25年間通い続ける、第2の故郷ドバイ【ダージリン コズエが行く、人生最高の旅】
旅のプロ、ダージリン コズエによる連載。世界中のあらゆるデスティネーションを行き尽くし、現在も国内外問わず旅に赴く玄人トラベラーが語る、“人生最高の旅”とは?
40代後半にもなると、幾度となく「人生の岐路」を経験します。
私にとって、人生初の岐路は、90年代の終わりに、日本政府の国際交流プログラムでアラブ人、イスラーム文化と出会い、ドバイという面白い都市と出会ったことだと思います。
そのおかげか(?)、出張で行くパリを除き、世界で最も多く訪問している都市がドバイで、もはや第2の故郷となりました。
日本ではアラブというと戦争や事件のニュースが多いので、何となく「危なさそう」という印象を持たれることが多いのですが、一度アラブと出会うとクセになるってくらい何ともいえないチャーミングさがある人たちだと思っています。
ドバイを訪れたことがある人は、近代的なビルが立ち並ぶ街で、ランボルギーニやフェラーリから、若い男性がカンドーラと呼ばれる白いワンピース姿で出てきたり、スカーフで髪を隠し、身体のラインが見えないようアバヤを身に纏った女性がラグジュアリーブランドの最新バッグを持って歩いたりする姿をみて、伝統的なのか超モダンなのか……と一瞬頭がバグってしまう経験をしたことがあるかもしれません。
この脳内一時停止の「ナニコレ?」に若い頃出会ってしまい、知らないことを知りたい一心で通い始め、あっという間に25年もの年月が経っておりました。
今でこそ「ドバイへ行く」というと「えーいいな♡」と言われますが、90年代終わりは、まだドバイへの直行便もなく、ドバイへ行くというと「え……大丈夫?」と言われておりました。
最近では、「ドバイでいつも何をしているの?」「ドバイへそんなに行って飽きないの?」とよく聞かれます。
私にとって「ドバイへ行く」は「実家に帰る」ようなものです。
あ、そろそろ帰る時期だな、と思っていると、ドバイっ子たちから「来月、○○○(親戚や家族)の結婚式があるからおいで」と連絡が来て、数週間後にドバイへ飛ぶという流れです。
ドバイという街はこの25年で煌めく大都市へと変化しましたが、一歩ローカル社会の中に入ると、以前と変わらないアラブの温かく人情味溢れた世界のままです。
かつては、行くたびに友人の実家で寝泊まりしていたのですが(ゲストルームがどの家にもある)、最近は、ホテル滞在が多くなりました。ジュメイラビーチ沿いのホテルに滞在し、ひとりのんびりとドバイのスカイラインを見ながら過ごすのもなかなかいいものです。
とはいえ、ホテルにいるのは午前中と夜寝る時くらいで、今もドバイ滞在中の多くの時間を彼らの家や実家で過ごしています。実家やビーチや砂漠の別荘で家族(20人くらいいつもいる)とブランチをし、喋って、庭やビーチテラスで茶を飲みながら喋って、人気のスポットへ出かけ、また喋って、話題の場所で夕食をとり、さらに喋って、誰かが合流し、茶を飲み、もっと喋って、ホテル部屋に戻る。そして翌日もまた誰かが迎えに来て、その人たちの実家か別荘でのブランチをスタートに同じルーティーンを繰り返す……を一芸のごとく何十年もやっております。
本物の実家(?)への帰省と唯一異なるのは、ドバイのローカルたちはムスリムなので、豚料理がないのと、アルコールを飲まないくらいでしょうか。
週末の家族が集まるブランチやディナーは、テーブルに中東の美味しい料理が並べられます。みじん切りにした大量のパセリとトマト、オニオンにレモンを絞ってとオリーブオイルと合わせたサラダのタッブーレ、雛豆のペーストのフムス、ブドウの葉っぱでピラフを包んだものや、マトンを煮たもの、チキンを煮たものなどが出ます。お米はビリヤニみたいなものがよくでて、マトンやチキンの煮物と合わせて食べます。
いつも友人たちにドバイで何を食べたいか、と聞かれるのですが、「ママ(&メイドさん)の家庭料理」と答えるほど、大好きなものばかりです。
マトンやラムは苦手なんですが、中東で食べると新鮮な上にスパイスをふんだんに使ってあり臭みがなく食べられるという不思議。
また、アルコールの代わりではないですが、家での団欒ではブラックティやカラクティ(カルダモンや練乳が入った甘いミルクティ)がクッキーやチョコレートなどと一緒に出されます。
家の中のサロンや、ガーデンやビーチ、砂漠などのテラスにみんなで集まって、永遠に出されるお茶を飲みながらお喋りを楽しんでいます。
こういう時の話はわりと世界共通なところがあり、流行りのドラマ(ここ10年ほどはトルコドラマや韓国ドラマ)や、どこに美味しい店ができた(いや、あそこは美味しくないなど)、誰とかが結婚した、ヴァカンスでのハプニング、子供たちの爆笑話などなど。
ムスリムではない私の生活にない会話といえば、メッカへの巡礼に行ったという、イスラームならではのものでしょうか。メッカがどういうところなのか、どんな格好で行くのかなど、私の素朴な質問にみんなが答えてくれます。
そんな感じで1日の大半を友人たちと過ごしております。
ドバイへ帰る度に友人のママには「最近は何でうちに泊まらないのか」と聞かれるのですが、さすがに良い歳だし、友人たちも独立して生活しているので、「ママのところにいたら、居心地が良すぎて私東京に帰りたくなくなるからね」と言い、ホテルへ向かいます。
そうすると、「このデイツを持って行け」「ここのタヒーニ(ゴマペースト)が美味しいから瓶ごと持って行け」「このバクラヴァも(パイ生地の中にスタチオなどをいれシロップ漬けされたお菓子)」と大家族サイズの大きな箱や巨大な瓶を持たされるのです。
まさに実家です。
旅人や客人をもてなし、また祖父母、親(特にママは絶対権力を握るボス!)を大切にするなど、日本とも似ているところが多々あります。特に、冗談が大好きで、人情溢れ、愛すべきチャーミングさなどは大阪のオカンやオトンにも共通するなーとよく思います。
ママがあれこれ私に渡す姿を見た友人の兄弟たちが「そんな大量のお菓子、スーツケースに入らないよ」「ゴマペーストを東京へ持たせなくても」なんて言おうものなら、「何があかんの!」とママおこです。
最後には「いいからこれも持っていき」と、さらに1キロ以上はあるデーツがオマケでもうひとパック追加され、私は両手で大量のお土産を抱えながらホテルのロビーを通って部屋に戻るのです。
そんなこんなで、ひょんなことからドバイっ子たちと国際交流で知り合った縁から、四半世紀もドバイという街や人々と長く付き合い、現在に至ります。最近は、老後をどうやって過ごすか、いつ引退するかなど、中年らしい会話もふえ、文化や住んでいるところは違っても、悩みや考えることはどこも大して変わらないなとつくづく思います。
なぜそんなにドバイへ行くのか。
それは、第二の故郷には、家族同然の友人とそのファミリーがいるから、というシンプルなものです。
プール付きの豪華な家や、高級車もスポーツカーも乗りこなすドバイ女子、今も子沢山のファミリー、女性のキャリアなど、ドバイについては書き始めるとアラビアンナイトほど長くなってしまうので、今日はこのへんで。
Photos & Text:Darjeeling Kozue