弱冠26歳でのカンヌ選出も話題!映画『見はらし世代』 | Numero TOKYO
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弱冠26歳でのカンヌ選出も話題!映画『見はらし世代』

注目すべき新鋭シネアストの登場だ。その名は団塚唯我(だんづか・ゆいが)。1998年8月東京生まれの彼は慶應義塾大学環境情報学部を中退後、映画美学校に進んで修了。26歳で発表した長編デビュー作『見はらし世代』は、2025年5月、第78回カンヌ国際映画祭の監督週間に日本の映画作家としては史上最年少で選出され、大きな話題を呼んだ(昨年の第77回カンヌの監督週間では『ナミビアの砂漠』の山中瑶子監督(1997年3月生)が27歳で最年少出品記録を打ち立てたが、団塚監督のほうが一歳若い)。

ある家族の肖像と、東京・渋谷をめぐる都市表象が重なり合う。若き才能が描く令和の『東京物語』

本作『見はらし世代』の内実を端的に形容するなら、最も若い世代の監督による“最新型の『東京物語』”になるかと思う。小津安二郎が1953年(昭和28年)に、戦後の東京における都市空間の変容と、家族の機能不全を同期させて描出した名作『東京物語』を長い射程で引き継ぐように、令和初頭の“BRAND NEW LANDSCAPE”(英題)の物語を端正な設計で紡いでいく。メインの舞台となる渋谷のランドマーク、宮下公園は、戦後の復興から始まり、東京五輪決定後の再開発、そして2020年7月28日の「MIYASHITA PARK」としてのリニューアルオープンまでの歴史を背景に持つ。劇中ではその近年の変遷が簡潔に紹介されている。ちなみに宮下公園が誕生したのが『東京物語』の公開と同じ1953年だという符合も興味深い。

物語は、ある夏の日のペンションへの家族旅行から始まる。父・高野初(遠藤賢一)は仕事に没頭し、家族との関係はすれ違い続き。彼の職業はランドスケープデザイナーで、渋谷再開発に関わる重要な局面にある。まもなく物語は「十年半後」に移り、長男・蓮(黒崎煌代)は胡蝶蘭の配達員として孤独に暮らし、母・由美子(井川遥)は既に他界。姉・エミ(木竜麻生)は同棲中の恋人との結婚を間近に控えている。

蓮は父との再会を果たすが、家族を解体した父への怒りを内に秘めている。高価な胡蝶蘭を故意に切り落とす場面など、蓮の行動には小さな抵抗の気配が漂う。一方の父・高野は、新たな都市開発の仕事が引き起こすホームレス排除に対し、会社のスタッフ(『走れない人の走り方』の監督、スー・ユチュンが演じる)から批判を受けるが、彼女に「水掛け論」と返して実質的に対話を拒絶。これはかつて妻に放った言葉と同じで、彼の変わらぬ姿勢を象徴する。

高野は一見物腰の柔らかな男だが、家族にも会社にも「父」としての権威を不器用な形で(おそらくはやや無自覚に)振るってしまう。ジェントリフィケーションと呼ばれる都市開発が抱える社会問題には、「それを考えるのは行政の仕事だ」とそっけない態度を取る。だがその姿が示す彼の本質は、創作に純粋な職人肌のクリエイターなのだとも言えるかもしれない。

『見はらし世代』は当初、複雑なエディプスコンプレックスを抱えた長男・蓮の「父殺し」的な主題を装填したものに映る。蓮を演じる主演の黒崎煌代(2002年生まれ)は外見的にも団塚唯我監督によく似ており、フランソワ・トリュフォー監督と俳優ジャン=ピエール・レオーのような“作家の分身”を感じるキャスティングでもある。だがこれは決して父を糾弾する物語ではない。むしろ怒りを乗り越え、父を「個」として批評的に見つめ直す過程が丁寧に描かれている。団塚唯我監督は短編『遠くへいきたいわ』(2022年)でも、家族に深い傷を抱えた者同士の関係を「個」へと分解し、自立への道筋を描いた。母を亡くした娘と、娘を亡くした母の出会いは、束の間の逃避行を通じて現実との距離を再編成する儀式のようだった。

今回の『見はらし世代』にも象徴的な“儀式”と呼べるシーンがある。かつて家族で訪れたサービスエリアへの再訪。気まずい空気の中、電球が破裂し、亡き母が現れて空席を埋める幻想的な演出は、カール・テオドア・ドライヤー監督の『奇跡』(1955年)などを彷彿とさせる映画的な「奇跡」を現出させるものだ。

この場面を経て、父、蓮、エミ、さらに亡き母それぞれが「個」として立ち現れる。夜の宮下公園には人々の穏やかな集いが広がり、長女・エミはピラティス教室で出会った友人のマキ(菊池亜希子)──実は彼女は父の秘書であり恋人でもある──を誘って、家族の思い出のペンションを再訪。彼女たちの束の間のシスターフッドは、過去と現在が重なり合う美しい瞬間を生み出す。

本作の魅力は、こうした人間模様を包む都市空間の描写にもある。撮影は『遠くへいきたいわ』に引き続き、名手・古屋幸一(1974年生まれ。最近は黒沢清監督の『Chime』などを手がけた)が担当。東京の風景が驚くほど新鮮かつ豊かに捉えられている。タルコフスキー『惑星ソラリス』(1972年)の首都高速や、ヴェンダース『PERFECT DAYS』(2023年)の東京描写にも通じる洗練。ステレオタイプに陥りがちな東京の都市表象において、『見はらし世代』の突出した卓越は特筆すべきものだ。建築的視点から都市をグラフィカルに捉えるその手法は、やはり小津安二郎の系譜に連なるものとも言えるだろう。

そして『見はらし世代』が提示する“新世代”的な美点と思えるのは、歩道橋の高さから世界を眺めるような中庸の視座である。肯定でも否定でもなく、変化し続ける環境を等身大で見つめる姿勢。エピローグでは、電動キックボードで舗道を滑る若者たちの姿が映し出される。ご存じ、LUUP(ループ)が2023年の道路交通法の改正を受けて開始したシェアリングサービスだ。都市論として、そして政治的な含意を持つこの風景は、静かに、しかし力強く未来への希望を示唆するかのようだ。

『見はらし世代』

監督・脚本/団塚唯我
出演:黒崎煌代、遠藤憲一、木竜麻生、菊池亜希子、井川遥
全国公開中
https://miharashisedai.com/

© 2025「⾒はらし世代」製作委員会

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人 Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。
 

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