エッセイ『なめらかな人』が話題の美術家・百瀬文に聞く、言葉とアートの関係 | Numero TOKYO
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エッセイ『なめらかな人』が話題の美術家・百瀬文に聞く、言葉とアートの関係

文学界では本業を持つアーティストたちの活躍が目覚ましい。音楽や演技、芸術での表現方法を持つ彼らが筆をとるとき、そこに本質が現れるのではないだろうか。そんな本業を持ちながらも文筆業で表現をすることを選んだ3人のアーティストたちに話を聞いた。一人目は美術家・百瀬文にインタビュー。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2024年11月号掲載

Photo:金川晋吾
Photo:金川晋吾

──著書『なめらかな人』は雑誌『群像』でのエッセイ連載をまとめたものです。そもそもの執筆の経緯から教えてください。

「最初は小説執筆の依頼をいただいていました。しかし、いざ書いてみると主人公が自分の分身のようになってしまって。自分ではない登場人物に何か言わせることに羞恥心を覚えてしまい筆が進まず、エッセイという形で仕上げました。自分自身が主語であれば、むしろ包み隠さず書ける感覚は不思議でした」

──ご自身の文章の特徴をどのように捉えていますか。

「体を経由した言葉で書いている感覚があります。それも皮膚側ではなく、内臓を経由したような触覚性を意識しています。本書の『骨が怖い』では火葬場で祖父の骨を箸でつかんだ経験が、だし汁をたっぷりを含んだ高野豆腐をつかんで口にした感覚と重なったことを書きました。まったく異なるイメージが口の中で誤読されてしまうわけです。

外から見えない体の中の、底知れない闇や不気味さを経由して、文章が出来上がる。その感覚は私が抱えるパニック障害とも関わりがあると思います。得体の知れないモヤモヤした塊が体の中をうろついている感覚が常にあるんです。また、流動的に変化していく文章を書くことも特徴かなと思います。矛盾も含めて、人間の整合性のなさについての話は書いていて面白いので」

《Love Condition》 2020 遠藤麻衣×百瀬文(東京国立近代美術館「フェミニズムと映像表現」で12/22まで展示)
《Love Condition》 2020 遠藤麻衣×百瀬文(東京国立近代美術館「フェミニズムと映像表現」で12/22まで展示)

──遠藤麻衣さんとの共作《Love Condition》では二人で粘土をこねながら「理想の性器」について対話を行っていました。あの作品からも常に形を変えていく流動性の心地よさを感じました。

「グルーヴというと言い方が軽いかもしれませんが、初めから決められた形に言葉で造形するのではなく、その都度生まれる文章の展開に身を任せるというのは大事にしたいです」

──これまでどのような書籍を読まれてきたのかも気になります。

「アゴタ・クリストフ、ガブリエル・ガルシア=マルケスの作品が好きです。特にマルケスの『エレンディラ』は私の文体に影響を与えていると思います。磯の匂いや湿度が感じられる文章で、目に映らないものを印象的に描いている作品です」

──ご自身の映像作品についてはどのように言語化されていますか。

「説明を求められる機会において『コンセプトは……』という語り口をするのは好きではありません。アートの説明であれば、材料や目に見える状況を伝えるだけで本来十分だと思っているんです。制作した上で生まれた意味については言語化ができますが、人に伝える際はそれが正解であるかのように伝えないよう心がけています。アートに対して鑑賞者は『答え』を知りたがるものですが、わからない不安に耐えることも必要なことだと思います」

──文章がはらむ暴力性についても日頃から意識されていますか。

「ヘイトなど直接的な表現だけでなく、『誰かを代弁しようとしていないか』に注意を払っていました。例えば私のアイデンティティの一つに『女性』が挙げられますが、『女性である私たち』のような書き方はしたくない。私以外の女性たちを動員することで、説得力を持たせようとしていないか、犠牲者としてのレッテルでその人たちを語ろうとしていないか。勝手に誰かを代弁することも、ある種の暴力になり得るので、主語が『私』であるか『私たち』であるかは意識して使い分けないといけないと思っています」

 
 
 
 
 
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──執筆業はアーティスト活動にどんな影響を与えていますか。

「芸術家が言葉を使う際、言葉が先に立ちすぎて作品がただの挿絵になってしまう悪いパターンもあると思います。それなら言葉ですべて説明すればいいし、作品を見る意味がないですよね。今回エッセイを書いて感じたのは、《Love Condition》のように言葉自体の引力によってその都度造形が生まれる関係が理想だということ。逆もしかりで、造形によって言葉が可塑的に変化していくことも。

私は、言葉自体が自由に文章の中で駆動し始めて複雑な像を勝手に結ぶ経験を何度もしました。そのたびに、自分が文章に身を委ねる心地よさを実感します。そして『言葉が常に作品の前に立つものではない』という、当たり前のことにも気づけました。言葉は粘土のように形を変えながら常時何かをこねられる存在でもあり、作品を変化させられるものでもある。その柔軟性をあらためて感じることができたことで、アートと言葉の関係性を少し楽に考えられるようになった気がします」

『なめらかな人』

著者/百瀬 文
価格/¥1,650
発行/講談社

たとえこの地球に散り散りに住むことになったとしても家族でいられるように、わたしたちは将来の約束をしない-ー群像の好評連載がついに単行本化。新進気鋭の美術家による清冽なエッセイ。

フェミニズムと映像表現

会期/2024年9月3日(火)〜12月22日(日)
会場/東京国立近代美術館2Fギャラリー4
住所/千代田区北の丸公園3-1

料金/一般500円 大学生250円

時間/火〜木・日10:00–17:00 金・土10:00–20:00(入館は閉館の30分前まで)
※但し、12月16日(月)10:00–17:00は臨時開館

休館/月曜日

URL/https://www.momat.go.jp/exhibitions/r6-2-g4

Photo:Shingo Kanagawa Interview & Text:Daisuke Watanuki Edit:Miyu Kadota, Mariko Kimbara

Profile

百瀬 文Aya Momose 美術家。1988年、東京都生まれ。撮影者と被写体の関係性のゆらぎを映像自体によって問い直す作品を制作する。近年は映像に映る身体の問題を扱い、セクシュアリティやジェンダーへの問いを深めている。著書『なめらかな人』(講談社)は、幼少期、そして2人の男性パートナーと暮らす現在にかけて、日常で抱える違和感や欲望をありのままに綴ったエッセイ。

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