「わたしの身体」は誰のもの? 妊娠中絶問題についての考察。『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』
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「わたしの身体」は誰のもの? 妊娠中絶問題についての考察。『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』

人工妊娠中絶をめぐるプロチョイス/プロライフという言葉がある。前者は懐妊した主体である女性自身の身体──つまり母体の保護や選択権を優先する考え方で、後者は胎児の生命を重視する立場。フェミニズムの見地から支持されるのはもちろんプロチョイスで、特に望まない妊娠や母体の健康に不安がある場合など、出産を外部・他者が強制するのは本人の自己決定権を奪うものだとする。対してプロライフは生命倫理や胎児の人権を尊重するもの。また人間は神の禁忌を犯してはならないという観点から、キリスト教やユダヤ教、あるいはイスラム教の信仰の問題も大きく絡んでくる。

アメリカに実在した非合法団体の勇気ある闘いを描く、女性たちのエンパワーメントの物語

キリスト教倫理の強い欧米だと、これは政治的な対立にも直接影響する大きな争点である。全体的には時代と共にプロチョイスが広まっているのだが、アメリカではドナルド・トランプ政権が誕生して以来、プロライフを支持する保守派の勢いが高まっており、2019年、アラバマ州で人工妊娠中絶を重罪とする「人命保護法」が可決。それに続いて他の米南部や中西部の州でも中絶制限の州法が成立していった。しかしそれはレイプや近親相姦など理不尽な性的暴力に遭った女性の人権を見捨てるものでもある。いったい「わたしの身体」は誰のものなのか?

2022年のアメリカ映画『コール・ジェーン ―女性たちの秘密の電話―』は、1968年から73年までを舞台に、ひとりの平凡な専業主婦が自らの懐妊と中絶をめぐる問題に直面したことで、安全な人工妊娠中絶を推進する運動に関わっていく物語である。監督・脚本は1962年生まれのフィリス・ナジー。パトリシア・ハイスミス原作、トッド・ヘインズ監督の傑作『キャロル』(2015年)の脚本を手がけたことでよく知られている。製作を務めたのは『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013年/監督:ジャン=マルク・ヴァレ)や『バービー』(2023年/監督:グレタ・ガーウィグ)などを手がけたロビー・ブレナー。本作は第72回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に正式出品された。

物語の始まりは1968年8月、真夏の米シカゴ。若者たちによるヴェトナム反戦運動など激動の時代の空気が騒然としている頃、裕福な家庭の主婦であるジョイ(エリザベス・バンクス)は、幸福な日々の中で二人目の子どもを妊娠する。しかし持病の悪化を感じるようになり、検診の結果、うっ血性心不全を発症していることが判明。中絶しなければジョイの生存率は五分五分だという恐ろしい事実に直面してしまう。しかし人工中絶の承認を得るための審議会で、ジョイは病院の理事会のメンバーである年長の男性たち全員から中絶に反対されてしまった。

当時のアメリカは、まだ中絶は法律で禁止。それは米国だけではなく、例えば2021年のフランス映画『あのこと』(原作:アニー・エルノー/監督:オドレイ・ディワン)も1960年代が舞台で、当時フランスではやはり法律で中絶が禁じられていた。イギリス映画『ヴェラ・ドレイク』(2004年/監督:マイク・リー)では、1950年代のロンドンを舞台に、法の裏側で望まない妊娠をした女性の中絶を無償で行っていた主婦の実話が描かれている。英国では1967年に「妊娠中絶法」が制定され、ようやく一定の条件のもとで中絶が認められる運びになった。それを皮切りに、欧米諸国で女性たちのリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する健康と権利)への意識が高まり、人工妊娠中絶が次々と合法化されていった。

さて、では本作の主人公ジョイはいかなる選択をしたかというと、まず街で“CALL JANE”と書かれた貼り紙に目をつける。そこからアンダーグラウンドで安全な中絶手術を提供する「ジェーン」と呼ばれる非合法の団体にたどり着くのだ。この「ジェーン」は1960年代に実在したネットワークで、中絶合法化を勝ち取って解散するまでに1万2千人以上の女性の命を救ったとされている。この中絶合法化の契機となったのが、1973年にテキサス州ダラスの地方検事ヘンリー・ウェイドを相手に闘った裁判「ロー対ウェイド事件」であり、その勝訴もこの映画では描かれている。だが2022年、約50年経ってから判決が覆され、再び複数の州で中絶が禁止となった。本作『コール・ジェーン ―女性たちの秘密の電話―』は、そういった時代のバックラッシュ(反動)に対して問題提起している一本だ。

ちょうど今年(2024年)は11月にアメリカ大統領選が控えているが、本作の中でも1968年の11月、リチャード・ニクソンの当選が伝えられるシーンがある(僅差で敗れたのは民主党のヒューバート・ハンフリー)。間違いなくこの映画は、ニクソンとドナルド・トランプを二重写しにしており、当然それは2017年からの#MeTooという女性たちのエンパワーメントの動きとも連動している。

本作は先述の『あのこと』や『ヴェラ・ドレイク』のほか、例えば2020年のアメリカ映画、高校生の少女が中絶手術を受けるためにペンシルベニアからNYに友人と共に向かう旅を描いた『17歳の瞳に映る世界』(監督:エリザ・ヒットマン)など、たくさんの映画に補助線を引くことができるだろう。その中でも『コール・ジェーン ―女性たちの秘密の電話―』の際立った特徴は、ハリウッド・スタイルのわかりやすい説話構造といえる。

ジョイを演じる主演のエリザベス・バンクス(1974年生まれ)は、俳優業のほかプロデューサーとしても活躍し、『ピッチ・パーフェクト2』(2015年)などの監督も務める才人。オリヴァー・ストーン監督の『ブッシュ』(2008年)では、ローラ・ブッシュ(ジョージ・W・ブッシュ大統領の妻)役を演じていたが、今回はとりわけ自分の属性をうまく使っている。中産階級の専業主婦でブロンドの白人女性という、ある種すごく保守的なモデルに当てはまった存在として登場する主人公ジョイが、社会問題に覚醒して反体制の活動家になっていく。自分の身に起こったトラブルをきっかけとして、ひとつの「気づき」から生き方を大胆に変容させていく大人の成長物語にもなっているのだ。

非合法団体「ジェーン」を率いるのはバージニア(シガニー・ウィーバー)という聡明な女性。組織のメンバーはほとんど白人女性なのだが、その中でグウェン(ウンミ・モサク)というアフリカ系の女性のメンバーは重要なキャラクターであり、彼女から「手術の金額問題」が出る。高額だと手術を受けられるのが裕福な白人ばかりになってしまう。そこで「週に2回だけ無料に」という新しいルールが決められるが、次には誰を無料にするか?という選別の問題に突き当たる──といった具合に運動組織としてのテーマがどんどん転がっていくのも興味深い。

またジョイの愛娘である15歳のシャーロット(グレイス・エドワーズ)も印象的な登場人物で、ジミ・ヘンドリックスなどが大好きなロックファン。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「シスター・レイ」(1968年のアルバム『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』収録の17分28秒にも及ぶ前衛的ナンバー)で母ジョイとキッチンで踊るシーンもある。

音楽で言うと、最後に流れるのが「Let The Sunshine In(レット・ザ・サンシャイン・イン)」。もともとはヒッピー時代を代表するロック・ミュージカル『ヘアー』(1967年初演)で使われたフィフス・ディメンションの名曲で、本作で使用されるのはジェニファー・ウォーンズがカヴァーした1969年の音源だ。この選曲からもうかがえるように、本作はまさに1960年代後半から70年代にかけてのアメリカン・ニューシネマが持っていた熱気や理想、のびやかなカウンターのパワーに満ちている。多様性の進化とさまざまな揺れ戻しが複雑に入り乱れる現在の乱世において、3月8日の国際女性デー(ミモザの日)に近いタイミングで公開される本作が、我々に突きつける問題について、あらためて自分の頭で考えてみたい。

『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』

監督・脚本/フィリス・ナジー
出演/エリザベス・バンクス、シガニー・ウィーバー
3月22日(金)より、全国公開
https://www.call-jane.jp

配給/プレシディオ
©2022 Vintage Park, Inc. All rights reserved.

 

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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