黒澤明の名作をスパイク・リーがリメイク!『天国と地獄 Highest 2 Lowest』 | Numero TOKYO
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黒澤明の名作をスパイク・リーがリメイク!『天国と地獄 Highest 2 Lowest』

ブラックムービーの旗手として知られる名匠、スパイク・リー監督(1957年生まれ)の最新作が話題だ。それがA24製作の映画『天国と地獄 Highest 2 Lowest』。黒澤明監督の1963年の名作『天国と地獄』を現代アメリカの文脈で大胆に再解釈した犯罪ミステリーで、2025年9月5日よりApple TV+で配信開始されている。主演はデンゼル・ワシントン。スパイク・リー監督とのタッグは5回目で、2006年の『インサイド・マン』以来、19年ぶりのコラボレーションとなる。本作は2025年5月、第78回カンヌ国際映画祭のアウト・オブ・コンペティション部門でワールドプレミア上映され、アメリカでは8月15日に劇場公開された。

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オリジナルの『天国と地獄』は米国の推理作家、エド・マクベイン(1926年生~2005年没)が1959年に発表した小説『キングの身代金』(『87分署シリーズ』の一つ)を原作としたもの。小説は「アイソラ」というニューヨークをモデルにした架空の街が舞台だが、それを高度成長期の日本を背景に社会派サスペンスへと変換した。三船敏郎演じる主人公──横浜の製靴会社「ナショナル・シューズ」社の常務・権藤金吾のもとに、「お前の子どもをさらった」という誘拐犯からの電話が入る。だが犯人の手違いで、誘拐されたのは自分の息子ではなく運転手・青木の子どもだった。そこで権藤は身代金を支払うか否かという道徳的ジレンマに直面する。

今回のスパイク・リー版ではニューヨークの音楽業界が舞台となる。主人公は「業界一の耳を持つ」と称される大御所の音楽プロデューサーで、「スタッキン・ヒッツ・レコード」の創設者である億万長者のデヴィッド・キング(デンゼル・ワシントン)。窓からブルックリン橋周辺が一望できるフロントストリートに豪奢な自宅を構え、業界有数のセレブリティとして成功を収めた文字通りの“キング”だ。しかし実は会社の経営は下り坂。ライバルレーベルによる買収を回避するため、かつて売却した株式の所有権を買い戻す計画を立てていた。

そんな折、キングの息子トレイ(オーブリー・ジョセフ)が誘拐され、犯人から1750万ドル(約26億円)という莫大な身代金を要求される。だが実際に誘拐されたのは、キングの親友である運転手ポール(ジェフリー・ライト)の息子カイル(イライジャ・ライト)だった。それを知るとキングは急に身代金を出すことを渋るが、ポールは自分の息子を助けてくれと懇願し、キングの息子トレイも父親に良心的な選択を迫る……。

黒澤版では主人公と運転手の間にも、階級的な関係性が葛藤の根幹に絡んできたが、リー版ではキングと運転手ポールは親友であり、労使関係を超えた絆でも結ばれている。だがそれ以上に判断の決定的な要因となるのは、マスコミやSNSといった世論の反応だ。もし他人のために身代金を払うことを承諾すれば英雄として讃えられるが、拒否すれば冷血漢としてバッシングされ、キングが築き上げてきたキャリアは実質的に終わるだろう──。つまり良くも悪くも「信用経済」(人間的な信用や評価こそが経済活動の中で大きなパワーを持つこと)に支配されている現在の実相が、社会批評的かつ戯画的に反映されたシナリオアレンジだと言える。

かくしてキングは誘拐犯の指示に従い、黒いナイキ・ジョーダンのバックパックに1750万ドル分の1000スイス・フラン紙幣を詰め(日本円約10万円相当の高額紙幣。ドル紙幣だと重くて運べないため)、ブルックリンのボロー・ホール駅から地下鉄に入り、ヤンキー・スタジアム行きの電車に乗り込む。身代金交換シーンはプエルトリカン・デイ・パレードや野球観戦の喧騒の中で描かれ、ニューヨークという都市の混沌としたエネルギーが濃厚に表現されている。

また本作には音楽映画の側面がある。主要キャストには人気ラッパーのエイサップ・ロッキーや、新世代シンガーソングライターのアイヤナ・リー、ジェンセン・マクレーらが名を連ねる。鉄橋の下で開催されているプエルトリカン・デイ・パレードのステージでは、2025年8月6日に88歳で惜しまれつつ亡くなったサウス・ブロンクス出身のピアニスト、エディ・パルミエリの演奏が大きくフィーチャーされているのも貴重だ。そして犯人とキングのスタジオでの対決はアドリブによって生まれた緊張感に満ちた場面で、リー監督らしい即興性とリアリズムが光る。

なおジェフリー・ライト演じる運転手ポールはいつも白いイスラム帽をかぶっており、ムスリムであることが示されるなど、オリジナルの『天国と地獄』が示した社会階層や経済格差だけにとどまらない、多様な文化的様相が込められているのも興味深い。『天国と地獄 Highest 2 Lowest』は、黒澤明のレガシーを受け継ぎつつ、スパイク・リーならではの社会批評や音楽性を融合させた、まさに映画界の巨匠同士による精神的なコラボレーションの結晶だ。

ちなみに余談ではあるが、最後に関連作として“こちらもおすすめ”の一本をご紹介したい。メル・ギブソン主演、ロン・ハワード監督による『身代金』(1996年)。ニューヨークを舞台の起点にした物語で、アレックス・シーガル監督の『誘拐』(1956年)のリメイク作品だ。しかしその構成や演出には、黒澤明監督の『天国と地獄』からの影響が色濃く感じられる。『天国と地獄 Highest 2 Lowest』と併せて鑑賞すれば、より深い楽しみが得られるはずだ。機会があればぜひご覧いただきたい。

Apple Original Films『天国と地獄 Highest 2 Lowest』
監督/スパイク・リー
出演/デンゼル・ワシントン、ジェフリー・ライト、イルフェネシュ・ハデラ、エイサップ・ロッキー
Apple TV+にて好評配信中

画像・映像提供 Apple

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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito

Profile

森 直人 Naoto Mori 映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。『週刊文春』『朝日新聞』『TV Bros.』『シネマトゥデイ』などでも定期的に執筆中。 YouTube配信番組『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。
 

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