荻上直子監督が「歴代最高の脚本」と自負する新たな挑戦と達成。映画『波紋』 | Numero TOKYO
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荻上直子監督が「歴代最高の脚本」と自負する新たな挑戦と達成。映画『波紋』

荻上直子監督のオリジナル最新作にして、監督自身が歴代最高の脚本と自負する絶望エンタテインメント映画『波紋』が公開中。新興宗教を信仰し、日々祈りと勉強会に勤しみながら、ひとり穏やかに暮らしていた須藤依子(筒井真理子)のもとに、長いこと失踪したままだった夫、修(光石研)が突然帰ってくる……。放射能、介護、新興宗教、障害者差別といった、誰もがどこかで見聞きしたことのある現代社会の問題に次々と翻弄される須藤家。一家を通して、現代社会の闇や不安と女性の苦悩が淡々とソリッドに描き出される。

現代社会の闇や不安を主演・筒井真理子の怪演で笑い飛ばす──まさに「波紋」を呼ぶエンタテインメント!

『かもめ食堂』(2006年)や『彼らが本気で編むときは、』(2017年)で知られる荻上直子監督の最新作。監督自身が「歴代最高の脚本」と自負する、オリジナリティあふれる傑作が登場した。こちらの予想の斜め上を行く描写や物語展開からすると、怪作にして快作、とでもいうべきか。現代社会の闇や不安、ひとりの女性の苦悩。一筋縄ではいかない問題を扱い、それらのコアへと大胆に踏み込みながら、『波紋』は絶望や嫌悪、怒りや悲しみといった黒い感情をエンタテインメントに昇華させる。

まず主人公像が強烈。都内に単身で暮らす須藤依子(筒井真理子)はどっぷり新興宗教に依存している。彼女以外に誰もいない立派な一軒家の部屋は、依子の信仰する団体から譲り受けた「緑命水」というありがたい水のペットボトルで埋まっている。

いきなり安易な「共感」を撥ね除ける奇妙なヒロインが『波紋』の中心点に立っているといえるだろう。ともあれ信仰の力であらゆる苛立ちを押さえ込み、穏やかに過ぎる依子の日々。しかしそれを乱す出来事が起こる。夫の修(光石研)が、突然の失踪から11年の時を経て戻ってきたのだ。震災直後、須藤家から姿を消した修のことを、依子は「放射能が怖くて逃げた」と思い込んでいる。そして今、ガンを患っているという修は、高額な治療費の援助を依子に求めてすがってくるのだ。そして九州の大学に進学して就職し、ずっと音沙汰のなかった息子・拓哉(磯村勇斗)まで久々に帰ってくるのだが、彼の連れてきた恋人・珠美(津田絵理奈)が聴覚障害を持っていることに対し、依子は戸惑いを隠せず失礼な態度を取ってしまう……。

自分の狭量さや不寛容も剥き出しにされ、もはやとことん寄る辺ない依子。明らかにクセが強く、ツッコミどころの多い彼女の姿を、「喪失と疎外感に苛まれた孤独な女性」というわかりやすいコードで呑み込むのは難しい。個人と社会の軋轢が怒りというノイズの発生源であるならば、繊細で過敏な依子は必然として怒りが人一倍強い。同時に穏やかな顔を装わねばならないという倫理観が、彼女の内なる苛立ちを増幅させる。依子にとってのモンスターたち──飼い猫の不作法に気づかない隣人の主婦(安藤玉恵)や、職場のスーパーマーケットで難癖をつけて半額に値切る客のオヤジ(柄本明)らのおかげでストレスは溜まるばかり。

次々と降りかかる自分ではどうにもできない辛苦。熟年期を迎えて夫や息子への愛情もなく、自身の更年期障害に苦しみながらも、家族の問題に耐え抜こうとする依子。つまり彼女は濃厚に圧縮させた「現実」からの抑圧で、誰よりもクレイジーに歪んでしまった我々の姿ともいえる。

では、このネガティヴな感情をどう解消すればいいのか? 悩み苦しむ依子をふたりのメンターが対照的な助言で諭す。ひとりは宗教団体のリーダーの昌子(キムラ緑子)。教えを乞う依子に対し、昌子は「あなた今、試されているんじゃないかしら」と返す。なるほど、理不尽な受難を人生の試練と捉えることで、被害者意識から抜け出し、前向きになれるのかもしれない。もうひとりのメンターは同じスーパーで清掃係として働く水木さん(木野花)だ。なんと彼女は依子に「仕返し」を推奨する!

もし人気作『かもめ食堂』や『めがね』(2007年)などの印象で荻上直子監督を「癒やし」の作家だとイメージしていたら、それは一面的な解釈かもしれない、と『波紋』の衝撃は突きつけるだろう。彼女の本質はパンクだ。村の男子小学生が全員“吉野ガリ”という同じ髪型を強要される──そんな閉鎖的ファシズムに少年たちが反旗を翻す長編デビュー作『バーバー吉野』(2003年)から、社会の抑圧に否を唱える勇気と心意気に満ちていた。監督自身がマイノリティの側に実感を持って立ち、同調圧力や強権的な態度への怒りをポジティヴなパワーへと変換させる試み。それは『かもめ食堂』や『めがね』も同様。穏やかな幸福感あふれるユートピアやシェルターのごとき共同体も、根本精神は多数派からはじき出された者たちの反乱であり、一種の風刺的な怒りの裏返しだといえるのではなかろうか。

その延長と発展に監督が「第二章の始まり」と自己規定した『彼らが本気で編むときは、』(第67回ベルリン国際映画祭でテディ審査員特別賞&観客賞をW受賞)や、仏教的な思考が静かに脈打つ『川っぺりムコリッタ』(22年)があり、荻上流の人間探究はさらなる広がりと深みを増している。

割り切れない人間存在を丸ごと見つめ続ける荻上監督のすごさ。依子は自宅の庭の枯山水に波紋を描くのだが、それはまるで彼女の心模様=小宇宙そのものだ。庭(フレーム)の中にさまざまな波紋が現われて動いていく。それらはロジックで都合良く整理されるものではない。しかし我々は誰もが大小異なる問題を抱え、自己矛盾や衝突と共に生きているのではないか。

実力者たちの揃ったキャスト陣は鉄壁の座組みと呼べる素晴らしさ。その真ん中で難役を体現する主演・依子役の筒井真理子の演技はもう圧巻だ。荻上監督は『淵に立つ』(2016年)や『よこがお』(2019年)といった深田晃司監督作の筒井に強い印象があったらしい。その成果からバトンを受け継ぎ、独自にツイストさせた『波紋』は、筒井真理子の代表作のひとつとして語り継がれるのは間違いない。とりわけブチ切れの狂ったテンションを見せつける愉快なラストは必見!

『波紋』

監督・脚本/荻上直子
出演/筒井真理子、光石研、磯村勇斗/安藤玉恵、江口のりこ、平岩紙、津田絵理奈、花王おさむ、柄本明/木野花、キムラ緑子
TOHO シネマズ 日比谷ほか全国公開中
https://hamon-movie.com/

配給/ショウゲート
©2022 映画「波紋」フィルムパートナーズ

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。1971年、和歌山県生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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