ハイエナジーの女性賛歌が打ち鳴らされる、現代の神話『エミリア・ペレス』 | Numero TOKYO
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ハイエナジーの女性賛歌が打ち鳴らされる、現代の神話『エミリア・ペレス』

今期の賞レースを賑わせた大物映画がいよいよ日本上陸。2024年の第77回カンヌ国際映画祭ではメインの4人全員を対象にした女優賞(アンサンブル賞)と審査員賞をW受賞。今年の第82回ゴールデンクローブ賞では作品賞(ミュージカル/コメディ部門)を含む最多4部門受賞。第97回アカデミー賞では最多12部門13ノミネートを果たし、助演女優賞(ゾーイ・サルダナ)と歌曲賞の2部門で受賞した。その特異かつゴージャスなエンタテインメント性で世界を席巻し、多くの観客を魅了した話題作が『エミリア・ペレス』だ。

世界各国の映画祭・映画賞を魅了した話題のごった煮ミュージカル

物語の舞台はメキシコを中心に世界各国を飛び回るもので、言語は主にスペイン語。だが実のところ、これはフランス映画である。監督はジャック・オーディアール(1952年生まれ)。『天使が隣で眠る夜』(1994年)で監督デビュー以降、『リード・マイ・リップス』(2001年)や『真夜中のピアニスト』(2005年)といったフィルムノワールをはじめ、カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを獲得した『預言者』(2009年)、同映画祭でパルムドールに輝いた『ディーパンの闘い』(2015年)、西部劇『ゴールデン・リバー』(2018年)、セリーヌ・シアマとレア・ミシウスという気鋭の女性監督を共同脚本に迎えた瑞々しい群像劇『パリ13区』(2021年)など、常に自らを拡張し、多彩な映画を撮り続けてきた72歳の名匠。そんな彼が今回はなんとミュージカルに初挑戦。脚本はオーディアール自身のほか、レア・ミシウスらが協力参加している。

お話の起点はメキシコシティ。弁護士のリタ(ゾーイ・サルダナ)は自身の秀でた能力をボスの男性に搾取されるばかりで、冴えない日々を送っていた。そんな彼女のもとに驚愕の仕事が舞い込む。それはメキシコ全土を恐怖に陥れている麻薬カルテルのリーダー、マニタス・デル・モンテ(カルラ・ソフィア・ガスコン)からの「女性としての新たな人生を用意してほしい」という極秘裏の依頼だった。そこでリタは腕利きの医師を探すため各国を奔走し、完璧な計画を立て、マニタスは性別適合手術を受けることに成功。彼の妻ジェシー(セレーナ・ゴメス)ら遺族、また世間にはマニタスは死んだと伝えられた。それから4年後、イギリスのロンドンで新たな人生を歩んでいたリタの前に、「エミリア・ペレス」という慈悲深い女性として生きるマニタスが現れる……。

メキシコの麻薬王という暗黒の過去を捨てたエミリア・ペレスをめぐり、多様な女性たちの生き方が運命的に交錯していく展開。作風はミュージカル仕立て──しかも米国のハリウッドやブロードウェイ型の厳しいプロフェッショナリズムを求める演出とは違う、アマチュア的なユルさや可笑しみを活かしたフレンチ・ミュージカル映画の作法を基調としながらも、実質はごった煮的なジャンルミックスだ。133分の尺の中に、コメディ、ミステリー、アクション、ヒューマンドラマなどあらゆる要素がぶち込まれている。オーディアール監督は当初オペラをイメージしていたらしいが、出来上がった作品はもはやインド映画に近い。いろんな具材がいっぱい入って、ぐつぐつ煮えたぎっているような作品設計は、とんでもなく刺激的でエモーショナルだ。

アカデミー賞歌曲賞に輝いた「El Mal」をはじめ、音楽を手がけたのはパートナー同士でもあるカミーユとクレモン・デュコル。振付はベルギー出身のダンサーであり、『サスペリア』(2018年/監督:ルカ・グァダニーノ)のダンスシーンなども務めたダミアン・ジャレが担当している。

そして圧倒的に素晴らしいのが、この“歌と踊り”を肉体化しながら各々異なる女性像を体現する、カンヌでアンサンブルを讃えられたメインキャストの4人だ。男性優位や出自的な階層の壁を乗り越えていく弁護士リタ役は、『アバター』(2009年/監督:ジェームズ・キャメロン)や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014年/監督:ジェームズ・ガン)などでおなじみのゾーイ・サルダナ(1978年生まれ)。ドミニカ出身という設定のリタと同様に、サルダナもドミニカとプエルトリコにルーツを持つ移民二世である。麻薬王マニタス・デル・モンテから“新生”するエミリア・ペレス役は、スペイン出身のカルラ・ソフィア・ガスコン(1972年生まれ)。トランスジェンダー女性として史上初のカンヌ国際映画祭女優賞を受賞、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされる快挙も成し遂げた。マニタスの妻として旧来的な女性の葛藤や苦悩を示すジェシー役は、セレーナ・ゴメス(1992年生まれ)。そして長らく夫のDVに苦しみ、エミリア・ペレスと出会って新たな愛を見つけ出すエピファニア役は、『ルド and クルシ』(2008年/監督:カルロス・キュアロン)などで知られるメキシコ出身のアドリアーナ・パス(1980年生まれ)。

おそらくオーディアール監督はこの4人の在り方に、女性賛歌としてのさまざまな主題を込めたのだろう。その中でも核心的なものとして浮かび上がってくるのは“贖罪”というテーマだ。男性の肉体から解放され、女性として新しい人生を選んだエミリアは、父親として満足に接することができなかった自分の子どもたちとあらためて親密に生きたいという願望を叶えようとする。さらに麻薬王という過去への深い悔恨から慈善事業を始める。

実を言うと、この“贖罪”をめぐるエミリア・ペレスの宿業は、カルラ・ソフィア・ガスコン自身の身に降りかかった炎上事件と皮肉にも重なるところがある。今年の1月下旬、SNSに投稿していた過去の差別発言が掘り起こされ、それまでの賞賛の嵐から一転、手のひら返しで世間からのバッシングが始まった。もちろんガスコンは公の場で真摯に謝罪したわけだが、自分の過去に復讐されるといった局面に、劇中のエミリア・ペレスもぶち当たることになる。デジタルタトゥーという言葉が示すように、以前の行動や言動、過ちの一部が半永続的に、社会の目との相関の中で裁かれる傾向が苛烈化している風潮において、“良い人間”として生き直そうとするエミリア・ペレスの必死の希求は、極めて現代的な問題提起とも言えるかもしれない。

これは本作を観れば分かることだが、映画に刻まれたカルラ・ソフィア・ガスコンの芝居と存在感は誰の目にも圧巻である。とりわけ印象的なのは発声の演技だ。麻薬王マニタスのドスの効いた威圧的な男性の声と、エミリア・ペレスの慈愛に満ちた柔らかな女性の声。両極に渡るレンジのグラデーションをこの登場人物は持っている。確かに人間の内面は幅広く、彩度や濃淡は連なって徐々に変わっていくものであり、決してひとつのカラーに収まるものではない。単色的ではないからこそ、矛盾を抱えているようにも見える。だから“悪い一点”だけを指摘して、それをその人の全人格と見做すことはナンセンスなはずだが、しかし取り返しのつかない行為を働いた場合、決して“なかったこと”にはできず、相応の責任を自ら背負わねばならないのも、また現実だ。

『エミリア・ペレス』はこういった人間の宿業を、聖と俗の全域で見据えようとした現代の神話とも呼べるだろう。語り口や映像はリアリズムから遠く離れ、破天荒なストーリーを可能にし、あらゆる主張や理念を包括できる抽象空間が採用されている(どこか“無国籍風”でもある。舞台設定としてはタイのバンコク、イスラエルのテルアビブ、スイスのローザンヌなどに移り変わるが、実際はすべてフランスで撮影!)。オーディアール監督が仕掛けたフィクションならでの挑戦と達成だ。その中で謳われる(=歌われる)のは、自分らしく生きることの勇気。楽しく、熱っぽく、この物語に身を委ねるうち、心の奥のほうにぶっ刺さるメッセージと、明日に向かうエネルギーをもらえるはず!

『エミリア・ペレス』

監督/ジャック・オーディアール
出演/ゾーイ・サルダナ、カルラ・ソフィア・ガスコン、セレーナ・ゴメス、アドリアーナ・パス
制作/サンローラン プロダクション by アンソニー・ヴァカレロ
全国公開中
https://gaga.ne.jp/emiliaperez/

配給/ギャガ
© 2024 PAGE 114 – WHY NOT PRODUCTIONS – PATHÉ FILMS – FRANCE 2 CINÉMA
COPYRIGHT PHOTO : © Shanna Besson

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人 Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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