鮮烈でパワフルなキッチンドラマの新たな傑作!『ラ・コシーナ/厨房』

レストランの裏側を描く「厨房もの」は人気ジャンルのひとつだ。最近のイギリス映画『ボイリング・ポイント/沸騰』(2021年/監督はNetflixの『アドレセンス』を撮ったフィリップ・バランティーニ)や、ゴールデングローブ賞やエミー賞に輝くドラマシリーズ『一流シェフのファミリーレストラン』(2022年~)では、特定の職場で労働環境や人種問題などを映し出した人間群像が蠢く「社会の縮図」的なドラマが展開する。
その系譜の中でも2024年のメキシコ・アメリカ合作映画『ラ・コシーナ/厨房』(監督:アロンソ・ルイスパラシオス)は、さまざまな衝突や対立を繰り返す混沌としたキッチンの人間模様が灼熱のパワーを放ち、政治的濃度はとりわけ高い。厨房内部の圧力が次第に増して、ついに限界を超えて爆発に至る──そんな説話構造を持つ本作は、第74回ベルリン国際映画祭コンペティション部門でワールドプレミア上映されて、力強い表現が大きな評判を巻き起こした。

NYマンハッタン中心地のレストランの裏側で蠢く人間模様。混沌とした内戦状態が渦を巻く
原作としてクレジットされているのはイギリスの劇作家、アーノルド・ウェスカー(1932年生~2016年没)の戯曲『調理場(The Kitchen)』。初演は1959年。これは厨房ものの原点といえる名作で、日本でも2005年に蜷川幸雄が『キッチン KITCHEN』というタイトルで舞台化して以降、演劇界ではおなじみの演目として定着している。ウェスカーは「怒れる若者たち(Angry Young Men)」という1950年代から60年代の英国で起こった労働者階級の若手作家のムーヴメントから登場した代表的なひとりであり、現実の不公平や不寛容を風刺する社会派の視点が強い。

『ラ・コシーナ/厨房』は、原作の英ロンドンから米ニューヨークに舞台を移した。マンハッタンの中心地ミッドタウンに位置するという設定の観光客向け大型レストラン「ザ・グリル」。その厨房で働くスタッフたちの1日の騒動を描くものだ。
人種のるつぼ、あるいはサラダボウルとも言われるニューヨーク。「ザ・グリル」の従業員の多くは、ビザ取得のために働く移民たちだ。コックを務めるメキシコ移民のペドロ(ラウル・ブリオネス)は、アメリカ人ウェイトレスのジュリア(ルーニー・マーラ)と恋愛関係にある。だが同じ厨房にはジュリアの元カレである白人男性マックス(スペンサー・グラニース)がグリルを担当していて、当然にもペドロとの折り合いは悪い。

映画の冒頭では、まもなく20歳になる若い女性エステラ(アンナ・ディアス)がメキシコから海を渡って上京。薄いつながりのあるペドロを頼って、「ザ・グリル」で働くためにニューヨークにやってくる。片言の英語しかしゃべれず、21歳の法定年齢に満たない彼女だが、アメリカ生まれのメキシコ人であるマネージャーのルイス(エドゥアルド・オルモス)は独断で採用を決める。しかし初出勤の朝、会計係がレジから823ドル78セントが足りないと言い出し、ただでさえカオスが渦巻く職場の中、魔女狩りのような犯人捜しが始まる……。

「商売の場と化した世界を我々は生きている。なんと騒がしいことか! 毎晩、機関車の音に起こされ、ろくに夢も見られない」──そんなアメリカの作家、ヘンリー・D・ソロー(1817年生~1862年没)の言葉の引用から始まる本作が描き出す厨房は、華やかな大都会の裏で、殺人的な激務に追われる壮絶にブラックな労働環境だ(Variety誌のレビューでは『ベン・ハー』に出てくるローマ帝国の奴隷船の調理場に喩えられた)。
主にスペイン語と英語が行き交い、異なる人種や階層が入り乱れ、恐ろしくストレスフルな一触即発の状況が続く中で、唐突に喧嘩が始まったり。同僚のスタッフ間には奇妙な序列が自動的に発生し、特にメキシコ人などヒスパニック系とアメリカ人の壁は厚く、さらに男女間のジェンダーバランスも複雑に絡まる。事態はまるで戦場だ。アメリカ社会の分断が凝縮された写し絵にもなっている様相は、例えば『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(2024年/監督:アレックス・ガーランド)にも通じる。

監督はメキシコシティー出身の気鋭、アロンソ・ルイスパラシオス(1978年生)。今回が長編4作目となる彼は、ロンドンのRADA(王立演劇学校)に留学していた際、皿洗いやウェイターの仕事をしており、その頃にウェスカーの『調理場』を初めて読んで感銘を受けたらしい。『ラ・コシーナ/厨房』では当時の労働体験と、彼自身が実感している“こことよそ”の境界線や軋轢、人間性の搾取といった主題を生々しくぶちこみ、スラップスティックのごとき狂騒的リズムで劇的に沸騰させた。舞台設定はマンハッタンだが、実際は大方メキシコのセットで撮影。登場する料理は食欲を煽情的に刺激するグルメ系や飯テロ系のカウンターとして、監督自身が〈アンチ・フード・ポルノ〉と呼ぶ“美味そうに見えない”ルックで素っ気なく差し出される。

全編がモノクロームで撮影され、アクセントとして随所にパートカラーが入る本作の映像設計は、寓意的に抽象化されたもの。時代設定も意図的にボヤかされている。だが実質的にこれは「いま」の世相にこそ痛烈に刺さる映画だ。特に2025年、第二次ドナルド・トランプ政権が始まった現在、本作で描かれた不法移民の尊厳の剥奪は切迫感を増していると言っていい。
また原作の『調理場』から引き継いだものとして、資本主義システムへの皮肉という主題もある。水槽に入れられるロブスターたちを見て、ペドロはこう言う。「どこのバカが“ロブスターを食え”と勧めたんだ? かつては貧しい人々の食料だったのに、金持ちが珍味だと褒めたせいで高級食材になった。そのうちチキンナゲットが高級料理になるかもな」。

役者陣それぞれの熱っぽい快演も特筆すべきものだが、特にハリウッドスターでもあるルーニー・マーラ(1985年生まれ)の出演は目を引く。2020年に男児が誕生してから(パートナーは俳優ホアキン・フェニックス)、プライベートの充実も大切している彼女にとって、今回は『ウーマン・トーキング 私たちの選択』(2022年/監督:サラ・ポリー)以来の出演作。才能あるクリエイターとの仕事を優先すると公言しているマーラが、ルイスパラシオス監督からの熱烈なオファーを受け、比較的小規模なインディペンデント映画への参加を選んだことは注目に値する。

ちなみに劇中のハイライトでもある14分間ノーカット撮影のワンシーン──厨房内でチェリーコークの洪水が起こる驚愕のエピソードは、ルイスパラシオス監督が妻と映画館でルーニー・マーラ主演の『ドラゴン・タトゥーの女』(2011年/監督:デヴィッド・フィンチャー)を鑑賞した際、実際に起こった同様の珍騒動が創作のヒントになったそうだ。
『ラ・コシーナ/厨房』
監督・脚本/アロンソ・ルイスパラシオス
原作/アーノルド・ウェスカー「調理場」
出演/ラウル・ブリオネス、ルーニー・マーラ
6月13日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito
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