400年以上読み継がれてきたシェイクスピア作品には、語られなかった人物や描かれなかった人生が数多く存在する。名前だけ登場する女性、史実の中で歪められた王、記録の残らない家族関係──その“余白”に光を当て、これまで脇役だった人物たちの視点から世界を描き直した映画や作品を、シェイクスピア研究者の北村紗衣が紹介。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2026年5月号掲載)
ウィリアム・シェイクスピアの戯曲にはたくさんの登場人物が出てきますが、全員のキャラクターが掘り下げられているわけではありません。少し出てくるだけで観客としては気になるもののどういう人だかわからない……というような人物も出てきます。さらには歴史ものなのに史実がだいぶ変更されて省かれているとか、そもそも劇作家自身の人生によくわからないところがけっこうあるとか、シェイクスピアはいろいろな意味で余白に満ちています。
シェイクスピアの著作権はとっくに切れているので、「あの人、何してたんだろう?」というような視点で、いろいろな角度からこの余白を埋めようとするような物語はたくさん作られています。むしろ余白があるからこそ、そこからさまざまな新しい物語を作って観客が楽しめるのです。

『ロザライン』(2022年)は、『ロミオとジュリエット』で名前だけは言及されるものの舞台には出てこないロザラインをヒロインにした作品です。ジュリエットと恋に落ちる前にロミオはロザラインに夢中になっていたらしいのですが、この女の子はキャピュレット家の親戚でパーティに呼ばれていたということ以外はあまり素性がよくわかりません。この若い女性の知られざる生活を面白おかしく想像して描いたのが『ロザライン』です。
この映画のロザラインは原作のロミオのセリフから想像されるような冷たい乙女ではなく、明るく元気でけっこうロミオにも気があるようです。ところがいきなりロミオにフラれたので、親友でゲイのパリスと一緒にロミオとジュリエットの恋路を探って邪魔を試みるものの、結局ふたりの恋心にほだされて……という展開で、楽しく気軽に見られるティーン向けロマンティックコメディです。

『ロスト・キング 500年越しの運命』(22年)は、シェイクスピアの史劇『リチャード三世』でたいへんな悪人として描かれているリチャードの汚名を晴らすべく奮闘するフィリッパ・ラングリーの活躍を描いた実話です。戯曲に出てくるリチャード三世は身体障害のある人物で、自身も持病を抱えるフィリッパは『リチャード三世』の上演を見て心を動かされ、リチャードの名誉回復活動を開始します。イギリス・レスターにリチャードの遺体があるはずだということで発掘を進めるキャンペーンを行うのですが、フィリッパ本人は歴史学者とか考古学者では全くなく、アマチュアのいわゆる「歴女」にすぎません。それでも情熱を支えに頑張って発掘を成功させます。同じような病気や障害に苦しむ者の物語に近づくことで人生に新たな希望や楽しさが見えてくるという映画です。

シェイクスピアは地方出身で特に身分が高かったわけでもないので、人生についてもそこまで記録が残っていません。さらに故郷のストラトフォード・アポン・エイヴォンに家族を残してロンドンで働いていた期間が長かったので、年上の妻アグネス(あるいはアン)・ハサウェイとシェイクスピアの関係はどうだったのかということはさまざまな憶測を呼んでいます。

幼くして亡くなったふたりの息子ハムネットと代表作『ハムレット』のかかわりを軸に、この夫婦関係に取り組んだのがマギー・オファーレルの小説を映画化したクロエ・ジャオ監督の新作『ハムネット』(25年)です。史料が残っていないところについて思いきり想像をふくらませ、史実から離れた自由な物語を女性の視点で展開しています。『ハムレット』は怪談みたいな展開の話でもあり、決して明るい物語ではないのですが、『ハムネット』はそういう話にこそ癒やしの力が秘められていることもある……ということを示唆しています。
Text:Sae Kitamura Edit:Mariko Kimbara
