
鬼才監督ダーレン・アロノフスキー(1969年生まれ)が、まさかの“ど直球エンタメ”を投げ込んできた。『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000年)や『レスラー』(2008年)、『ブラック・スワン』(2010年)、『ザ・ホエール』(2022年)など、これまで観客の心を容赦なく締め上げきた彼が、今回放ったのは、なんと笑ってドキドキしてスカッとできるクライムアクション。「まず何より“楽しい映画”を作りたかった」という監督本人の言葉どおり、実際めちゃくちゃ面白い。その意外な軽やかさに驚かされつつ、同時にアロノフスキーの特徴的な個性が確かに息づいているのが興味深い。ジャンル映画の形式を借りたことで、むしろ作家性がより鮮明に立ち上がっている側面もあるのだ。そんな注目の最新作が、2025年8月29日に米国公開となった痛快作『コート・スティーリング』である。

オースティン・バトラーが猥雑な都市空間で犯罪に巻き込まれる
物語の時代設定は1998年。舞台となるのは米ニューヨークシティーの下町。ロウアー・イースト・サイドを起点に、チャイナタウン、コニーアイランド、ブライトン・ビーチ、そしてクイーンズのフラッシングといった、ニューヨークでも特に多様性が濃縮されたエリアだ。民族も文化も宗教も入り混じる“サラダボウル都市”の混沌が、画面の隅々までみっちり詰まっている。アロノフスキー監督が長編デビュー作『π』(1998年)を撮っていた頃に実際に暮らしていた地域でもあり、彼にとっての原点回帰でもある。原作はチャーリー・ヒューストンの同名小説(2004年発表)で、脚本も彼が単独で執筆。アロノフスキーとは旧知の仲らしい。

主人公の青年ハンク・トンプソンを演じるのはオースティン・バトラー。『エルヴィス』(2022年/監督:バズ・ラーマン)の主演や『デューン 砂の惑星PART2』(2024年/監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ)の悪役などで絶好調の彼だが、かねてからアロノフスキー作品の大ファンだったらしく、念願のタッグがここで実現した形だ。
ハンクはカルフォルニア州パターソン出身という設定。かつて地元にいた頃、メジャーリーグ入りを期待された元高校野球のスター選手だったが、事故と酒で人生を踏み外し、今はNYイースト・ヴィレッジの店でバーテンダーとして働き、恋人イヴォンヌ(ゾーイ・クラヴィッツ)と付き合いながら静かに暮らしている。ところが同じ安アパートに住むパンクスで変わり者の隣人ラス(マット・スミス)から、猫の世話を頼まれたことがきっかけで、予想もつかぬ大混乱と絶体絶命の大ピンチに巻き込まれていく。

タイトルの『コート・スティーリング(Caught Stealing)』とは「盗塁失敗」を意味する野球用語で、広義では「チャンスをつかもうとして失敗すること」を指す。主人公ハンクがかぶるサンフランシスコ・ジャイアンツのキャップは、失われた未来の象徴であり、同時にタイトルが示す“失敗した者”の烙印を体現している。アロノフスキー作品において、自らの弱さに抗えず破滅へと向かう人物像は繰り返し描かれてきたが、本作のハンクもまたその系譜に連なる“アロノフスキー的主人公”である。

やがてロシアンマフィアの二人組、プエルトリコ系ドラッグディーラー、超正統派ユダヤ教ハシド派の殺し屋兄弟……ニューヨークの多民族性がそのまま裏社会のカオスとして押し寄せ、ハンクの生活は地獄絵図に。逃げても逃げてもトラブルは増えるばかりで、ついには取り返しのつかない悲劇が起こり、どん底まで落ちたハンクはどうにか形勢逆転に打って出ようとする。
ここで面白いのは、アロノフスキーが長年描いてきた“ADDICTION(依存、中毒)”というテーマを、今回は重苦しい心理劇ではなく、アクションとブラックユーモアを混ぜた“ジェットコースター型エンタメ”として描いていることだ。腎臓を失って酒が飲めなくなっても、ハンクは問題から逃げ続ける性質を変えられない。その転落ぶりを観客が笑いながら、時にはあきれ、併走するように追いかける展開は、アロノフスキーが自らの個性をシンプルかつ陽性に再構築したような新境地を感じさせる。

撮影はアロノフスキーの学生時代からの盟友マシュー・リバティーク。『π』から続く名コンビが、ロケーション撮影とデジタル処理を組み合わせて1998年のニューヨークの猥雑な空気を蘇らせた。伝説のレンタルビデオショップ「キムズビデオ」の店頭や、9.11以前のシンボルであったツインタワーが映り込むのも、当時の“生の都市”を封じ込めようとする監督の意図が感じられる。さらにカーチェイスやクラッシュなどのリアルアクションも盛りだくさん。アロノフスキーが本気で娯楽映画を作りに来ている熱がびんびん伝わる。またNYPDのローマン刑事(レジーナ・キング)が「ヴェセルカの白黒クッキー」を好むといった細部の描写からは、監督がニューヨークを単なる背景ではなく、文化の層が積み重なった“記憶の街”として扱っていることがわかる。

『コート・スティーリング』は、鬼才アロノフスキーが原点の街へと帰り、混沌と暴力とユーモアをこれまでにない軽やかさで織り交ぜたポップなエンタメ快作。アート系監督が本気で遊ぶと、こんなに楽しい映画になるのか――その驚きがずっと続く一本だ。主人公ハンクの母親を演じる某ベテランスターがノンクレジット出演で登場する、終盤のサプライズにも注目!
『コート・スティーリング』
監督/ダーレン・アロノフスキー
出演/オースティン・バトラー、レジーナ・キング、ゾーイ・クラヴィッツ、マット・スミス
全国公開中
https://caught-stealing.jp/
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito
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