写真家たちの冒険 vol.2 志賀理江子「身の回りに秘境は潜む」
人生で経験できることは、残念だけど限られているだろう。世界中の町に行くことは難しいし、身の回りのことだって全てを知らない。でも、私たちには写真家の眼差しがある。彼らの世界に触れることが、自分で体験するよりも遥かに豊かな経験になり得るのだ。特集「写真家たちの冒険」vol.2は志賀理江子。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2023年6月号掲載)
身の回りに秘境は潜む
今まで、そこまでたくさんの国を飛び回って写真を撮ってきたわけではないので、振り返ってみれば訪れたことがある土地はそれほど多くはなかったのでした。その代わり、自分が住む場所のせいぜい半径100メートル以内を、できる限りよく見ることはしてきたと思います。そうすると、どこにでも秘境はあるものだなといつも驚きます。
最近、身近なところに目を凝らして気づいたものとして、飢餓供養塔があります。宮城県にある自宅の近所の路傍に、1782年から88年にかけて起きた天明の飢饉を受けて立てられた、碑と無縁仏があるのに気づいたんです。東北は歴史上何度も飢饉に見舞われてきましたので、少し調べてみるとこうした供養塔はあちらこちらにあると知れます。江戸時代の記録をひもとけば、極まってわが子や土まで食べたといったすさまじい記録が、山ほど出てきます。命を落とした人数も膨大です。
なぜそんなひどいことになってしまったのか。厳しい風土も一因ですが、人為的な理由も大きい。江戸時代には中央集権的な制度が確立して、中央政府が「この種類の米を育てて年貢を納めなさい」と命じていた。湿った東寄りの風「やませ」が吹く東北は元来、ヒエやアワならまだしも、中央が指定する米は育ちにくい背景もありました。一種類の米だけを無理に作るから、冷害が生じた際に全滅してしまい、おびただしい犠牲が出ることになってしまったのだと言われています。
家の近くにあった飢餓供養塔に目を向けるだけで、いろんなものが露わになってきます。思えばちょっとした違和感につながっているものは、周りを見渡すといろいろ見つかるものです。なぜデパートやスーパーにはこんなにモノがたくさん並んでいるんだろう、それらの商品は全部売れるんだろうか、きっと余って捨てられてるんじゃないか……。一つ一つの商品の値段ってどうやって決まっているのか。これはなんでこれほど高いのか、こっちはなぜこんなに安いのだろう……などと考えをたぐっていくと、近代という時代はどういうものだったのかというところへ行き着くし、もっと進めば、人は何をどれほど求めるものなのか、人間ってどういう存在なんだろうというところまで、問いがどんどん深くなっていきます。
夜の暗闇の中で、車を走らせながら、飢餓供養塔を横目に見ながら通り過ぎて、煌々と明るいショッピングセンターやコンビニエンスストアに入ると、そのアンビバレントな対比に、しかし確実に「食えない恐怖」からこれらも生まれた、という凄惨なつながりに、さまざまなことを突きつけられます。今はモノがあふれているように思えるけれど、低い日本の食料自給率を考えれば、飢饉の危機はそう遠い話ではないと思います。ひっそりとした供養塔と異様なまでに明るいLED照明との落差は、原子力でも何でも使い、過剰なエネルギーを求めて止まれない人間の業も強く感じさせます。
私が身の回りに目を向けているのは、自分がなぜここにいて、どうして今このような生活をしているのか、自分自身で理解したいがためなのだと思います。何百年も前にはここでこんなことがあって、それは反復するかもしれない、そうやってずっと続いていく歴史のとある一点に自分はいる。それを確認するのが、私にとっての旅なのかもしれません。
Interview & Text:Hiroyasu Yamauchi