巨匠アルモドバルが究極の深みに誘う最高傑作『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』 | Numero TOKYO
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巨匠アルモドバルが究極の深みに誘う最高傑作『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』

圧巻の名作。75歳になったスペイン映画界の巨匠、ペドロ・アルモドバル監督(1949年生まれ)の最新作『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、“メメント・モリ”(ラテン語で「死を想え」)の回路を通し、とてつもない感情の深みへと観る者を連れていく格別に濃厚な一本だ。

ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞作! 人生の終わりと生きる喜びの物語

アルモドバル監督にとって長編としては初となる英語作品で、原作は米国人作家、シーグリッド・ヌーネスの小説『What Are You Going Through』(『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』のタイトルで早川書房より邦訳刊行)。主演に迎えたのは共に1960年生まれの同い年のふたり、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーア。最強のW主演と初のトリプルタッグを組み、2024年の第81回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門では金獅子賞を獲得(審査員長はイザベル・ユペール)。アルモドバルはカンヌ、ヴェネチア、ベルリンのいわゆるヨーロッパ三大映画祭の常連だが、意外にも最高賞に輝いたのは今回が初めて。しかも受賞前の下馬評から他のエントリー作を寄せ付けぬぶっちぎりの高評価を得ていた。

描かれるのは末期がんを宣告され、安楽死・尊厳死を望むマーサと、彼女に頼まれて最後の日々に寄り添うことを決めた友人イングリッドというふたりの女性の物語。マーサを演じるティルダ・スウィントンは、アルモドバルの初の英語作品となった短編『ヒューマン・ボイス』(2020年)に続いての登板。今回、監督から『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』の脚本を渡されたスウィントンは、ほとんど即答する形で自らイングリッド役にジュリアン・ムーアを推薦したという。こうしてまったく異なるタイプの演者ながら、共に作家性の強い映画を積極的にサポートする、当代きっての知性派女優ふたりの夢の初共演が実現した。

舞台はニューヨーク。かつて戦場ジャーナリストだったマーサ(ティルダ・スウィントン)と、小説家のイングリッド(ジュリアン・ムーア)は、若い頃に同じ雑誌社で一緒に働いていた旧友同士。長年疎遠だったふたりだが、ある日、イングリッドは彼女の本の出版記念のサイン会で会った共通の知人から、マーサが病気で入院していることを知らされる。久々に再会したマーサは末期がんに侵されていた。延命治療を拒み、自らの意志で尊厳死を望むマーサ。彼女はイングリッドに“ある依頼”をする。それは森の中の家で一緒に過ごし、自分が人生に終止符を打つとき、隣の部屋に居てほしいということ──。

尊厳死の問題はフランソワ・オゾン監督の『すべてうまくいきますように』(2021年)や早川千絵監督の『PLAN75』(2022年)など、映画でも多様な視点で扱われることが増えてきた。ただしアルモドバルが目を向けるのは、法制化にまつわる問題ではなく、ドアという境界を隔てた生と死をめぐる本質の光景である。

マーサはダークウェブで致死薬を購入。自分の最期の場所として、ニューヨーク州アルスター郡キャッツキル山地の中にある避暑地、ウッドストックの近くの自然保護地区にある、森の中の小さな家を借りてイングリッドと暮らし始める。時にはDVDでバスター・キートン監督・主演の『セブン・チャンス』(1925年)を一緒に観て笑い転げたり(他にマックス・オフュルス監督の1948年の映画『忘れじの面影』のDVDなども確認できる)。このコテージは、アルモドバルいわく「この世とあの世の間に存在する辺獄のような場所」だ。

戦場ジャーナリストとして生きてきたマーサは、これまで数多くの死を目撃してきた。最も想い出深い戦場はボスニアだと語る。そこは苛烈な生と死の現場。彼女はイングリッドと共にリンカーン・センター(マンハッタンのアッパーウエストサイドにある総合芸術施設)で、ロベルト・ロッセリーニ監督の『イタリア旅行』(1954年)を観る。『抱擁のかけら』(2009年)でも劇中に登場したアルモドバルお気に入りの映画だ。倦怠期の夫婦がイタリア旅行に出かける物語だが、主演は当時ロッセリーニの妻だったイングリッド・バーグマン。明らかにジュリアン・ムーアの「イングリッド」という役名に掛けている。おそらくマーサにとって、死という未知の世界のドアを開けることは、新しい旅という感覚なのだろう。我々は映画を観ながら、彼女たちと共にこの世の淵に立ち、人生とは何かを顧みる。

スペインを離れても、アルモドバルは何も変わらない。初期の『セクシリア』(1982年)や『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(1988年)などから、代表作と呼ばれる『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999年)、『トーク・トゥ・ハー』(2002)、『ボルベール〈帰郷〉』(2006年)の「女性賛歌三部作」にしても、決してわかりやすいローカリズムに依拠する作家ではない。基本的には人工性も強い抽象化された映画世界で、肉感的な生々しさと冷静な観察眼を併せ持ちつつ、人間同士の情愛や魂のゆくえをディープに見つめる作家だ。だから英語のドラマになることによって、より抽象化が進み、ある種純化された感じすらある。そして生と死、母性と親子の愛、女性たちの連帯など、アルモドバルが先駆的に描き続けてきた主題や感情、独特のストーリーテリングが、自伝的な『ペイン・アンド・グローリー』(2019年)や、スペイン内戦という歴史の痛みに踏み込んだ『パラレル・マザーズ』(2021年)を経て、究極の濃度をマークする。まるで同じ歌を唄い続けながら、人生経験を重ねた年輪のぶん深みを増していくシンガーのように。

アルモドバル・ブランドの登録商標ともいえる色鮮やかな画面構成の中、完璧なスタイリングの衣服に身を包んだ大人たち。ふたりの女性と共に恋仲であった男性ダミアン(ジョン・タトゥーロ)は、新自由主義の拡大と極右の台頭から破滅に向かう世界の危機を憂いてみせる。それでも本作は人間同士の情愛や魂の交歓の素晴らしさを謳う。ジェイムズ・ジョイスの短編小説の珠玉の映画化で、ジョン・ヒューストン監督の遺作となった『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』(1987年)に美しいオマージュを捧げつつ、死の向こう側を見つめようとする希望の歌だ。この映画に込められた未来展望の澄明な“明るさ”について、アルモドバル本人の言葉を最後に引いておこう。

「そして結局のところ、死は絶対的な終焉ではないということを学ぶ。人は完全に死ぬことはないので。無神論者である私の世界観から、生まれ変わりの可能性、あるいは暗闇を超越した何かが“その先”にある可能性を本作には忍ばせている」(プロダクションノートより)──。

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』

監督・脚本/ペドロ・アルモドバル
出演/ティルダ・スウィントン、ジュリアン・ムーア、ジョン・タトゥーロ、アレッサンドロ・ニボラ
1月31日(金)公開
room-next-door.jp

配給/ワーナー・ブラザース映画
©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
©El Deseo. Photo by Iglesias Más.

 

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人 Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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