グローバル化の混沌に満ちた“世界の縮図2.0”がここにある。映画『ヨーロッパ新世紀』 | Numero TOKYO
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グローバル化の混沌に満ちた“世界の縮図2.0”がここにある。映画『ヨーロッパ新世紀』

新世紀東欧ルーマニアからとんでもない傑作がやってきた。監督は鬼才クリスティアン・ムンジウ(1968年生まれ)。チャウシェスク独裁政権下の末期を舞台に、当時同国では違法だった人工中絶を扱った『4ヶ月、3週と2日』(2007年)で第60回カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞。修道院の閉鎖的な環境の中で起こる悲劇を描いた『汚れなき祈り』(2012年)で第65回カンヌ国際映画祭女優賞と脚本賞をW受賞。娘のバカロレア(大学入学資格試験)合格のために奔走する父親の姿を通して社会の歪みを浮き彫りにした『エリザのために』(2016年)で第69回カンヌ国際映画祭監督賞を受賞。世界有数のカンヌ常連監督にして、ルーマニア・ニューウェイヴの旗手とも呼ばれるムンジウの6年ぶりの最新作──それがやはり第75回(2022年)カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品された『ヨーロッパ新世紀』だ。原題は『R.M.N.』(「核磁気共鳴画像法」を指すMRI検査のこと)だが、脚本を読んだある人が“ヨーロッパ2.0”というタイトルが適切ではないかと指摘したと監督は語っている。

カンヌ常連、ルーマニア・ニューウェイヴを代表する鬼才監督が描き出す黙示録にして金字塔

舞台はルーマニア中央部トランシルヴァニア州の小さな寒村。クリスマス直前の頃、出稼ぎ先のドイツの食肉工場で暴力沙汰を起こした男マティアス(マリン・グリゴーレ)が、家族の暮らす地元に帰ってくる。ルーマニア人とハンガリー人、そして少数のドイツ系やロマの人々が暮らす多民族共同体であるこの村は、主要産業だった鉱山が閉鎖されて以来、経済的な苦境が続いていた。村のパン工場の経営を任されている女性シーラ(エディット・スターテ)は、賃金の低さのため村人の雇用を確保できず、EUからの補助金を得ようとするがなかなか叶わない。やむなく人材派遣業者を通し、外国人労働者を雇い入れることにする。しかしスリランカから優秀で真面目な働き手がパン工場にやってきたことで、村人の間で不穏な反発の空気と動きが巻き起こっていく……。

時代設定はパンデミックの少し前──監督によれば2019年のクリスマスから2020年の頭にかけての数日間だが、この映画が見据えるのは極めて射程の長い「歴史と現在」だ。基本的にはムンジウ監督のこれまでの作品の延長・発展にある、ルーマニア社会の制度や慣習、その抑圧と個人の相関を鋭利にえぐるもの。ローカルな村社会で狂乱の渦を巻く分断や差別、「よそ者」をめぐる集団ヒステリーを多声的な視座で描き出した点では、例えば関東大震災直後の虐殺事件を題材にした森達也監督の『福田村事件』(2023年)などにも通じるだろう。

だがそこに加え、『ヨーロッパ新世紀』の圧倒性は多民族・多人種の様相だ。まず言語。あまりにも複数の言語が入り乱れるため、日本語字幕はルーマニア語を白、ハンガリー語は黄色、その他の言語(ドイツ語、英語、フランス語)はピンクに色分けされている。さらにムンジウ監督の意図で字幕を入れていない言語もある。要するにそれは村の誰も解さない言語──「よそ者」の母国語を指すものだ。ルーマニアの中でも、トランシルヴァニアは早くからハンガリー王国(のちのオーストリア・ハンガリー帝国)の支配下に入り、ドイツ系やロマも多い。そんな土地にこの映画では、フランスから環境保護を推進するNGO職員の青年も訪れるし、労働者として南アジアのスリランカから新たな移民たちもやってくる。これはもはやヨーロッパ全体の写し絵のようであり(ルーマニアは2007年にEU加盟)、急速なグローバル化に向かう「世界の縮図」でもある。

この複雑な状況は、長らく困難な歴史に翻弄されてきたルーマニアの地政学を反映したものだが、同時に映画表現として風土の特性も大きい。とりわけトランシルヴァニアはブラム・ストーカー(1847年生~1912年没)の怪奇小説『吸血鬼ドラキュラ』の舞台としても有名であり、森や村の風景は幻想美をたたえ、暗闇には熊や狼がうごめいている(村の中には「野生動物に注意」という貼り紙も)。手法的にはダルデンヌ兄弟を受け継ぐような簡素なリアリズムを基調としながらも、豊かなヴィジュアルと寓話のような趣を獲得している。また、スリランカ人従業者を排斥しようとする動きから、アメリカの白人至上主義者の秘密結社KKK(クー・クラックス・クラン)のような白頭巾を被った村人が、シーラと従業員たちが夕食を囲む部屋に火炎瓶を投げ込むというテロ的行為を起こしたりも。まさに世界のどこでも起こり得る事象を普遍化し、凝縮した構造だ。

クライマックスは17分間にも及ぶ固定カメラの長回しで捉えた、文化センターで村人たちが議論し合う緊急集会の様子である。ここでは民主主義とポピュリズムが平気で混同され、グローバル資本主義が生む経済格差といった「生活のリアル」から発せられる怒号は、リベラル多元主義の美しい理想も脆弱な机上の論理と退けられる。これは日本社会を生きる我々にとっても他人事ではないだろう。むしろ多民族の共存と均衡をそれなりに保ってきたこのコミュニティでさえ、「政治的な正しさ」──真の多様性の融和などは絵空事に過ぎず、場の沸騰と共に苛烈な衝突と分断が生々しく剥き出しになるのだ。

この映画は小さな村で巻き起こったミニチュアの黙示録なのだろうか? ムンジウ監督は本作『ヨーロッパ新世紀』を「トランシルヴァニア地方の状況について描いたものではなく、ルーマニア人、ハンガリー人、ドイツ人が同じ領土を共有していることについてでもない」とし、「ロシア人とウクライナ人、白人と黒人、スンニ派とシーア派、金持ちと貧乏人、背の高い人と低い人にもあてはまる話である」と定義している。そしてまたハマスの攻撃とイスラエルの報復など、世界の争いは拡大している。我々の「新世紀」はいったいどこに向かうのだろうか。そろそろ現代社会のジレンマを調整に向かわせる最後のチャンスかもしれない──そういった問いかけを踏まえつつ、ムンジウ監督のコメントを以下に引いておきたい。

「グローバル化は新たなバベルの塔であり、世界が終焉を迎える兆候である。疫病もグローバル化し、終焉はすぐにやってくる。地球温暖化もまた終わりが迫っている兆候であり、まもなく搾取しすぎた資源が枯渇し、人々は生存のために争うことになるだろう」──。

『ヨーロッパ新世紀』

監督:脚本:クリスティアン・ムンジウ
出演:マリン・グリゴーレ、エディット・スターテ、マクリーナ・バルラデアヌ他
10月14日(土)よりユーロスペース他にて全国順次公開
https://rmn.lespros.co.jp

©Mobra Films-Why Not Productions-FilmGate Films-Film I Vest-France 3 Cinema 2022

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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