新疆の大地から現れた新たな映像詩人、ジン・イーが紡ぐ。映画『ボタニスト 植物を愛する少年』

「僕の名前はアルシン。カザフ族の13歳で、身長は155cm、体重は41kg。血液型はA型。新疆北部の草原に暮らしている」──。
2025年製作の中国映画『ボタニスト 植物を愛する少年』は、小さな村で暮らすひとりの少年を主人公に描きつつ、風景そのものが物語を語り始める希有な作品である。監督は新鋭ジン・イー。1994年、新疆ウイグル自治区に生まれ、北京電影学院で映画を学び、『Bukowski』(2019年)、『Manlika』(2021年)といった短編を発表。アッバス・キアロスタミ、テレンス・マリック、サタジット・レイ、そして世代の近い兄貴分のビー・ガンから影響を受け、詩的で瞑想的な映画言語を育んできた。彼の長編デビュー作となる本作は、第75回ベルリン国際映画祭ジェネレーションKplus部門で国際審査員グランプリを受賞。主演のイェスル・ジャセレは初めての映画出演となるノンプロの子役ながら、第15回北京国際映画祭フォワード・フューチャー部門で最優秀男優賞に輝いた。さらに第42回ミュンヘン国際映画祭ヤング審査員賞などを受賞。第38回東京国際映画祭ユース部門などにも出品され、世界が新疆から現れた新たな映像詩人の誕生を目撃することになった。
風景が記憶を抱きしめ、少年の内面が草原に滲み出す── “植物と初恋”の成長譚
舞台は中国最北西、カザフスタン国境沿いの小さな村。風が草原を渡り、植物が揺れ、川が静かに流れる。時間は直線ではなく、循環として息づく。ジン・イー監督はこう語る。「私は風景をただの場所として撮りたくありませんでした。風景は感情や記憶を保存する器であり、人間の内面が外部へ現れる形だと思っています」。
その言葉どおり、広大な草原や植物は人間と同じように生きた存在として映し出され、自然や精霊との静かな対話が作品全体を貫いている。撮影監督リー・ヴァノンによる長回しは草原の光と影を詩のように編み、イランの作曲家ペイマン・ヤズダニアン(キアロスタミ、パナヒ、ファルハディ作品でも知られる)の音楽が、自然と記憶の間に漂う静かな余韻を響かせる。

主人公アルシン(イェスル・ジャセレ)は、祖母と暮らすカザフ族の13歳の少年で、植物を観察し、記録し、標本にすることに夢中だ。村の人々は彼を「植物学者(ボタニスト)」と呼ぶ。植物は彼にとって自然以上の存在であり、失踪した叔父が遺した世界観そのものだ。叔父の影を追うように草原を歩き、時に夢遊病のように森へ迷い込む。彼は黒い馬とも言葉を交わす。現実と幻想の境界がゆるやかに溶け合うこの世界では、馬は亡き叔父の声を運ぶ精霊のようでもあり、アルシンの孤独を受け止める友のようでもある。水の表現も忘れがたい。川面に手を滑らせるアルシンの仕草は、彼が探しているもの──過ぎ去った時間、家族の記憶、そして自分自身──に触れようとする行為そのものだ。水は記憶の比喩であり、風景と心をつなぐ導線として映画全体を貫いている。

ある日、漢民族の少女メイユー(レン・ズーハン)が村にやって来る。明るく自由な彼女は、アルシンの静かな日常に色を差し込む存在だ。監督はふたりの関係を民族的対立ではなく“共存”として描く。「彼らは二種類の植物のようです。同じ場所で生きながら、それぞれ異なるリズムを持っている」。その言葉どおり、アルシンとメイユーの初恋は静かな変化として芽吹いていく。しかしメイユーは新疆から4792kmも離れた大都会、上海へ移る日が近づいている。アルシンの兄もまた北京での仕事に破れ、村に戻りながらも再び都会へ向かうことを夢見ている。人々が次々と去っていくなか、アルシンは“残る者”としての孤独に向き合わざるを得ない。村には天然ガス採掘の計画を伝えるラジオ放送が流れ、近代化の影が静かに迫る。アルシンの世界は、彼が愛する植物のように繊細で、しかし確実に変化しつつある。

小さな物語を包み込む風景は大きく、記憶は深い。アルシンの初恋、兄の挫折、叔父の不在、村に迫る近代化──。草原の風、川の流れ、植物の揺れ。それらがアルシンの内面と呼応し、彼の成長を静かに、しかし確かに刻んでいく。演技経験のない俳優たちを起用したキャスティングも功を奏し、イェスル・ジャセレは歩き、佇み、思索するだけでフレームを支配する繊細な存在感を放つ。中国インディペンデントのアートハウス映画として、ローカルな物語を世界的文脈へと開いていく力を持つ作品である。

『ボタニスト 植物を愛する少年』は、少年の視点を通して故郷の風景を見つめ直す、監督自身のルーツへのラブレターでもある。そして観客にとっても、失われつつある世界の記憶を抱きしめる体験となる。風景が語り、植物が記憶を宿し、少年が世界の粗さと優しさを知る96分。その瞬間を、ジン・イー監督は驚くほど繊細に、そして力強く映し出している。まさに珠玉の映像詩だ。
『ボタニスト 植物を愛する少年』
監督・脚本/ジン・イー
出演/イェスル・ジャセレフ、レン・ズーハン、ジャレン・ヌルダオレット
公開中
https://www.reallylikefilms.com/botanist
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配給/リアリーライクフィルムズ
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito
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