痛みと赦しを抱きしめる、ヨアキム・トリアー監督の新たなる到達点『センチメンタル・バリュー』

『わたしは最悪。』(2021年)が世界中で大きな話題を呼んだ北欧の名匠、ヨアキム・トリアー監督(1974年生まれ)がまたしても驚くべき成果を示した。 2025年5月、第78回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で第二席に当たるグランプリを獲得した最新作『センチメンタル・バリュー』は、133分という時間がまるで呼吸のように流れ去る。 複数の物語線がひとつの“家”へと吸い寄せられるように重なり合い、トリアー監督の持ち味である繊細なバランス感覚が極限まで研ぎ澄まされた傑作人間ドラマだ。

“家族”と“芸術”が交差する場所
物語は、ボルグ一家の長女である主人公ノーラ(レナーテ・レインスヴェ)が子どもの頃に書いた「家」の擬人化作文から始まる。家は家族の歴史を記憶し、父の不在も、揺らぎも、ただ黙って受け止めてきた──。 トリアー監督はこの“家”を、家族史と芸術の問題へと巧みに接続し、観客をゆっくりと深い場所へ導いていく。
同時にこれは、ノーラという女性の“回復の物語”でもある。 彼女の名が、女性の自立と解放を主題に据えて近代劇の出発点となったヘンリック・イプセンの戯曲『人形の家』(1879年)のヒロインと同じであることは象徴的だ。 著名な映画監督である父グスタヴ(ステラン・スカルスガルド)との関係に刻まれた傷が、家族の物語と個人の痛みを複雑に絡め取り、ノーラの人生を静かに締めつけている。 そこへ、配信時代の芸術のあり方という現代的テーマが重なり、NETFLIXが実名で登場する大胆さも含め、アートとビジネスの緊張関係を挟みながら、“芸術は人を救えるのか”という問いを深く掘り下げていく。

ヨアキム・トリアー監督はこれまで、『リプライズ』(2006年)、『オスロ、8月31日』(2011年)、『わたしは最悪。』という“オスロ三部作”で、都市(ノルウェーの首都オスロ)を舞台に若者、あるいはそこに準ずる年代の精神の揺らぎを描いてきた。また『テルマ』(2017年)ではホラーの形式を借りて内面の解放を描き、作品ごとに表現領域を拡張してきた。『センチメンタル・バリュー』は、その延長線上にありながら“家”へと視点を移すことで、より親密で、より痛切な領域へ踏み込んでいる。 家は単なる舞台ではなく、記憶と感情を蓄積する“生き物”として描かれ、トリアーのフィルモグラフィに新たな地層を刻んでいる。

さらに『センチメンタル・バリュー』は、たびたびトリアーが敬愛を表明してきた北欧映画の巨匠イングマール・ベルイマン(1918年生~2007年没)の因子をとりわけ強く感じさせる一本でもある。特に権威的な映画監督である父グスタヴの人物像は、ベルイマンの影を色濃くまとった存在だ。劇中には 『仮面/ペルソナ』(1966年)を彷彿させる顔の重なり合うイメージや、役と演じる者の境界が揺らぐショットが登場する。そして“家族”を解剖するような冷徹な視線──。 トリアーはベルイマン的な視覚言語やモチーフを随所にちりばめながら、そこに“和解”や“融和”という現代的視点をそっと差し込む。 ベルイマンの厳しさを受け継ぎつつ、より柔らかく、より等身大の人間的な方向へと歩みを進めている。

また、グスタヴが15年ぶりの新作として自身の母親の人生を映画化しようとする設定は、ベルイマンが自身の家族を俳優として出演させた『ファニーとアレクサンデル』(1982年)を思わせる。しかしトリアーは、自己神話化ではなく“断絶を超えるための芸術”としてこのモチーフを扱う。 そこにこそ、ベルイマンを敬愛しつつも彼を乗り越えようとするトリアーの姿勢が表れている。同じくベルイマンの影響を独自昇華した例として、ダーグ・ヨハン・ハウゲルード監督の『オスロ、3つの愛の風景』(2024年)──『DREAMS』、『LOVE』、『SEX』と並べてみるのも面白い。

そして物語を支えるもうひとつの柱が、妹アグネス(インガ・イブスドッテル・リッレオース)の存在だ。 歴史研究者である彼女は、祖母カリン──戦時中ナチスへの抵抗運動を行ったレジスタンスの一員として活動し、強制収容所から帰還後に家の中で自死した女性──の人生を掘り起こす。父グスタヴは自分の母親、つまりこの祖母を題材に映画を撮ろうとし、その役をノーラに演じさせようとする。 家族史と創作活動が重なり合い、過去と現在が“家”という舞台で響き合っていく。

俳優たちの存在感も光る。ノーラを演じるレナーテ・レインスヴェは、『オスロ、8月31日』で映画デビューし、トリアー作品と共に成長してきた俳優だ。『わたしは最悪。』で第74回カンヌ国際映画祭女優賞を受賞した彼女が、今回も自身とほぼ同じ生年のノーラを演じることで、役と俳優の境界が曖昧になり、作品のメタ性がさらに高まっている。一方、エル・ファニングが演じるアメリカのスター俳優レイチェル・ケンプは、ノーラの“もうひとりの顔”として、『ペルソナ/仮面』的な二重性を鮮やかに照射する。 彼女がノーラの役を“代わりに演じる”という構造は、芸術と人生の境界を揺さぶるトリアーの企みに見事に呼応している。そして父グスタヴ役の名優ステラン・スカルスガルド、妹アグネス役の気鋭インガ・イブスドッテル・リッレオースらとのアンサンブルも完璧だ。

加えて忘れ難いのが、時折差し込まれるユーモア。 アグネスの9歳の息子エリックの誕生日に、祖父のグスタヴが衝撃の問題作として知られる『ピアニスト』(2001年/監督:ミヒャエル・ハネケ)と『アレックス』(2002年/監督:ギャスパー・ノエ)のDVDを贈るという常識外れのプレゼント! 芸術家の偏りと破天荒さを象徴するこのシーンだが、笑いと同時に芸術が持つ人間理解のレンジの広さや、世間一般のコードに囚われぬ救いの可能性を浮かび上がらせる。

総じて『センチメンタル・バリュー』は、家族、芸術、女性の回復、歴史、そして和解── これら多層的な主題を滑らかに統合したトリアーの新たな到達点といえる。ベルイマンへの敬意をにじませながらも、トリアー独自の優しさと現代性が息づき、重層的でありながら軽やかな映画体験を実現している。近年再評価が高まる英国の伝説的シンガーソングライター、ラビ・シフレの名曲「Cannock Chase」(1972年)が流れるエンディングの余韻まで、すべてが美しく、すべてが必然。来たるべき第98回アカデミー賞(2026年3月15日予定/現地時間)では8部門9ノミネートを果たし、大本命のひとつと目されている。賞レースでの存在感も、きっと大きなものになるだろう。
『センチメンタル・バリュー』
監督/ヨアキム・トリアー
出演/レナーテ・レインスヴェ、ステラン・スカルスガルド、インガ・イブスドッテル・リッレオース、エル・ファニング
2月20日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito
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