ロンドンの高級レストラン”沸騰寸前”の内幕『ボイリング・ポイント/沸騰』 | Numero TOKYO
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ロンドンの高級レストラン”沸騰寸前”の内幕『ボイリング・ポイント/沸騰』

ロンドンに実在するレストランで撮影を行った映画『ボイリング・ポイント/沸騰』は、なんと90分間の全編ワンショット。正真正銘の編集ナシで、CGナシ。ロンドンの高級レストランを舞台に、崖っぷちのオーナーシェフの波乱に満ちた、予測不能なスリリングな一夜を描く。新鋭フィリップ・バランティーニ監督は、慌ただしい人気レストランの表と裏を同時に味わえる濃密な人間ドラマを作り上げた。

ロンドンきっての高級レストランの内幕はまるで戦場──
多忙と混乱の一夜を「全編ワンショット」で伝える驚異のワーキング・ドラマ!

舞台は高級レストランの厨房とホール。店内は客でごった返しており、スタッフはいっぱいいっぱい。この「沸騰」寸前のカオスな状況を、約90分の全編ワンショット撮影、縦横無尽の長回しカメラでダイナミックに捉えていく。それが第75回英国アカデミー賞(BAFTA)4部門ノミネート(英国作品賞、主演男優賞、キャスティング賞、新人映画賞)など、驚異のスタイルとクオリティが大きな話題を呼んだ2021年のイギリス映画『ボイリング・ポイント/沸騰』だ。

一年で最もにぎわうクリスマス前の金曜日を迎えたロンドン指折りの人気レストラン。この日、オーナーシェフのアンディ・ジョーンズ(スティーヴン・グレアム)は心身ともに絶不調。つい最近、妻子と別居したばかりで、事務所を寝床代わりにしている状態。ただでさえ通常よりはるかにハードな日なのに、ストレスで疲れ切っていた。結局、仕事に集中できず、衛生管理のチェックや食材の発注を怠ったアンディは、因縁深い元同僚のライバルシェフ、テレビの料理番組で有名なアリステア(ジェイソン・フレミング)と、彼が同伴してきたグルメ評論家のサラ(ルルド・フェイバース)の来店にもプレッシャーを受けていく。

店のスタッフも個性豊かな面々がそろっている。副料理長のカーリー(ヴィネット・ロビンソン)は優秀なアンディの相棒だが、コックのフリーマン(レイ・パンサキ)はアンディに不満を抱いており、しかもキレやすい性格。新人コックたちは慣れない仕事に戸惑っている。SNSでの宣伝ばかりに気を取られている支配人のベス(アリス・フィーザム)が取り仕切るホールスタッフも、大忙しで混乱状態だ。
満員の客席の中、やがて厨房とホールの罵り合いが発生し、スタッフの間に気まずい空気が流れる。さらにレストランの客に緊急事態も勃発。まるで戦場のような苛酷さに晒され、もはや心身の限界点を超えつつあるアンディは、この波乱に満ちた一日を切り抜けられるのか──?

監督を務めたのは俳優出身のイギリスの新鋭、フィリップ・バランティーニ(1980年生まれ)。彼が2019年に発表した短編映画『Boiling Point』をもとに、ロンドンに実在する有名レストランを借り切って撮影を行った。シェフとして12年間働いた経歴を持つ、飲食業界をよく知るバランティーニ監督は、レストランの内幕をひとつの社会の縮図として描出する。パワハラやセクハラを含む職場でのさまざまな軋轢、不当な賃金の低さ、人種差別、プライベートの精神不安や依存症といった影の部分も群像模様の中に顕在化していく。 スタッフたちは労働環境と人間関係のさまざまな問題を抱えながら、次々と舞い込んでくる料理のオーダーをこなしつつ、この夜にプロポーズを控えたカップル、傲慢なレイシスト、インフルエンサー気取りの若者らの来店客にも対応しなくてはならない。

こういったパニックが加速していく様を、怒濤のジェットコースター・ムービーとして組織する本作は、カメラが常に動き回り、圧迫された閉塞感の中、緊張感が高まっていく。「全編ワンショット」という実況中継的とも演劇的とも取れる手法は、ブロードウェイの舞台裏をシニカルに描く『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014年/監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)を連想する人が多いかもしれない。だが今作はああいう擬似的な全編ワンショットではなく、ガチで編集なし、CGなし。完全リアルタイムで貫かれる異様なテンションは、次々と巻き起こるトラブルに追い詰められるアンディの精神状態に呼応してヒートアップし、圧巻のクライマックスへと突き進んでいく。

主演を務めたのはスティーヴン・グレアム。『スナッチ』(2000年/監督:ガイ・リッチー)でのブレイク後、ハリウッド映画にも進出。最近では『アイリッシュマン』(2019年/監督:マーティン・スコセッシ)や『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』(2021年/監督:アンディ・サーキス)などの大作でも姿を見ることができるが、今作では人生崖っぷちのシェフのアンディがたどる大波乱の運命を、すさまじい気迫と悲哀を込めて体現。彼の代表作のひとつになったことは間違いない。

もちろんヴィネット・ロビンソンやジェイソン・フレミングなど、脇のキャスト陣も達者な面々がそろった。彼らの即興演技を交えたアンサンブルは本当に素晴らしい。狂おしい一夜の臨場感を伝える破格の映像形式で、「沸騰」に向かうスリリングなワーキング・ドラマを体感せよ!

『ボイリング・ポイント/沸騰』

製作・監督・脚本:フィリップ・バランティーニ 
出演:スティーヴン・グレアム、ヴィネット・ロビンソン、レイ・パンサキ、ジェイソン・フレミング、タズ・スカイラー
ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開中
https://www.cetera.co.jp/boilingpoint/
© MMXX Ascendant Films Limited

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。1971年、和歌山県生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。

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