インドの新鋭監督が美しい光を映し出す。カンヌ映画祭グランプリ受賞作『私たちが光と想うすべて』
Culture / Post

インドの新鋭監督が美しい光を映し出す。カンヌ映画祭グランプリ受賞作『私たちが光と想うすべて』

インド西海岸の大都市ムンバイ。いまや南アジア有数の国際都市であり、経済・金融の中心地。この場所から放たれた煌めく傑作『私たちが光と想うすべて』がいよいよ日本公開となった。

“幻想の街”ムンバイの夜にまぎれて──大都市の片隅で生きる女性たちの物語

監督はドキュメンタリー出身で、劇映画としてはこれが長編デビュー作となる新進気鋭のパヤル・カパーリヤー(1986年生まれ)。ムンバイは大娯楽産業としてのインド映画の本拠地だが(ボンベイという旧名から「ボリウッド」と呼ばれる)、それとはまったく異なるインディペンデントスタイルで作られたアートハウス系の作品で、フランス・インド・オランダ・ルクセンブルク合作という欧州協同の制作体制。現代インドにおける都市生活や女性たちの葛藤を繊細に描き、友情と自己発見の旅を通じて希望と自由を探し求める姿を見つめる。親からの束縛、社会のしがらみ、愛や孤独への思いが交錯する中、主人公たちは心の距離を乗り越えながら互いを支え、ありのままに生きる力強さを見出していく。

本作はグレタ・ガーウィグや是枝裕和が審査員を務めた2024年の第77回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞(パルムドールの『ANORA アノーラ』に次ぐ第二席)し、第82回ゴールデングローブ賞の監督賞と非英語映画賞にノミネート。他にも世界中の映画祭・映画賞で多数のノミネートや受賞を果たし、同年の仏『カイエ・デュ・シネマ』誌の年間ベストテンでは第5位に選出。この圧倒的な高評価を受け、カパーリヤー監督は39歳の若さにして今年(2025年)第78回カンヌ国際映画祭コンペティション部門の審査員を務めた。

物語は世代の異なる三人の女性を中心に展開する。ムンバイで看護師として働くプラバ(カニ・クスルティ)と、彼女を「お姉さん」と呼ぶ年下の同僚のアヌ(ディヴィヤ・プラバ)。ふたりはルームメイトとして一緒に暮らしているが、性格は対照的。プラバは親が決めた相手と結婚したが、夫はすぐにドイツで仕事を始め、1年以上も音沙汰がない。勤務先の病院の医師マノージとは温かな心の交流を深めているが、それ以上の進展には踏み切れない。対して奔放な性格のアヌはシアーズというイスラム教徒の恋人と熱愛中だが、異教徒との結婚を認めないであろう親はもちろん周囲にも秘密にしていた。そんな折、病院の食堂で働くパルヴァティ(チャヤ・カダム)が巨大マンション建築のため、夫を亡くしてから20年以上も独りで住むアパートの立ち退きを迫られる。仕方なく故郷の海辺の村に戻ることにしたパルヴァティを、プラバとアヌは見送ることにするのだが……。

大都会ムンバイの喧騒と、同じマハーラーシュトラ州でありながら別世界のような自然に包まれた海辺の村ラトナギリの静謐さ。その光と影の狭間で生きる女性たちの姿を、美しくも生々しい息遣いを持って浮かび上がらせる。パヤル・カパーリヤー監督の手法はフィクションとドキュメンタリー(性)を往還し、両方の要素を共存させ、どこか寓話性を伴った詩的リアリズムへと昇華させていくものだ。

例えば初の長編ドキュメンタリー映画『何も知らない夜』(2021年)では、2016年に実際に起こった政府への抗議運動、極右政党とヒンドゥー至上主義者による学生運動の弾圧事件を扱いつつ、映画を学ぶ女子学生の恋愛というフィクション要素を織り込んだ。本作は第74回カンヌ国際映画祭の監督週間でベスト・ドキュメンタリー賞に当たるゴールデンアイ賞、2023年の山形国際ドキュメンタリー映画祭インターナショナル・コンペティション部門でロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)を受賞。そして『私たちが光と想うすべて』では階級や経済格差、宗教、ジェンダーギャップといったリアルな社会問題の表象を、“幻想の街”だと劇中のナレーションで語られる夜のムンバイと、神秘的な村の風景に優しく溶け込ませていく。

インドは多言語国家であり、地域ごとに話される言語が異なるが、本作で使用されているのは、まず南インドのケーララ州で用いられているマラヤーラム語。これはムンバイで看護師として働く女性はケーララ州からの出稼ぎが多いからで、劇中ではプラバとアヌの出身地と設定されている。また演じるカニ・クスルティとディヴィヤ・プラバも実際にケーララ州の出身だ。そして連邦公用語のヒンディー語と、ムンバイの公用語であるマラーティー語も当然ベースとなる。

こういった独特の地政学の中、描かれるのは市井の日常と人生の転機、それぞれの恋愛やセクシュアリティの形、自立するための足取りを支えるシスターフッドだ。またこの映画のシンボルであり、魂となるのが“光”である。かつてウォン・カーウァイ監督が捉えた香港のような“幻想の街”──ムンバイの夜景のネオンの輝きに加え、朝日の柔らかさ、穏やかな夕陽、自然の中で揺らめく灯り。そのどれもがスクリーンからあふれ、柔らかに我々を包み込む。まるで夢の中を彷徨うような感覚をもたらす映像美は、目の前の現実と心の内に潜む願いを同時に映し出す。

友情、孤独、葛藤、自由への渇望。これらを静かに、しかし力強く描き出したこの映画の”光”は、人生の希望や未来への予感を象徴し、観る者に多くの問いを投げかける。インド映画の新境地とも呼べる『私たちが光と想うすべて』は、怒りを鎮めるメディテーションのような穏やかさと感動を残し、人生の複雑さとその美しさを映し出す。まさに“光”そのもののような散文の詩篇だ。

私たちが光と想うすべて

監督・脚本/パヤル・カパーリヤー 
出演/カニ・クスルティ、ディヴィヤ・プラバ、チャヤ・カダム
Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国公開中
https://watahika.com/

© PETIT CHAOS – CHALK & CHEESE FILMS – BALDR FILM – LES FILMS FAUVES – ARTE FRANCE CINÉMA – 2024

映画レビューをもっと見る

Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人 Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。
 

Magazine

JANUARY / FEBRUARY 2026 N°193

2025.11.28 発売

The New Me

あたらしい私へ

オンライン書店で購入する