
「幸福の国」と呼ばれるブータンへの旅。個人的には長年住まったニューヨークから東京へ拠点を移したタイミングでもあり、「幸せとは何か?」という人生における本質的な問いに向き合う旅になるのではないか──そんな予感を抱きながら出発した。Numero Closetで受注販売をしている「ブータンテキスタイル」の日本展開へのきっかけとなった2024年の夏の旅。今回、改めて振り返る機会をいただき、個人的な体験と感想にはなるが、初めてブータンへ渡航される方のための参考にもなれば“幸い”である。

入国と空港について
標高2200メートルに位置するブータンの玄関口
ブータンの国際空港は首都ティンプーではなく、パロという町にある。ブータンへの入国ルートは主にタイとインドを経由するが、私たちはバンコクに友人がいたこともあり、2泊してからブータンへ向かった。バンコクからパロまでは飛行機でおよそ1時間。ヒマラヤ山脈に抱かれるブータンは、パロで既に標高約2200メートル、首都ティンプーでは約2300メートル。澄み切った山の空気に包まれるその感覚こそが、この国の「幸福」の土壌をつくっているのかもしれない、と思えた。まるで寺院のような趣をもつ空港に降り立つと、「ここは天国?」と思わず口にしたくなるほど華やかで神聖な雰囲気に包まれる。まず目に飛び込んでくるのは、おとぎ話の国のキング&クイーンのような、国王夫妻の麗しい肖像画。その瞬間から日常を離れ、天空の国での物語が始まるかようだった。

ガイドについて
ブータンの旅行計画は、ビザ取得&ガイド手配から
ブータンは、個人旅行が難しいという点で珍しい国である。かつて行われていた入国者数の制限こそ撤廃されているものの、ビザの取得は依然として必要だ。ビザは、旅行会社を通して取得し、かつガイドを手配するというのが基本的なルール。正直なところ、私はこれまで旅行でツアーを利用したことがなく、アメリカ在住時にもジャーナリストビザなどすべて自分で申請していたくらいである。だから、「旅行会社を通してガイド付きで旅をする」という形式には、どこか割高なのでは、あるいは“ぼったくり”ではないか、という懸念が拭えなかった。

加えて私は以前、ブータンの経済支援の仕事に関わっていたこともあり、現地には友人・知人が何人もいる。彼らから最新の情報を聞きつつ、到着後にのんびりスケジュールを組めばいい、くらいの気持ちで構えていた。だが、連絡を取った誰もが口をそろえて言ったのは、「ガイドは手配したの?」という一言。そこまで言うなら……と、しぶしぶ旅行会社を通してビザとガイドをお願いすることに。当初は「ドライバーさえいればいい」と思っていたが、結果的にはガイドを頼んで大正解だった。私たちを案内してくれたドルジくんは、ブータンの中でもかなり高地にあるノマド(遊牧民)の村の出身。村一番の秀才として教育を受け、ガイド資格を取得したという経歴の持ち主で、その案内は実に的確かつ丁寧だった。加えて、自身の体験から語られるリアルなブータンの暮らしは、ガイドブックでは知り得ない面白さに満ちていた。
左:ナイスコンビだったガイドのドルジくん(左)とドライバーのソナムくん(右)。右:岩場などに供えられた小さな仏塔(ツァツァ)。
空港で出迎えてくれたドルジくんと合流し、私たちはまず宿泊先のホテルへと向かった。その道中、彼が最初に話してくれたのは、なんと「ブータンのお葬式」についてだった。今では火葬が主流になっているとはいえ、ブータンでは鳥葬、水葬、土葬と、地域や故人の年齢によって弔いの方法がさまざまだという。たとえば、かつては8歳以下の子どもは鳥葬にされるのが慣わしで、山の上の大きな岩の上などに、動物に持ち去られないよう遺体をしっかりとくくりつけるのだという。水葬はさらに独特で、まず頭部を切り落とし、それを隠す役割の人がいる。その後、遺体は108の断片に切り分けられ、川に流される。
火葬の場合もただ焼いて終わりではない。遺骨を粘土に混ぜて小さな仏塔(ツァツァ)を108個作り、その中に経文を収め、雨風の当たらない岩陰や洞窟などに安置するのだという。出会って間もないというのに、こんなにディープなトピックスを語ってくれる彼に、私は不思議な信頼感を覚えた。ひょっとして、ここ数年で私が両親と叔母を立て続けに亡くしていることを、何か察したのだろうか——そう思うと、車窓から流れる山の景色を見ながら、胸の奥がじんわりと熱くなった。これは、私にとっての旅の静かなプロローグだった。

日程と観光について
名所、断崖絶壁に佇むタクツァン僧院(タイガーズネスト)は必見
私は少し仕事もあったので首都のティンプーに5泊、空港に近いパロに1泊、合計6泊したが、観光だけだったら4泊くらいでもいいかもしれない。各々の観光地については他のガイドブックに譲るとして、やはり強くおすすめしたいのがブータン随一の名所・タクツァン僧院(タイガーズネスト)だ。断崖絶壁に張り付くように建てられたその姿は、実際に目にすると神聖さと迫力に満ちている。ただし、そこにたどり着くにはなかなかのハイキングが待っている。

道のりは想像以上に急で、私たちは途中までポニーに乗って行くことにした。事前に「ポニーに乗るのはおばあちゃんくらいだよ(笑)」と経験者にからかわれたものの、実際に歩いてみると、むしろポニーに感謝したくなるような傾斜。とはいえ、そのポニーたちも相当きつそうで……。岩場の坂をふんばるたびに「がんばって!」と声援を送ってしまうほど。結論としては、「観光地だからといって甘く見てはいけない」というのが私の率直な感想。タイガーズネストに行く予定がある人は、履き慣れた靴で行くのをお忘れなく。

ホテルについて
ブータン文化をラグジュアリーに堪能するアマンコラからコスパ◎の3つ星ホテルまで
今回はリサーチも兼ねて、3つ星ホテルから新築のデザイン系ホテル、さらにはラグジュアリーの代名詞・アマンコラまで、さまざまな宿に滞在してみた。アマンはブータン国内に、パロ、ティンプー、プナカ、ガンテ、ブムタンと5か所のリゾート展開しており、アマンのみを巡りながら旅をする、という贅沢なプランも可能。実際、私たちは1泊だけの滞在だったが、その短い時間でも「さすがアマン」と唸るようなブータンらしい体験が詰まっていた。たとえば、部屋にはルームウェアとして民族衣装(男性用の「ゴ」、女性用の「キラ」)が用意されており、ホテル内でのんびり着用して過ごすことができる。
パロにある「Aman Kola」ロビーラウンジにて。今は機械印刷されていることの方が多い祈祷旗を昔ながらの手刷りで作らせてくれた。
また、仏教経典の文字が記された祈祷旗「ルンタ」を自分で作るというアクティビティも用意されていて、観光とはまた違った体験を味わうことができた。宿泊費にはすべての飲食代が含まれているため、ホテルの中だけで1日ゆっくり過ごすという贅沢も可能。スパメニューも非常に充実しており、ブータン名物の石風呂体験も楽しめた。
とはいえ、3つ星ホテルも決して悪くない。部屋は広々としていて清潔感があり、サービスも丁寧。価格帯を考えると、コストパフォーマンスはかなり高いと感じた。

また、もうひとつのラグジュアリーホテルとしては「シックスセンシズ」も有名で、こちらは宿泊客以外でもレストランの利用が可能だったため、ディナーだけ立ち寄ってみることに。ブータンのランドスケープを生かした洗練された空間と、地元のオーガニック食材によるお料理を堪能した。

食について
辛いもの好きにおすすめ⁉︎ ブータンの郷土料理を体験
ブータンの郷土料理には、驚くほど唐辛子が使われている。その代表格が「エマダツィ」と呼ばれる、唐辛子とチーズの煮込み料理。現地の人にとっては家庭の味ともいえる一品だが、ブータン人仕様の辛さは私たちにはなかなか手強い。ほとんどのお店では観光客向けにマイルドに調整して出してくれるが、それでも十分にパンチがある。もうひとつ、どこで食べても外れがなかったのが「モモ」。チベット文化圏でも親しまれている餃子のような料理で、野菜や肉を包んだ蒸し餃子だ。皮のもっちり感とスパイスの効いた餡が絶妙で、ついつい何個でも食べたくなる。
左:織物職人さんたちとランチ。ブータン伝統のバター茶をいただく。右:日本にも多く輸出されているブータン産松茸。
そして忘れてはならないのが、ブータンの名物「バター茶」。これは“お茶”と呼ぶにはかなりクセがある代物で、団茶にヤクのミルクから作られたバターを溶かし、さらに塩で味付けしたもの。もともとは高地で暮らす遊牧民の栄養源として飲まれていた。食事と一緒に出てくることが多いため、スープのようなものと考えると少し飲みやすくなる。また、私が訪れたのはちょうど夏の終わりから秋の初めにかけての季節で、ブータンでは松茸の旬にあたる時期。幸運なことに、現地の友人がその松茸でスープを作ってくれた。日本人の味覚に合わせて塩加減を微調整してくれたその一杯は、優しさに溢れており、心に沁みる滋味深さだった。私にとってはその素朴で温かいスープこそが旅のなかでいちばんのご馳走、ともいえるメニューだった。

お土産について
ブータンでしか買えないレア&オーガニックなお土産を探そう
ブータンの手織りものを探すなら、ティンプーにあるテキスタイル専門のミュージアム「Royal Textile Academy」のギフトショップはぜひ訪れてほしい。普通のお土産屋さんとは一線を画し、クオリティの高いプロダクトがブータン各地からセレクトされている。

そして、ティンプー中心部にある「Centenary Farmers Market」へもぜひ行ってほしい。色とりどりの野菜や種類豊富なお米、ブータン料理に欠かせない唐辛子や各種スパイス、さらにはお香やその原料となる香木なども豊富に並ぶ。私たちはここで、ヒマラヤの標高6000〜7000メートル地帯にしか自生しないという、石楠花(シャクナゲ)の香木を購入した。まるでパロサントのように焚くと、空間が一瞬で清らかにリセットされるような清々しい香りが広がる。まさに旅の余韻を日本に持ち帰ることができたようである。
左:メタル製キッチングッズも素朴で可愛い!右:ブータン産唐辛子と山椒。
また、ブータンの名産品として忘れてならないのが「冬虫夏草」。ヒマラヤ高地に自生する貴重な薬草で、生体機能の全般を高めるとされている。ガイドのドルジくんによると、これはノマド(遊牧民)たちにとっては非常に大切な収入源でもあり、採取の時期には山での競争が熾烈を極めるのだとか。中国などに輸出されるといわゆる“倍々ゲーム”で価格が跳ね上がるため、品質・価格ともに現地購入がベストらしい。ティーバッグに加工された冬虫夏草もあり、お土産にもぴったり。
そして、帰りがけに空港で入手してほしいのはブータン産のウイスキー「K5」。現・第5代国王の就任を記念してつくられたもので、ヒマラヤの雪解け水を使って仕込まれている。国外ではなかなか手に入らないレアなアイテムらしいのでぜひ!

ガイドとドライバーをお願いしての旅は、1週間も共に過ごすうちに、すっかり打ち解け、旅の終わりにはまるで旧友のような関係になっていた。とりわけガイドのドルジくんが道中で語ってくれた話や個人的なエピソードは、ガイドブックには載らない“今”のブータンの空気を生々しく伝えてくれるものだった。伝統的な価値観の中で育ちながらも、急速に押し寄せる近代化の波に戸惑い、揺れる若者たちの姿。そのリアルな葛藤は、まさに「発展途上」という言葉がしっくりくる、現在のブータンそのものを象徴しているようだった。いまや情報はいくらでもデジタルで手に入る時代だが、毎日きちんと民族衣装を身にまとい、誠実にそして情熱をもって自国の文化や現実を伝えようとする彼らガイドたちの存在こそ、ブータンの“生きたアンバサダー”といっていだろう。

これまで多くの国を旅し、さまざまな文化に触れてきたつもりだったが、先進国で生まれ育った私にとって“当たり前”とされる価値観や物差しが、必ずしも通用しない世界があることをあらためて思い知らされる旅でもあった。世界にはまだ、自分が知らない領域が無数にあり、人智の及ばぬ深遠な世界が確かに存在する。輪廻転生を信じ、祈るように日々を生きるブータンの人々の姿に触れたとき、私はそれまでの自分の価値観が静かに、しかし確かに揺さぶられていくのを感じた。
そして旅の終わり、心の奥底でずっとくすぶっていた「幸せとは何か?」という問いに、ようやく一筋の光が差し込んできた気がした。信頼する友人たちとブータンという特別な土地を訪れ、ともに時を過ごせたことへの“幸福”。そして、儚くも美しい手織物の文化に再び出会えたことへの“幸福”。その一つひとつが、自分にとっての「幸せ」の輪郭を、少しずつではあるが浮かび上がらせてくれたようだ。
Photos&Text:Akiko Ichikawa Edit:Masumi Sasaki









