。誰もが年齢を重ね、終わりを意識し始めるが、その先にはまだ見ぬ景色が広がっている。人生の着地点を探すジョーの姿はハートリー自身と重なり、着地とはどこかに到達することではなく、いま立っている場所を受け入れることだと我々観客にそっと気づかせる。“老いた青年”たちのチャームは輝きを失わず、むしろ年齢を重ねたからこそ深く、柔らかく沁みる。『トゥ・ランド』は、ハートリーの成熟と未成熟が美しく同居した静かな傑作であり、リスボン映画祭2025最優秀賞を受賞した。
『トゥ・ランド』
監督・製作・脚本・音楽/ハル・ハートリー
出演/ビル・セイジ、キム・タフ、ケイトリン・スパークス、ロバート・ジョン・バーク、イーディ・ファルコ
公開中
https://toland-movie.com/
©Hal Hartley / Possible Films, LLC
配給:ポッシブルフィルムズ
配給協力:ユーロスペース、Gucchi’s Free School
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito
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