グァダニーノ監督が贈る甘美で赤裸々な“純愛”の神話『クィア/QUEER』

『君の名前で僕を呼んで』(2017年)の名匠、イタリア出身のルカ・グァダニーノ監督がまたしても刺激的な傑作を届けてくれた。しかもメインチームは、あの全米No.1ヒットに輝く前作『チャレンジャーズ』(2024年)からの続投となる精鋭メンバーたちだ。脚本はジャスティン・カリツケス。撮影はアピチャッポン監督作も手がけたタイ出身のサヨムプー・ムックディプローム。音楽はナイン・インチ・ネイルズことトレント・レズナー&アッティカス・ロス。そして衣装はロエベを退任し、ディオールのメンズ アーティスティック・ディレクターに就任が発表されたジョナサン・アンダーソン!

“脱『007』”のダニエル・クレイグが伝説の異端作家バロウズの世界に挑む
彼らが今回挑んだのは、なんとウィリアム・S・バロウズ(1914年生~1997年没)の未完の小説。ビートニクの範疇にも収まりきらない異端中の異端作家が、30代後半にメキシコシティで暮らしていた頃の実体験をもとに綴った『クィア/QUEER』だ。同じく自伝的内容のデビュー作『ジャンキー』と連なるように1951~53年あたりに執筆されたが、結果的に中断し、序文やエピローグを加筆して1985年に出版。邦訳は1988年にペヨトル工房から刊行されている(訳:山形浩生+柳下毅一郎)。グァダニーノ監督はシチリア島のパレルモ在住だった17歳の頃にこれを読んで衝撃を受け、21歳の時から具体的に映画化を夢見てきたらしい。

「あんな痛々しい、不快な、心を引き裂く思い出を、どうしてあそこまで注意深くまとめなければならなかったのだろう」──原作の序文でバロウズがそう記述しているように、『クィア/QUEER』は痛切で赤裸々な“純愛”の記録である。『007/カジノ・ロワイヤル』(2006年)から『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(2020年)まで6代目ジェームズ・ボンド役を務めた大スター俳優、ダニエル・クレイグが、生成りのリネンスーツとパナマ帽に身を包み、バロウズの分身あるいは自画像的な主人公であるウィリアム・リーを演じる。

1950年代、メキシコシティ。うだるような暑さの夏を、酒や薬物に溺れながらやり過ごしていたアメリカ人駐在員のウィリアム・リー(ダニエル・クレイグ)。彼はある夜、闘鶏に盛り上がる群衆の中、若く美しいGIの青年ユージーン・アラートン(ドリュー・スターキー)を見かけ、一瞬で目と心を奪われる──。
作家自身を投影した主人公が、年齢の離れた美男子に魅入られる物語。このウィリアム・リーとユージーンの関係性から、トーマス・マン原作、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』(1971年)を連想する人は多いだろう。ヴィスコンティはテーマ曲に、陶酔的な美しさを持つグスタフ・マーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」を使ったが、『クィア/QUEER』の電撃的な出会いのシーンで流れるのは、ニルヴァーナの「Come As You Are」だ。1991年の名盤『ネヴァーマインド』に収められた楽曲なので時代設定を超えた選曲だが、これはカート・コバーンが熱心なバロウズのファンであり、1993年には「The Priest They Called Him」というコラボレーションシングルも発表したことが踏まえられている。
また映画の冒頭を飾るナンバーは、2023年に亡くなったシネイド・オコナーによるニルヴァーナのカヴァー「All Apologies」だ。さらに2016年に没したプリンスの「Musicology」も使われる。あるいはニュー・オーダーの初期(1983年)の楽曲「Leave Me Alone」なども含め、ここには伝説のアーティストたち同士の、魂の共鳴という意図が込められていると考えていいだろう。

同時に本作は前衛的かつダーティーなバロウズ世界のポップでカラフルな変奏版ともいえる。本作の撮影は主にローマのチネチッタ・スタジオに建設された巨大セットで行われた。ざらついたリアリズムではなく、清潔に抽象化された人工空間としてのメキシコシティを舞台に、甘美でありながら痛ましく切ない恋の次第がロマンティックに演出される。これはまさしくグァダニーノ監督ならではのユニークな解釈と判断だ。なおウィリアム・リーとユージーンが一緒に映画館でジャン・コクトー監督の『オルフェ』(1950年)を観るシーンは原作小説にも記述がある。ギリシャ神話のオルフェウス伝説と共に、主演したジャン・マレーとコクトーの蜜月関係も、愛の神話を補強する重要なワンパーツとして扱われているはずだ。

作品は三幕構成(+エピローグ)の枠組みを取っており、物語はやがて南米エクアドルのジャングルに場所を移していく。ウィリアム・リーとユージーンが出会う植物学者のコッター博士は、原作では男性だが、映画ではレスリー・マンヴィルが怪演する女性として描かれている。眩惑感と酩酊感あふれる混沌とした展開の中、バロウズが1951年9月に起こしてしまった忌まわしき事件──ふざけて英雄ウィリアム・テルを真似ているうち、当時の内縁の妻ジョーンを誤って射殺したことの記憶/イメージも反映される。この事件に関しては、(奇しくもカート・コバーンの妻だった)コートニー・ラヴが主演した映画『バロウズの妻』(2000年/監督:ゲイリー・ウォルコウ)もご参照いただきたい。

こういったバロウズの特異すぎる世界を、彼をこよなく敬愛するグァダニーノ監督は“自分のもの”としてハックする形で美学的に作り上げた。監督は『赤い靴』(1948年)などマイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガーの映画へのオマージュを込めたとも語っている。最大の共闘者となった主演のダニエル・クレイグは当代きってのスター俳優でありながら、まさしく驚嘆の新境地へと大胆に踏み込んだ。また相手役ユージーンに大抜擢された1993年生まれのドリュー・スターキーは、『君の名前で僕を呼んで』のティモシー・シャラメらに連なるような、グァダニーノ監督が“発見”した注目の新星として熱狂的に迎えられている。

エンドロールで流れるのはレズナー&ロスのオリジナル曲で、カエターノ・ヴェローソが歌う「Vaster Than Empires」。本作は2024年、第81回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に出品。ジャーナリストの下馬評ではトップクラスの評価を集めた。ダニエル・クレイグは第82回ゴールデン・グローブ賞の主演男優賞(ドラマ部門)などにノミネート。ナショナル・ボード・オブ・レビューでは2024年のトップテンムービーのひとつに選ばれ、クレイグは主演男優賞を受賞。またカルト映画の帝王、ジョン・ウォーターズ監督が毎年選んでいる恒例企画の年間ベストテンムービーにおいて、本作は2024年の第2位にランクインを果たした。他にもアグニエシュカ・ホランド監督やドゥニ・ヴィルヌーヴ監督らが自身のお気に入り映画としてリストアップするなど、多方面で高い評価を受けている。北米配給はA24。
なお同じ5月9日(金)から、バロウズ本人が全面協力した1983年の貴重なドキュメンタリー映画『バロウズ』(監督:ハワード・ブルックナー)も劇場公開。併せてご注目を!
『クィア/QUEER』
監督/ルカ・グァダニーノ
出演/ダニエル・クレイグ、ドリュー・スターキー
5月9日(金)より、 新宿ピカデリーほか全国公開
https://gaga.ne.jp/queer/
©2024 The Apartment S.r.l., FremantleMedia North America, Inc., Frenesy Film Company S.r.l.
配給:ギャガ
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito
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