韓国きってのカリスマ監督の連続公開「月刊ホン・サンス」最終号!『自然は君に何を語るのか』

1996年の『豚が井戸に落ちた日』で登場した韓国の異才にして軽やかな名匠──ホン・サンス監督のデビュー30周年を記念して始まった特別企画「月刊ホン・サンス」。 2025年11月から5ヶ月連続で新作を公開するという、世界的にも異例の“月刊連載”のような映画体験だ。 驚異のハイペースかつマイペースで新作を発表し続ける監督の創作速度を、そのまま観客の時間に重ねていく。一本ごとに小さな変化が積み重なり、気づけば「監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽」をひとりでこなすホン・サンスという特異な作家の現在地が見えてくる。 その最終号、第5弾として登場したのが、長編第33作『自然は君に何を語るのか』である。

恋人の実家を訪れた青年の痛みと揺らぎをコミカルに描く
2025年の第75回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に選出された本作は、ひとりの浮遊する青年が直面する痛くて、どこか可笑しい一日を描くコメディ。 主人公は、詩を書きながらバイト(結婚式場の動画撮影)で食いつなぐ35歳のドンファ。演じるのは「月刊ホン・サンス」全5作に出演し続け、ついに本作で初主演を果たしたハ・ソングク(1989年生まれ)だ。 『逃げた女』(2020年)や『旅人の必需品』(2024年)などを引き継ぐ“自称・詩人役”の系譜にありながら、今回はより生々しく、より危うい。
愛用の中古車で3年ほど付き合っている恋人ジュニ(カン・ソイ)を実家まで送り届けるドンファだが、初めて目にするその豪邸の大きさに驚いているうち、彼女の父親(クォン・ヘヒョ)と鉢合わせ。そのまま“義実家での一日”に巻き込まれていく。 アメリカ映画『ミート・ザ・ペアレンツ』(2000年/監督:ジェイ・ローチ)にもなぞらえられる、あの逃げ場のない空気。最初はぎこちなくも、やがて距離が縮まり、そして酒が入り、酔った勢いで取り返しのつかない失態が発火する。

ホン・サンスの映画はフィルモグラフィーの連続性で見ていくことが重要だ。作品ごとにあらゆる“反復と差異”を重ねていき、らせん状に進化していくのがホン・サンス・ユニバースの特徴である。本作で特筆すべきは、監督が“家族”の肖像をこれまでになく立体的に描いている点。 裕福な家に育ちながら、自分は物質主義や競争社会に背を向け、気ままにモラトリアムな日々を生きるドンファは、監督が初期からよく描いてきた“ホン・サンス的主人公”の典型と言える。しかし一方、自分の娘の彼氏にこんな奴が来たらイヤだ!という父親視点が、クォン・ヘヒョ演じる“恋人のパパ”によってもたらされる。言わば本作は従来的なホン・サンス節の延長と、かつての主人公像を自己批評的に捉え直す二焦点へと拡張した説話構造を備えているのだ。

ドンファは『イントロダクション』(2020年)でシン・ソクホが演じた青年ヨンホのように、権威的で支配的な父親との確執を抱えている。ドンファの父はセレブリティともいえる高名な弁護士だが、息子の彼は親の援助に頼らず、文化芸術を大切にした貧乏暮らしを続けている。貯金なんてゼロだ。だが“所詮はお坊ちゃんの戯言”という彼の痛いところを、空気を読まない恋人の姉ヌンヒ(パク・ミソ)が執拗に突いてくるのだ。彼女が夕食の席でドンファに向けて放つ「あなたのお父さんは金持ちで有名人なんでしょ」という言葉は、彼の感情を逆撫でして、やがて不様に爆発する。切実ながらも滑稽で、笑えるほど情けない。この不意に訪問した“義実家”は、ドンファが「世間」の身も蓋もないリアルに晒される試練の場所となる。

そして本作を特異なものにしているのが“自然”だ。 ホン・サンスの映画は基本的に“都市派”であり、街中やそれに準ずる郊外、あるいはバカンス先のリゾートなどを舞台にしてきたが、今回は山の中の大きな家。敷地内には鶏が歩き回り、父とドンファが“詩人の髭”について語る背後で、コケコケと鳴き続ける。やがてその鶏は食卓に上がる運命にある。『ヘウォンの恋愛日記』(2013年)の山歩きを思わせつつ、より生活に密着した“自然”が、登場人物たちのぎこちなさや不安を増幅させる。自然は何も語らない。だがその沈黙が、彼らの心の揺れだけをやけに大きく響かせる。
また視界の“ぼやけ”も重要なモチーフだ。近眼なのに眼鏡を中々かけようとしないドンファは、「少しぼやけているのがいいんです」と語る。ホン・サンス・ユニバースの中でもとりわけ実験的な傑作『水の中で』(2023年)で発明された“ピンぼけ”という新奇な視覚言語が、物語世界の中で効果的に導入されている。
尺は108分。全8章仕立てだが、7章まで細かく刻んだあと、8章だけ長いという不思議なチャプター分けもどこか人を食ったようなユニークさだ。本作ののち、ホン・サンスは本年(2026年)の第76回ベルリン国際映画祭パノラマ部門に出品された最新作『THE DAY SHE RETURNS(彼女が帰ってきた日)』へと歩みを進める。現在65歳、ホン・サンスの“ゆるやかで速い”破格の前進はまだまだ続く。
『自然は君に何を語るのか』
脚本・監督・製作・撮影・編集・音楽/ホン・サンス
出演/ハ・ソングク、クォン・ヘヒョ、チョ・ユニ、カン・ソイ、パク・ミソ
全国順次公開中
https://mimosafilms.com/gekkan-hongsangsoo/
配給/ミモザフィルムズ
©2025 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito
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