世界の混迷と人間の愛おしさを軽やかな映像美で描く映画『天国にちがいない』 | Numero TOKYO
Culture / Post

世界の混迷と人間の愛おしさを軽やかな映像美で描く映画『天国にちがいない』

現代のチャップリンと称される名匠エリア・スレイマンの新作『天国にちがいない』が1月29日(金)より公開される。ナザレ、パリ、ニューヨーク……ひとりの男の極私的な旅路を、その地独特の街並みや慣習を美しく軽やかに描きつつも、そこに込められている強烈なメッセージとは。

パレスチナの鬼才、カンヌ国際映画祭で二度目のW受賞! “知的な喜劇王”がとぼけた笑いと風刺で贈る世界の縮図

中東パレスチナの鬼才映画作家、エリア・スレイマン。自ら監督と主演を務め、代表作『D.I.』(2002年)では第55回カンヌ国際映画祭審査員賞、国際批評家連盟賞(FIPRESCI賞)などを受賞。「鬼才」というと物々しく響くが、その作風は軽やかだ。中東紛争やイスラエルとパレスチナの対立をテーマにしながらも、ポーカーフェイスのとぼけた笑いにあふれ、チャップリンやバスター・キートン、あるいはジャック・タチなど偉大な喜劇王たちと比較される。同時に端正な画面構成の中には、故郷パレスチナという土地に渦巻く、アイデンティティの混乱を反映させた鋭い風刺精神が横溢する。知的で洗練された「自作自演」型の映画コント師ともいえるだろう。

今回、日本公開される2019年の新作『天国にちがいない』は、時代の実相に併せてアップデートされ、より一層進化/深化したスレイマンの世界が味わえる。第72回カンヌ国際映画祭では特別賞と国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI賞)を受賞(『D.I.』に続く同映画祭でのW受賞!)、第92回アカデミー賞国際長編映画賞ではパレスチナ代表に選出。「優雅で深遠、そしてユーモアと憂鬱を兼ね備えた比類なき傑作」(仏紙ジュルナル・デュ・ディマンシュ)など、各方面から絶賛を受けている。

スレイマンが演じる主人公は、彼の自画像のような映画監督の役。新作『天国にちがいない』の構想を準備中というメタフィクション的な設定だ。

映画監督のES(エリア・スレイマン)は、ナザレの自宅で物思いにふけりながら日々を送っている。パレスチナの社会は至るところで秩序が乱れ、ESの静かな日常にも不思議な事件がちょいちょい起こる。彼の家の庭にあるレモンの樹木から果実を勝手にもぎ取っている男。物騒な男たちの集団を追いかけるパトカーのサイレンの音。あるレストランで目の当たりにしたクレーマーの一家。ヘビに恩返しをしてもらった不思議な話をして去っていく老人……。

まもなくESは飛行機に乗って異国へと旅立っていく。パリ、そしてニューヨーク。新作映画の企画を売り込むためだが、思わぬ珍道中が彼を待ち構えている――。

一見、華やかな大都会だが、やがて戒厳令下のように静まりかえるパリの街。教会の前には施しを受けるために並んでいる貧しい人々の行列。ヴォーカンソン通りの路上で寝ているホームレスの男には救急隊員が話しかけている。誰もいないヴァンドーム広場には、いきなり戦車が何台も走ってくる。続けてニューヨークに飛ぶと、ここの住民はみんな疑心暗鬼のようだ。誰もが銃を持っている。バズーガ砲を持っている者まで。

ここはいったいどこなのか? ESの前にはパレスチナと「ほとんど同じ」な光景がシュールに提示される。それでもパリやニューヨークでは、映画会社や映画学校、アラブ・フォーラムという場などで、スレイマンに「パレスチナ独特のなにか」を求められる。

明らかにここには急速に進むグローバリズムに対する、ローカリズムの混乱の転写が見られる。スレイマン自身は「もし過去の私の映画作品が、パレスチナを世界の縮図として描くことを目指していたなら、『天国にちがいない』は、世界をパレスチナの縮図として提示しようとしている」と変化を明確に語っている。

ちなみにニューヨークの映画会社を訪ねるシーンでは、ガエル・ガルシア・ベルナルが本人役で登場。ESと一緒にロビーでプロデューサー(グザウィエ・ドラン作品『たかが世界の終わり』『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』などの製作で知られるナンシー・グラント)を待っている。その時にベルナルが本作『天国にちがいない』(It Must Be Heaven)とタイトルを言い間違えるのが、ニューヨークを舞台にした1943年のエルンスト・ルビッチ監督の傑作喜劇『天国は待ってくれる』(Heaven Can Wait)だ。また舞台の映画化である『幽霊紐育を歩く』(1941年)のリメイク、1978年のウォーレン・ベイティ監督・主演作『天国から来たチャンピオン』も同じ原題である。

やがてスレイマンは再びナザレの自宅に戻っていく。庭にはレモンの樹木に水をやっている男の姿。山に行けばベドウィンの女性が水を運んでいる。クラブでは賑やかな曲に合わせて、みんな踊っている。いつもの日常が続いていく。

この映画の中ではあらゆる言語が飛び交う。英語、フランス語、アラブ語、スペイン語、ヘブライ語。われわれが生きる「世界の縮図」を、洒脱なユーモアと独特のデザインで描き上げた唯一無二の名編だ。

『天国にちがいない』

監督・脚本/エリア・スレイマン
出演/エリア・スレイマン、ガエル・ガルシア・ベルナル、タリク・コプティ、アリ・スレイマン
2021年1月29日(金)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
URL/tengoku-chigainai.com

配給/アルバトロス・フィルム/クロックワークス
© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人Naoto Mori 映画評論家、ライター。1971年、和歌山県生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」「TV Bros.」「シネマトゥデイ」などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマクラブ』でMC担当中。

Magazine

MAY 2024 N°176

2024.3.28 発売

Black&White

白と黒

オンライン書店で購入する