伝説の巨匠ビクトル・エリセが放つ珠玉の自伝的集大成。『瞳をとじて』 | Numero TOKYO
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伝説の巨匠ビクトル・エリセが放つ珠玉の自伝的集大成。『瞳をとじて』

まさかこれほど凄い映画が届けられるとは──。1940年生まれ、スペイン・バスク地方出身の伝説の映画作家、ビクトル・エリセ監督。日本のミニシアターブームを代表するヒット作となった『ミツバチのささやき』(1973年)や『エル・スール』(1983年)、画家アントニオ・ロペス=ガルシアの制作風景に迫ったドキュメンタリー映画『マルメロの陽光』(1992年)以来、長らく短編や中編しか発表していなかった彼が、御年83歳にして至高の巨大な最新作を携えて帰ってきた。同世代者である宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』(2023年)ではないが、ひとりの偉大なシネアストの集大成。さらには彼にとっての「映画」という表現・文化そのものを総括し、自分なりのファイナルアンサーを出そうとした迫力さえ感じさせるのが、31年ぶりの長編となる第4作『瞳をとじて』だ。

『ミツバチのささやき』のアナ・トレントも再び。「映画」と「人生」の関りを考察するメタシネマの最高峰がここに──

物語は『別れのまなざし』という1947年のパリ郊外を舞台にした未完の映画をめぐって展開する。その中でフランコという役を演じていた主演俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)が撮影中の1990年、謎の失踪を遂げた。公式には死亡と見なされたが、遺体は発見されていない。
それから22年後──2012年のマドリード。『別れのまなざし』が頓挫して以来、監督業から離れてしまった元映画監督ミゲル・ガライ(マノロ・ソロ)は、『未解決事件』という番組の打ち合わせのためテレビ会社のオフィスを訪れる。それは俳優フリオの行方を捜索する企画だった。この出演依頼をきっかけに、ミゲルは青年期からの親友でもあったフリオとの日々、そして自らの半生を追想していくことになるのだが──。

老いた映画監督の主人公が、昔の自作に主演した俳優の行方を追って内省的な旅に出る。こういった状況設定から、同じくスペインのペドロ・アルモドバル監督が自伝的要素を色濃く投影した『ペイン・アンド・グローリー』(2019年)を想起する人も多いだろう。だが『瞳をとじて』は、よりメタシネマ的な思索が深く、「記憶」と「映画」と「人生」についての哲学的な三題噺といった趣。内戦からフランコ独裁政権の長期圧政下を経たスペインの現代史を絡めながら、1895年、リュミエール兄弟がシネマトグラフ(映写機)を開発し、『ラ・シオタ駅への列車の到着』などを上映してから、いかに映画が人生に影響し関わってきたか、という問いを原理的に掘り下げていく。

劇中映画を含む入れ子構造を取りつつ、169分の長尺でテンポは決して早くないが、状況把握の解像度を徐々に上げていくストーリーテリングは滑らかで吸引力に満ちたものだ。全体は実質的に三部構成と呼べるような枠組みが取られている。テレビ会社のあるマドリードの都会から、「マンナ・リンコン(海辺の片隅)」と記されたゲートがある現在のミゲルの自宅、そしてとある施設へと段階ごとに場所が移っていく。ミステリータッチの説話構造が採用されているのは、共同脚本にミシェル・ガズタンビデ──エンリケ・ウルビス監督の『悪人に平穏なし』(2011年)やハイメ・ロサレス監督の『ペトロは静かに対峙する』(2018年)などで知られる名手が入っていることも大きいだろう。

さまざまな映画作品への言及やオマージュも随所に込められている。ミゲルの親友である映画編集者マックス(マリオ・パルド)はフィルムコレクターでもあり、マドリードに独りで住んでいる彼の自宅には『夜の人々』(1948年/監督:ニコラス・レイ)や『チャップリンの殺人狂時代』(1947年/監督:チャールズ・チャップリン)などのポスターが貼ってある(ちなみにマックスの口から、ミゲルはかつて息子を交通事故で亡くしていることが明かされる)。またミゲルが海辺の自宅で、夜の潮風を浴びながら仲間たちを前にギターを弾いて歌う「ライフルと愛馬(My Rifle, My Pony and Me)」は、ハワード・ホークス監督の西部劇『リオ・ブラボー』(59)の中でディーン・マーティンが歌った挿入歌だ。

だが何といっても映画ファンの胸を打つのは、エリセ監督のセルフオマージュだろう。俳優フリオの娘であり、いまはプラド美術館の職員として働く女性アナ・アレナス役で、『ミツバチのささやき』の主人公の少女アナ役で永遠のシネマアイコンとなったアナ・トレント(1966年生まれ)が出演しているのだ。しかも役名は同じアナ! エリセ監督の短編には2011年、東日本大震災を受けたオムニバス映画『3.11 A Sense of Home Films』の一編『アナ、3分』にも出演していたが、『ミツバチのささやき』の少女アナ役としてスクリーンに登場したとき、撮影時6歳だった彼女が、再びエリセ監督の世界に本格的に帰ってきてくれたことに涙を禁じ得ない。また彼女の登場は、映画と現実、記憶や時間が重層的に刻み付けられる瞬間でもあるのだ。

果たして俳優フリオの行方は? ミゲルの旅はどこに向かうのか? 物語は数奇な運命を包括しながら展開し、やがて圧巻のラストシーンへとたどり着く。本作は第76回カンヌ国際映画祭カンヌプレミア部門、第48回トロント国際映画祭などに出品されたほか、第71回サン・セバスティアン国際映画祭でドノスティア賞を受賞。フランスの映画誌「カイエ・デュ・シネマ」の2023年度ベストテンでは第2位に選出された。だが作品の内実はこういった賞賛の遥か上を行くものだろう。まさに映画についての映画──メタシネマの最高峰として厳粛に、そして大きな祝福と共に受け止めたい。

『瞳をとじて』

監督・脚本/ビクトル・エリセ
出演/マノロ・ソロ、ホセ・コロナド、アナ・トレント
2月9日(金)より、TOHO シネマズ シャンテほか全国順次公開
https://gaga.ne.jp/close-your-eyes/
配給/ギャガ
© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

 

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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