「人間」を描く希代のシネアスト、橋口亮輔監督の9年ぶりの最新作『お母さんが一緒』
魂が震えるといった形容も、どんな言葉も追いつかない人間群像劇の大傑作『恋人たち』(2015年)から9年。橋口亮輔監督が待望の最新作を発表した。ただし構える必要はない。山梨の温泉旅館を舞台にした『お母さんが一緒』は、けんかばかりの三姉妹の姿を描く軽妙なホームドラマであり、肩の力を抜いて楽しめる泣き笑いの人間喜劇だ。
江口のりこ×内田慈×古川琴音。最強のトリプル主演が三姉妹をコミカルに演じる、心から笑って泣ける珠玉のホームドラマ
原作はペヤンヌマキによる2015年の同名舞台。それをもとに橋口監督が脚色を手がけ、まずはドラマシリーズとして完成。CS「ホームドラマチャンネル」(松竹ブロードキャスティング)で2024年2月から各話30分の全5話(加えてアナザーストーリー1話)の形で放送されたものを、新たに再編集した劇場映画版が本作である。
主人公は母親を連れて温泉にやってきた三姉妹。親孝行のつもりだった久々の家族での小旅行だが、もともと娘たちは抑圧的な母親との確執があり、なにかと愚痴ばかり。また三姉妹の間でも、長年積もりに積もったわだかまりが爆発し、いつしか壮絶な姉妹げんかへ。長崎の方言(原作者ペヤンヌ、橋口監督ともに長崎出身)で繰り出される饒舌な台詞合戦は、まるで殴り合いのような言葉の暴力の応酬。実は全編のほとんどが修羅場なのだが、なぜかコミカルかつチャーミングに映り、時に彼女たちの内なる苦みや痛みに優しく触れて、こちらの涙腺をほろっと刺激する。「人生は近く(クローズアップ)で見ると悲劇だが、遠く(ロングショット)で見れば喜劇だ」とはチャールズ・チャップリンの名言だが、橋口監督は絶妙に引いた目線や距離感と、姉妹たちに寄り添うようなまなざしを抑揚豊かに行き来するのだ。また劇全体に女性たちをめぐる旧来的な価値観の呪縛と、そこからの解放を模索する意図も感じさせる。
何よりもキャストが抜群。容姿にコンプレックスを抱く優等生気質の長女・弥生役には江口のりこ。その姉と天敵のように対立する次女・愛美役には内田慈。江口と内田はともに『ぐるりのこと。』(2008年)の端役で橋口組に初参加。内田は『恋人たち』の女子アナ役で強い印象を残し、また『お母さんが一緒』の原作の舞台版でも同じ愛美役を演じている。姉ふたりをクールに見据える三女・清美役には古川琴音。まさに当代きっての演技巧者たちが揃った。そしてさまざまに立ち位置を組み替えて、終わりの見えないパワーゲームを繰り広げるこの三姉妹(母親は顔を見せない)のこじれた関係性に、するっと入っていく唯一の男性が、清美が家族に初めて紹介する恋人のタカヒロ。この役を演じるのは、人気お笑いトリオ「ネルソンズ」の青山フォール勝ち。本格的な俳優業はこれがデビューとなるが、物語に澄明さをもたらす緩衝材的なキーパーソンとして、独特のイノセンスと柔らかな存在感を発揮している。
橋口監督はセクシュアリティも含めて自らの屈託や生きづらさを率直に曝け出した初長編の『二十才の微熱』(1993年/第6回PFFスカラシップ作品)から、高校生6人の珠玉の青春群像劇『渚のシンドバッド』(1995年/第25回ロッテルダム国際映画祭グランプリ受賞)、ゲイのカップルと独身女性の3人の関係を通して家族の概念と可能性を新たに問い直した画期的な名作『ハッシュ!』(2001年/第54回カンヌ国際映画祭監督週間出品)など、常に全身全霊で、本物の感情が籠もったオリジナルを放ち続けてきた映画作家だ。原作つきの長編映画は『お母さんが一緒』が初めてになるが、しかし人間の可笑しみや哀しみを温かく浮かび上がらせる演出や語り口はやはり唯一無二の味わい。また同時にワークショップのエチュード(即興劇)から生まれた中篇『ゼンタイ』(2013年)などにも通じる軽みがある。そしていつでも橋口監督が見つめるのは、人間の本質にある一筋縄ではいかない面倒くささと愛おしさだ。
今回は「三姉妹もの」というある種古典的なフォーマットに則っていることもあり、例えば向田邦子のドラマや、あるいは木下恵介や成瀬巳喜男など往年の日本映画のDNAを受け継ぐ伝統性も感じさせる。そしてありったけの喜怒哀楽の放出の果てに、すべての怒りや苛立ちが、夜明けの空や朝の光に溶けていくような爽やかな後味は他に類がないものだ。人間の業についての深い肯定性。ぜひ『お母さんが一緒』をエントリーモデルにして、橋口亮輔という希代のシネアストの世界を体験してほしい。
『お母さんが一緒』
原作・脚本/ペヤンヌマキ
監督・脚色/橋口亮輔
出演/江口のりこ、内田慈、古川琴音、青山フォール勝ち(ネルソンズ)
7月12日(金)より、 新宿ピカデリーほか全国公開
https://www.okaasan-movie.com/
©2024松竹ブロードキャスティング
配給/クロックワークス
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Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito