新任教師の女性が体感する悪夢的な99分。映画『ありふれた教室』 | Numero TOKYO
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新任教師の女性が体感する悪夢的な99分。映画『ありふれた教室』

ドイツからとんでもない「学園もの」の傑作映画が届いた。原題は『Das Lehrerzimmer(教師の部屋)』。現代社会の雛形かつ縮図としての学校を舞台に、若き新任教師の女性が悪夢のような極限心理に苛まれていく社会派スリラーだ。2023年の第73回ベルリン国際映画祭パノラマ部門でワールドプレミアされ、C.I.C.A.E.アワード(アートハウス映画賞)とラベル・ヨーロッパ・シネマズの2冠を受賞。そしてドイツ国内でのロングランヒットや、ドイツ映画賞最多5部門獲得(作品賞・主演女優賞・監督賞・脚本賞・編集賞)などを経て、本年度(2024年)、第96回アカデミー賞国際長編映画賞ノミネートを果たした話題の一本である。

「社会の縮図」としての学校を鋭利に描き出した怒涛のジェットコースター・ムービー

主人公はとある学校に、新たに赴任してきたポーランド系ドイツ人女性のカーラ(レオニー・ベネシュ)。仕事熱心で責任感が強い若手教師だ。ギムナジウムの7年生(日本では中学1年生に相当)のクラスを受け持つカーラは、人種的にも多様で学力もバラバラな子どもたちに誠実な態度で接し、生徒たちや同僚からの信頼を着実に得つつあった。
しかしそんなある日、校内で相次ぐ謎の盗難事件の犯人として、カーラの教え子が疑われる。問題があれば徹底的に調査する“不寛容方式”を方針として掲げる校長のベーム(アン・キャスリン・グミッチ)は、生徒たちに強引な抜き打ち検査を行った。その子どもの心を傷つけかねないやり方に反発を覚えたカーラは、彼女独自で犯人を探そうと試みる。

彼女が案じた一計は、サイフを入れたままの上着を職員室の椅子にかけておき、ラップトップのカメラで窃盗の現場を撮影しようというものだった。するとカーラが仕掛けた隠し撮りの動画には、ある人物が盗みを働く瞬間が記録されていた。

その動画に犯人の顔は映っていなかったが、印象的な星柄の白いシャツが決め手となり、カーラは同じ模様の服を着用していたベテランの女性事務員の女性クーン(エヴァ・ロバウ)の犯行を確信する。しかしクーンは自身の犯行を全面的に否定。そして自分を犯人扱いするカーラたちの態度に激昂し、憤慨しながら息子オスカー(レオニード・ステットニッシュ)の手を引いて帰宅する。オスカーはカーラが担任を務めるクラスで最も成績優秀な生徒だった。

この一件をきっかけに、カーラを取り巻く状況は悪い方向にガラッと一変する。自分の勝手な判断で盗み撮りを行ったことや、学校に長く勤めている事務員のクーンを不用意に犯人と決めつけたことなどについて、カーラは同僚教師や保護者たちから猛烈な批判を浴びる。さらにこの噂が生徒たちの間に広まることで、クーンの息子であるオスカーの立場も危うくなった。カーラはクラスで孤立しかねないオスカーに寄り添おうとするが、しかし母親の無実を信じるオスカーは、むしろカーラに牙を剥いて謝罪を要求した──。

まさしく負のスパイラル。自らの信念、あるいは正義感や倫理観に強くこだわる主人公の女性が、ほんの些細な判断ミスで、事態をどんどん悪化させていく。このメカニズムを緻密かつソリッドに描き切った作風は、イランのアスガー・ファルハディ監督(『別離』『セールスマン』など)とよく比較されているが、ドキュメンタリー・ディレクターの女性を描いた日本映画『由宇子の天秤』(2020年/監督:春本雄二郎)にも非常に近しい構造を持っている(同作は第71回ベルリン国際映画祭パノラマ部門に正式出品された)。当初はさほど大きくない問題だったはずの事件の余波が雪だるま式に拡大・深刻化し、同僚教師や生徒、保護者との信頼関係を崩してしまったカーラは、後戻りできない孤立無援の窮地に陥っていく。

監督は、本作が長編第4作となるトルコ系ドイツ人のイルケル・チャタク(1984年生まれ)。日本ではこれが劇場初公開作となるが、今回は教育分野で働くさまざまな人々へのリサーチを行ない、自らの子ども時代の実体験も織り交ぜてオリジナル脚本を執筆した(ヨハネス・ドゥンカーと共同)。99分の物語はワンシーンのみを除き、すべて学校の校内だけに限定して展開。主人公の新任教師の視点で全編進行することで、彼女の焦燥を我々観客にもリアルに体感させ、わずか数日間で学校の秩序が崩壊してしまう様子を、ジェットコースターのような怒涛の勢いと共にまったく無駄のない語りで見せる。人間ドラマとしても心理サスペンスとしても、チャタク監督は卓越した力量を存分に発揮している。

撮影はハンブルクで行われ、ドイツ社会固有の特徴や問題も多数映し出されるが、邦題の『ありふれた教室』が示すように、本作が映し出すテーマはどこにでも敷衍(ふえん)可能なもの。フェイクニュース、キャンセルカルチャー、スケープゴートなどはまさに現代の世界を覆う尖鋭的な問題系だし、また教師カーラを襲うストレスは、日本の教育現場が抱える課題とも完全に共通するものであろう。主演のレオニー・ベネシュ(1991年生まれ)は、17歳の時に起用されたミヒャエル・ハネケ監督の『白いリボン』(2010年)で鮮烈なデビューを飾った若手俳優。今作ではドイツ映画賞主演女優賞の受賞を果たし、ヨーロッパ映画賞女優賞にもノミネートされた。またカーラが担任を務めるクラスの生徒23人に選ばれた子役たちの存在感も、ドキュメンタルな臨場感を自然に付与していて秀逸である。

『ありふれた教室』

監督・脚本/イルケル・チャタク
出演/レオニー・ベネシュ、レオナルト・シュテットニッシュ、エーファ・レーバウ、ミヒャエル・クラマー、ラファエル・シュタホヴィアク
5月17日(金)より新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、シネ・リーブル池袋ほか全国公開
https://arifureta-kyositsu.com/

©ifProductions Judith Kaufmann © if… Productions/ZDF/arte MMXXII

 

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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