奇跡の実話をケイシー・アフレック主演で映画化『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』 | Numero TOKYO
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奇跡の実話をケイシー・アフレック主演で映画化『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』

1979年、まだ共に10代だった兄弟がデュオを組んで1枚のレコードを作った。それがドニー&ジョー・エマーソンのアルバム『Dreamin’ Wild』だ(ドニーが弟で、ジョーが兄)。カナダに近い米ワシントン州の田舎町フルーツランドの農場に、彼らの父親が作ってくれた自宅スタジオで録音した自主制作盤。ただし当時はまったくの鳴かず飛ばず。ところが約30年後の2008年、レコードコレクターのジャック・フライシャーが同じワシントン州のアンティークショップで本盤を発見。自身のブログで取り上げたことから、やがて広い認知に火がついた。

珠玉の音楽映画にして、家族の深い愛情を描き出したヒューマンドラマの傑作

不意のタイミングで訪れた評価は、当のエマーソン兄弟と彼らの家族にどういった変化や騒動をもたらすのか──。この奇跡的な実話を描いた珠玉の傑作が2022年のアメリカ映画『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』だ。主演のドニー・エマーソン役は『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(2016年/監督:ケネス・ロナーガン)でオスカーに輝いた名優ケイシー・アフレック。彼の妻ナンシー役にはShe & Himとして活躍するミュージシャンであり、『(500日)のサマー』(2009年/監督:マーク・ウェブ)などの好演で知られるズーイー・デシャネル。本作は第79回ヴェネチア国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門に正式出品。想定外の脚光に翻弄される現在の様子と、音楽への夢にあふれていたティーンの日々の回想パートを並行して描いていく。

物語は2011年の夏の終わりが起点となる。家業の農園を営みながらバンド活動を細々続けているドニー・エマーソン(ケイシー・アフレック)と彼の家族たちは、約30年前に自主制作したレコードがいつしか注目を浴びていることを知る。2012年には日本の名盤もたくさん発掘しているシアトルの人気リイシュー・レーベル、ライト・イン・ジ・アティック(Light in the Attic)から再発盤がリリースされ、米国の有名音楽メディアのピッチフォークでは8.0点(満点は10点)という高得点をマークした(評者はアンディ・ベータ)。音源でドラムを担当していた兄のジョー(ウォルトン・ゴギンズ)を含む家族や仲間は、遅れてきた社会的成功に盛り上がるが、ドニーはそこで複雑な葛藤を浮上させる。

傑出したソングライターであり、ドラム以外のほぼ全パートの演奏と歌唱を手がけていた天才肌の彼は、いまも妻のナンシー(ズーイー・デシャネル)らと音楽を続けている。しかし世間が求めているのは10代の時に録音した“昔の曲”だ。降って湧いたセカンドチャンスに直面することで、やがて真正のアーティストであるドニーと、周囲との温度差が広がっていく──。

監督・脚本は1955年生まれのビル・ポーラッド。基本的には『ブロークバック・マウンテン』(2005年/監督:アン・リー)や『それでも夜は明ける』(2013年/監督:スティーヴ・マックィーン)、『アメリカン・ユートピア』(2020年/監督:スパイク・リー)などのプロデューサーとして高名な彼だが、時折自ら監督業も手がけており、『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』は長編第3作となる。先述したピッチフォークの評者、アンディ・ベータは、ドニー&ジョー・エマーソンの音楽をザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンと重ねて「ティーンエイジャーに捧げる神のシンフォニー」という言葉を使い、レビューを締めくくっているのだが、まさしくポーラッド監督は前作『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』(2014年)で天才ブライアン・ウィルソンの孤独な葛藤を描いた。ポップミュージック史上最高の名盤と呼ばれている『ペット・サウンズ』(1966年発表)すら、当時はザ・ビーチ・ボーイズのメンバーからも理解を得られず、米国の評判も芳しくなかったことは有名な話だ。精神状態を悪化させていくブライアンの1960年代と80年代──ふたつの時代の層を並行して描く設計も今作『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』と共通している。ポーラッド監督が両作品の核としたのは、いかなる世間の評価とも関係なく、むしろ摩擦を起こしてしまうクリエイター/表現者の個的な純粋さだろう。

今回の映画はもともとポーラッド監督の友人であり、『ファミリー・ツリー』(2011年/監督:アレクサンダー・ペイン)や『グリーンブック』(2018年/監督:ピーター・ファレリー)などのプロデューサーであるジム・パークから発案された企画だった。ただ最初、ポーラッド監督はドキュメンタリー映画『シュガーマン 奇跡に愛された男』(2012年/監督:マリク・ベンジェルール)に似たモチーフであることに懸念を示したという。確かに1960年代、2枚のアルバムをひっそり発表した後、表舞台から姿を消した米デトロイト出身のシンガーソングライター、ロドリゲスが、本人も知らぬ間に南アフリカで国民的人気を獲得していたという驚愕の実話と、レアグルーヴと呼ばれる珍しい希少盤をディグる文化の中で“埋もれた名盤”として発見された『Dreamin’ Wild』をめぐる数奇な運命は、同じような人生の皮肉を感じさせるものだ。しかしポーラッド監督は実際にドニーとジョーのエマーソン兄弟、そして一家の面々に会うことで関心を深め、自ら素敵なオリジナル脚本を書き起こした。監督はオフィシャルインタビューで「とにかく彼らの人物像が魅力的に感じたんだ」と語っている。

そう、『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』が感動的なのは卓越した音楽映画であると同時に、何よりも無類に優しい家族のヒューマンドラマであることだ。特に兄弟と父親ドン(ボー・ブリッジス)の関係性──これはジョン・スタインベック原作、ジェームズ・ディーン主演の映画『エデンの東』(1955年/監督:エリア・カザン)のベースにもなった、旧約聖書の創世記に登場するカインとアベルの挿話を、まずは彷彿とさせる。兄弟間や父親との関係をめぐる確執と愛憎の原型的な物語だ。しかしエマーソン家の父親ドンと兄ジョーには、ドニーに対して抑圧をかける素ぶりや気配が一切ない。彼らはいつだってドニーの味方だ。世間の評価とは何の関係もなく、彼らはドニーの才能と価値をずっと全身全霊で信じてきたのだ。

このエマーソン・ファミリーの愛情や絆の深さ、理想的な融和の形こそが本作の最たる魅力といえる。ドニー&ジョー・エマーソンのピュアに躍動する音楽を映画の心臓としながら、温かな人間信頼で包み込む“名もなき家族のうた”──。俳優陣がみな素晴らしく、彼らの繊細で豊かなアンサンブルが次第に美しい調和を醸し出していく。涙なくして観られないかけ値なしの名篇だ。

『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』

監督・脚本/ビル・ポーラッド
出演/ケイシー・アフレック、ノア・ジュプ、ズーイー・デシャネル、ウォルトン・ゴギンズ 、ボー・ブリッジス
TOHOシネマズ シャンテほか全国公開中
https://sundae-films.com/dreamin-wild/

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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