アーティスト 薄久保香インタビュー「アートの魅力は、意味ではなく“余白”に宿る」 | Numero TOKYO
Art / Feature

アーティスト 薄久保香インタビュー「アートの魅力は、意味ではなく“余白”に宿る」

モチーフを構成し写真に撮影し、プリントやコラージュを通し、それを参照しながらキャンバスに描く。多層的なプロセスによって、相反する概念や曖昧な領域を共存させ、「世界は二項ではなく、その間に存在する」という視点を探究し続ける現代アーティスト・薄久保香。京都のアトリエを拠点にする彼女の制作背景と思想に迫った。

現代のリアリティの階層を投げかける

──制作はどのように始まるのでしょうか。

「私の場合、モチーフを構成して写真に撮る作業が、いわゆる紙にペンや筆で描くようなドローイングに近い作業なんです。写真やモチーフを切り取り、スクラップブックのように再構成する作業から始まります。自身で撮影した画像、他者から託されたもの、デジタル素材など、出自の異なるイメージが混在しています。構成するモチーフは、それぞれに大きく関係があるのではなく、目に見えるほどではない微妙なずれと違和感があるものです。それらは、わずかな違和や余白を孕んだまま、再び別の像へと変化していく。その曖昧さが、私にとっては重要な視点です。

《the third path 第三の径》2025年 油彩/パネル 160×160cm
《the third path 第三の径》2025年 油彩/パネル 160×160cm

また、写真のような過去を呼び戻す行為は、同時に未来を書き換えているのかもしれません。つまり時間は、時計の針のような直線ではなく、層状で、ねじれながら進んでいる。ひとつのモチーフは断片のように、単独で完結せず、別の像とつながる瞬間に、まったく異なる意味が生まれると感じます。『Third Path』は、そんなテーマでつくった作品で、過去のスクラップブックの面に新しい写真を乗せて撮影し、描いた作品です。新しいモチーフが追加されるたび、過去の解釈が変わっていく。つまり作品は完成に向かうのではなく、更新され続けている状態なんです。だからスクラップブックは時系列もバラバラで、最近は過去に貼ったものの上に新たに貼ったりしています」

──描かれるモチーフひとつひとつは、薄久保さんの中では何か関連づけられているのでしょうか。

「ロジカルに意味を見つけている場合もありますが、直感や導きを大切にしています。たとえばこれは知人の大事な指輪を撮影させてもらった写真なのですが、この場所に置くのはダメ、というルールもありません。関係性を注意深く見ながら、新しい可能性が生まれそうなものを探すような感じです」

『ファーブル昆虫記』の「青の時間」という概念をテーマに、夜が終わり、まだ朝が訪れていない。終わりと始まりの境界にあるその曖昧な時間について考えていたシリーズ。
『ファーブル昆虫記』の「青の時間」という概念をテーマに、夜が終わり、まだ朝が訪れていない。終わりと始まりの境界にあるその曖昧な時間について考えていたシリーズ。

──他者のものをモチーフにすることも、偶然性を誘発する装置の一つなのでしょうか。そうしたことに着目された作品について教えてください。

「『東京ビエンナーレ2023』の際、東京・丸の内で働く女性たちにインタビューしてつくったシリーズ作品『She is ”Your Alter Ego Found Right Next to You』では、インタビューさせて頂いた方々が長年愛用しているものや、大事にしているものをお借りして構成し、制作しました。普段裁縫で使われている指抜きを貸してくださる方、留学の際に決意表明として買った指輪を貸してくださる方がいて、どちらも指にまつわるものなので、自然とこのふたつのモチーフが交わりました。主題を考えている時には見つからなかった関係性を、モチーフを照らし合わせることで見出せるのが面白い点でした。そういえば、インタビューの途中で印象的な場面にも遭遇しました。ある方が、前世の記憶について話してくれたんです。それは、一対一の静かな時間だったからこそ、言葉にできたのかもしれません。その瞬間、人と人の関係性もまた、断片が重なり新しい像をつくるコラージュのようだと感じました」

──そういったさまざまな話から、薄久保さんが感じたものを掬い上げ、作品にしていくのですね。

「二次創作的とも言えると思います。物語があるようで、しかし明示されているわけではない。その曖昧さが、作品にもう一つの層を与えてくれます。この絵は最終的にプリントされ、有楽町の壁画になりました。そして今、私はその光景をスマホの画面でお見せしていますが、これは“新しい画中画”であると捉えています。つまり、絵の中に絵を描き、それをプリントし、壁に貼り、最後には誰かがそれを撮影してSNSにアップするまでを想定して制作しました。そして、そのプロセスそのものが、イメージを媒介し、形を変え続ける現代の視覚環境と重なると考えています。
いま、こうして対面している状況はリアルだと認識できますが、SNS上で見たことも別のフェーズの現実と言えます。さらにAIによる生成が高度化するほど、リアリティの所在はますます曖昧になっている。この作品を通じて、どの段階にあなたの『現実』が存在するの?そんな対話が生まれたら良いなと思います」

アトリエの一角。
アトリエの一角。

──そうしたアプローチはどのように発想しましたか。

「一つの箱を開けるともう一つの箱が入っている入れ子箱ってありますよね。箱の中に具体的な『もの』が入っているのかと思って期待してあけてみるけど、また箱が無限に続いている。それをイメージで表現するのではなく、構造で表現したいと思っていたので、絵が写真に撮られて、SNSにアップされることまで想定して制作しました。『これは本物の絵なのか』『プリントなのか』など、勘違いや誤読が起きるのもいいなと」

意味の希薄なものを見る、描くことで時間を遅らせる

《Pictorial Poem》(2024年 油彩/パネル 42x31.8cm)
《Pictorial Poem》(2024年 油彩/パネル 42x31.8cm)

左:《Esquis about Olga》(2024年 油彩/パネル 80.3×80.3cm)右:《pictrial poem》撮影した写真は紙にプリントし、見ながら描くという薄久保さん。絵が完成する一方、プリントは古くなっていく。そうしてボロボロになった紙をオブジェに見立て、反比例した状況を描いた。

──構成していく中で、モチーフの色を意図的に変更することもありますか。

「この《pictrial poem》で描いたチューリップは、もともと白色でしたが、制作の途中で黄色へと変えました。色には、社会的・歴史的な象徴や意味が付随することがありますが、このときの選択は意図的なものではなく、より直感的な判断でした。しかし、後に鑑賞者との対話を通じて、色が時代や空気感に反応し、無意識のレベルで選択に影響を与えている可能性があることに気づかされました。それは、私の身体や感覚が、言語化される前の層で世界と呼応しているという感覚に近いものでした。

ただ、色やモチーフに明確な意図を与えたり、鑑賞者の解釈を限定したりするつもりはありません。抽象的なイメージから複数の解釈が立ち上がり、時に誤読が生まれ、意図とは異なる方向へ解釈が波及していく。その状態こそ、作品にとって開かれた、豊かなあり方だと感じています」

左:子どもの頃に描いたという絵。右:アトリエの机に置かれた紙コップと足指セパレーターも作品のモチーフへと変換される。

──普段から意識してモチーフとなりそうなものを見ているのでしょうか。

「意識というレベルではないところで見ているんでしょうね。画家は、『視る仕事』だと思っているから。美しい、かわいいものには、誰でも目がいくし、見ようとする。でも私は、ものすごく立派なものや、価値のあるものじゃないものを作品にしようとしているので、つまらなさそうなところにこそ何かあるんじゃないかな、という目では視ていると思います。何もなさそうなところに楽しみを見つける感覚みたいに」

──ものの見方に薄久保さんならではの視点が垣間見え、面白いです。

「今、アーティストだけでなく起業家や、様々な職業の方がアートリテラシーを学んで、それをどう社会に還元できるのかについて話されていますよね。ものの見方を変えていくことで有益な話につなげることっていくらでもできますし、私もそうした話をさせていただく機会もあります。ただ私としては、その以前にある、もっとやわらかい部分に興味があります。役立つことだけを求め始めると、表現は途端に硬くなり、面白さや自由が失われてしまう。アートの魅力は、むしろ意味を問われない場所、目的から解放された余白に宿るものだと思っています。先ほどの箱の話と同じで、もしかするとあけてもためになるものはなにもないかもしれない。でも、あける時ってワクワクしますよね。私にとっての絵はそのような箱の中に箱がある構造と一緒で、箱をあける時の期待のうほうに価値を抱いています」

《Forgotten Verses 柚子と酢橘》(2025年 油彩/キャンバス 100×100cm)モチーフを自ら選ばないことをルールに構成した作品。印象的なフラワーベースは大学の学生がお土産にくれたもの。周囲に配置された柚子やすだちは、海外ゲストが来日の際にホテルに忘れてしまったものだそう。「西洋絵画でよく描かれるオレンジに似ていながら、柚子やすだちは主役になったことがない。『忘れ物』というエピソードもふくめ、かわいいモチーフだと思いました」
《Forgotten Verses 柚子と酢橘》(2025年 油彩/キャンバス 100×100cm)モチーフを自ら選ばないことをルールに構成した作品。印象的なフラワーベースは大学の学生がお土産にくれたもの。周囲に配置された柚子やすだちは、海外ゲストが来日の際にホテルに忘れてしまったものだそう。「西洋絵画でよく描かれるオレンジに似ていながら、柚子やすだちは主役になったことがない。『忘れ物』というエピソードもふくめ、かわいいモチーフだと思いました」

──薄久保さんは大学でも教鞭を取られていますが、現在の教育現場をはじめ社会のさまざまな面で有益であることが求められているような気がします。

「現代はものごとのスピードが何事速いですよね。私の作品では、むしろ『時間をどうやって遅らせられるのか?』が重要です。イメージを共有したいだけだったら、わざわざキャンバスを張って絵の具と筆で描くほど非効率なことはないわけじゃないですか。本当は描かなくてもいいかもしれないものを、でもやっぱり描く。モチーフを組んで、写真に撮って、描くというふうにレイヤーをつくってさらにまた時間をかける。そのプロセスには、『どこまで時間を遅くできるか』という願望がつねに内包されています。昨今は、多くの人にとってインスタントな有益さから逃れることの方がが、寧ろ心身に必要なことかもしれませんね」

アートに信じるもの。「描く」という対話

薄久保香+大庭大介 二人展「第三の径」イムラアートギャラリー(京都)の展示(2025年10月)
薄久保香+大庭大介 二人展「第三の径」イムラアートギャラリー(京都)の展示(2025年10月)

──パートナーの大庭大介さんもアーティストです。2025年10月にimura art gallery(京都)で二人展「第三の径」を開催されましたね。

「お互い東京や海外で発表することが多いのですが、制作拠点は京都にあります。だからこそ、京都で展示を行うことには自然さと必然性があると感じていました。もともと、別々の活動をしながら『絵画計画』というユニットを時々組んでいます。二人展としては2020年のベルリンが最初で、日本のギャラリーでは今回が初めてです。互いの作品を深く理解している一方で、正式に展覧会として並べる機会は意外と少ない。その距離感が、今回の二人展をより深い意味レベルへと導いてくれたように感じています。

私も大庭も異なるスタイルの作品で、大庭は、抽象絵画の領域で素材や技法を探りながら、新しい表現の可能性を追求しています。一方、私はイメージを媒介にしながら、抽象的な概念や曖昧さを『描く』という行為を通して具体化することに関心があります。異なるアプローチで制作していますが、その興味の核は通底していて、サイクルの流れの中で交差するポイントがあります。なので、ふたりの作品が共存することで絵画の歴史や方法論を横断し、その幅や可能性を検証できるのではないかと考えていました」

薄久保香+大庭大介 二人展「第三の径」イムラアートギャラリー(京都)の展示(2025年10月)
薄久保香+大庭大介 二人展「第三の径」イムラアートギャラリー(京都)の展示(2025年10月)

──お互いに発見はありますか。

「自分の中では自然の流れのようにできたことであっても、お互いがいなければ見落としていることもあると思います。今回の展示では、私の作品を出発点に、まるでマイクリレーのように互いの作品が枝分かれするように展開していきました。通常、作家同士が制作の途中段階を共有することは多くないかもしれませんが、私たちは日常的に、ほぼ隣り合う空間で制作しています。そのため、お互いの進行状況や迷い、発見や違和感が、言葉にしなくてもどこかで交換されているような感覚がありますね。そして即座に本音で意見を交わせる関係だからこそ、その対話や沈黙までもが、作品に反映されていきました。そうした制作の呼吸が、展示全体に一つのリズムとして流れ込んだのだと思います」

薄久保香+大庭大介 二人展「第三の径」イムラアートギャラリー(京都)の展示(2025年10月)
薄久保香+大庭大介 二人展「第三の径」イムラアートギャラリー(京都)の展示(2025年10月)

──おふたりの関係性ゆえにできることですね。大庭さんは、おふたりが日常の中で関心を寄せているのは、白か黒かではなく、そのあいだに存在する無数のグラデーションであり、そこに思考が動き出す余地があるのではないかとおっしゃっていました。

「社会的な視点で読み取る人もいれば、絵画のフォーマリズムとして受け取る人もいる。その複数の読みが並行して存在しうることが、作品にとって重要だと感じています。私たちは、日常的に政治や社会の出来事について話すことがあります。でもアーティストとしては、それを直接的に提示するのではなく、抽象化された状態で作品に委ね、鑑賞者が自分の解釈に辿りつける余地を残したいと思っています。私も大庭も、そこにこそ信じられる何かがあると感じています。世界をひとつの正解で語れない時代だからこそ、揺らぎや曖昧さを抱えたまま思考できる領域が必要なのだと思います。多分これが『絵』なのでしょうね」

1階のアトリエの壁に貼られたインスピレーションソースや創作メモの数々。
1階のアトリエの壁に貼られたインスピレーションソースや創作メモの数々。

──最後に、薄久保さんの「描きたい」という気持ちを裏付けるものは何でしょう。

「結局のところ、描くことが好きだからだと思います。これだけはとても明確です。キャンバスの種類や絵の具の重ね方、ほんのわずかな筆の動きによって、画面の表情が変わっていく。そんな当たり前のことを、身体を通して感じられることそのものが、最近はますます面白く感じるようになりました。扱う素材の僅かな違いによって、手の動きも自然と変わり、また新しい絵との関係性を生み、その予測できない変化が、とても興味深いんです。『好き』は衝動ですが、『描き続けること』は対話であり、commitment(責任)と愛に近いもので、孤独な制作ロマンとは全く違う性質のものだと感じています。時間をかけて描き続けるには、作品と向き合い続けなければいけない。ときには戸惑いながら、許容し、受け入れていくプロセスが必要になります。

1階のアトリエにて
1階のアトリエにて

それは、私が学生たちと向き合っているときにも感じることです。迷いながら、自分の制作と距離を測り、進んだり戻ったりしながら、それでも手を止めない。その時間を一緒に過ごす中で、他者の心や頭が拡張された自分として重なるような感覚になる瞬間がある。描くことは正解に辿り着くためではなく、自分の速度で世界とつながり直すことなのだと改めて思う今日この頃です。出来事とは、枝に降り立つ鳥のようなものかもしれません。来るかどうかも、いつ離れるのかも、こちらには選べない。それでも、その未完のまま続いていく関係をそっと信じたいと思っています」

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Photos:Asuka Sasaki Interview& Text:Akane Naniwa Edit:Masumi Sasaki

Profile

薄久保香 Kaoru Usukubo 現代アーティスト。東京藝術大学美術学部絵画科油画教授。2010年、東京藝術大学大学院美術研究科博士課程美術専攻修了、博士号(油画)取得。東京と京都を拠点に活動。写真、CG、油彩と3つの制作行程を経る独自の手法で制作する。2025年、大庭大介との二人展「第三の径」(imura art gallery 京都)を開催。www.kaoru-usukubo.com Instagram/@kaolola
 

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