A24×鬼才監督ダーレン・アロノフスキーの会心作。映画『ザ・ホエール』 | Numero TOKYO
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A24×鬼才監督ダーレン・アロノフスキーの会心作。映画『ザ・ホエール』

ハリウッドのトップスターに昇りつめながらも、心身のバランスを崩して長らく表舞台から遠ざかっていたブレンダン・フレイザーの奇跡的なカムバックとなったダーレン・アロノフスキー監督の新作『ザ・ホエール』。主演を務めたフレイザーはオスカーを獲得している。2012年に初上演されたサミュエル・D・ハンターの同名戯曲に基づき、A24が製作、全米配給を手がけた本作でフレイザーが演じたのは、体重272kgの孤独な中年男性。疎遠だったティーンエイジャーの娘との絆を取り戻したいと願う主人公の“最期の5日間”を、ワンシチュエーションの室内劇という様式で映し出す。

体重600ポンドの男が人生の光を求める贖罪と救済のヒューマンドラマ

先頃、2023年3月13日(現地時間12日)に催された第95回アカデミー賞授賞式。主演男優賞を獲得したのは『ハムナプトラ』シリーズ(1999~2008年)など、かつてアクションスターとして知られたブレンダン・フレイザーだった。長らくの低迷から奇跡のカムバックを果たした彼が映画『ザ・ホエール』で演じたのは、体重が600ポンド(約272kg)ある孤独な中年男性の“最期の5日間”。『レスラー』(2008年)でヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞し、『ブラック・スワン』(2010年)でナタリー・ポートマンにアカデミー賞主演女優賞をもたらした鬼才ダーレン・アロノフスキー監督が、人気映画スタジオ「A24」との初タッグのもとに作り上げたヒューマンドラマ。これはアロノフスキーにとっても会心の一本、本領発揮の壮絶にして哀切たっぷりの傑作に仕上がった。

原作は2012年にオフ・ブロードウェイで初上演されたサミュエル・D・ハンターの同名戯曲。主人公にはハンターのパーソナルな人物像や実体験が一部投影されている。アロノフスキーは『ノア 約束の舟』(2014年)の編集作業をしていた時期に、ハンターとコンタクトを取った。そして今回、ハンター自身が映画用の脚本も手がけている。

舞台は米アイダホ州の、とあるアパートの部屋。大学のオンライン講座で生計を立てているチャーリー(ブレンダン・フレイザー)は、40代の孤独な教師だ。恋人の男性アランを亡くしたショックに打ちひしがれ、現実逃避するように過食を繰り返してきた彼は、いまや歩行器なしでは移動もままならない肥満体となった。血圧は238/134という危険な状態。それでも頑なに入院を拒み、自宅にほぼ座りっ
ぱなしで引きこもる生活を続けている。

そんなチャーリーをサポートしているのは、亡きアランの妹で唯一の親友でもある看護師リズ(ホン・チャウ)だ。まもなく病状の悪化で自らの余命が幾ばくもないことを悟ったチャーリーは、長らく音信不通だった17歳の高校生の娘エリー(セイディー・シンク)を呼び寄せ、こじれた関係を修復しようと試みるのだが……。

喪失と後悔、罪の意識に苛まれた自分の人生を精算するような月曜日から金曜日の物語。サミュエル・D・ハンターの戯曲に出会った時、アロノフスキーは「俺のための物語だ」と思ったのではないか。長編デビュー作の『π/パイ』(1997年)や、ヒューバート・セルビー・ジュニア原作の『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000年)の頃から、彼の中心的な主題はAddiction(中毒、依存)。主人公チャーリーは自らの内に素食う空虚な穴を埋めるように過食を続けた結果、鬱血性心不全の発作を爆弾のように抱えるほど過度な肥満に陥っている。フリーキーな肉体変容、娘との関係修復という課題や、必死で自己回復を図ろうとする姿にブレンダン・フレイザー本人の苦難や心境が重なってくることも含め、ステロイド剤漬けになった中年レスラーをミッキー・ロークが演じた『レスラー』とはそのヴァリエーションと呼べるくらいに近い。

クジラのような巨体のルックを作るために、毎日メイキャップに4時間を費やし、45キロのファットスーツを着用して40日間の撮影に挑んだフレイザー。重い肉体の鎧を苦行のように引き受ける彼の芝居は、まさしくフィクションに剥き出しの魂を宿らせる本物の生々しさだ。全身全霊という言葉が相応しい鬼気迫る演技の中、純粋な目の輝きがとりわけ強烈かつ澄明な印象をもたらす。

そのフレイザー扮するチャーリーを含め、劇中には彼のアパートを訪れる形で計5人の主要人物が登場する。娘エリーを演じるのは、Netflixの大ヒットシリーズ『ストレンジャー・シングス』(2016年~)の転校生の少女マックス・メイフィールド役で脚光を浴びたセイディー・シンク。新興宗教ニューライフ・チャーチの宣教師と称する青年トーマスには、子役出身で『ジュラシック・ワールド』(2015年)や『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)など大作の出演が続いていたタイ・シンプキンス。チャーリーの別れた妻メアリーには、『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』(2022年)でも強い存在感を見せたサマンサ・モートン。そしてチャーリーを支える看護師リズには、『ダウンサイズ』(2017年)や『ザ・メニュー』(2022年)などぐんぐん評価を高めるホン・チャウ。タイの難民キャンプで生まれたヴェトナム系の彼女は、本作でアカデミー賞助演女優賞へのノミネートを果たした。

圧巻なのは室内劇として設計されたドラマ的密度の高さだ。ハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』(1851年)にユニークな形で補助線を引きつつ、極限状況に置かれた人間が必死に光を求める局面に我々を立ち会わせる。市井の人間ドラマが寓話的スケールを獲得していく贖罪の物語。そして我が子への無償の愛に、残り少ないおのれの人生を懸けたチャーリーは神との対面に臨む。まるで人間の罪や欲望、煩悩をすべて一身に背負って、磔に向かうイエス・キリストのように。

『ザ・ホエール』

監督/ダーレン・アロノフスキー
出演/ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ、タイ・シンプキンス、サマンサ・モートン
TOHO シネマズ シャンテほかにて全国公開中
https://whale-movie.jp/

配給/キノフィルムズ
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。1971年、和歌山県生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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