新鋭監督に聞く、チェコ最後の女性死刑囚を描いた映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー』 | Numero TOKYO
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新鋭監督に聞く、チェコ最後の女性死刑囚を描いた映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー』

チェコ最後の女性死刑囚、オルガ・ヘプナロヴァーを知っているだろうか? 1973年7月10日のプラハにて、路面電車を待つ群衆のなかにトラックで突っ込み、20人もの死傷者を出したオルガ・ヘプナロヴァーは、逮捕後全く反省の色を見せず、絞首刑に処された。多数の人間を死に至らしめた加害者であると同時に、精神疾患を患い、LGBTだったオルガは現在にも根深く残る差別の被害者でもあった。

そんな実在の人物を描いた映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー』が2023年4月29日より東京シアター・イメージフォーラムほかで全国公開される。オルガを演じたミハリーナ・オルシャンスカがチェコのアカデミー賞・主演女優賞をはじめ、数々の賞を受賞。『ピンク・フラミンゴ』のジョン・ウォーターズが本作を2017年のベスト映画の1本に挙げたことでも知られる鮮烈な作品を監督の言葉とともに紹介する。

深い孤独の底を彷徨った女性の半生をなぞる、残酷な衝撃作

銀行員の父と歯科医の母のもと、裕福な家庭に生まれたオルガは、幼少期から「誰にも理解されない」「誰にも助けてもらえない」という孤独感を募らせていく。13歳のときからうつ病を患い、自殺未遂を起こしたことがきっかけで精神病院に収容され、そこでリンチを受け、さらに孤独感を深めていく。1年間の入院ののち、家族と離れるために人里離れた小屋に移り住んだオルガは、読書に耽り日記を書く一方で、美しい女性イトカに恋心を抱き深い関係になるが、あっさりと捨てられてしまう。自暴自棄になったオルガを、母も精神科医もやはり理解しようとはしない。酒とたばこに溺れ、女性たちと次々と関係を結ぶオルガは、何かを諦めているようにも、フィクションとノンフィクションの区別がついていないようにも見える。そして、自爆テロとも思える事件を起こし、人生の幕引きをした。

実際のオルガは、愛読していたグレアム・グリーンの「おとなしいアメリカ人」に出てくる「我々は互いに理解しようと努力などせずに、より楽に暮らせるはずだ。人間というのはいつまでも他人を理解することができないのと同じく、妻は夫を、恋人は恋人を、親が子を理解することはできないという事実をいい加減に認めればいいのに」という一節を精神科医に送った手紙に引用したそうだ。そもそも人は孤独であり、家族であろうと理解し合えないと悟った末、世界に別れを告げた。そんなオルガの半生を、エモーショナルな演出を排除しながらも、ときおり無類の読書家であった面を垣間見せるかのように文学的なセリフを入れて描いたのはチェコの新鋭、トマーシュ・ヴァインレプとペトル・カズダだ。

トマーシュ・ヴァインレプ&ペトル・カズダ監督インタビュー

──チェコ最後の女性死刑囚であるオルガ・ヘプナロヴァーの人生を映画化しようと思ったのはなぜですか?

トマーシュ・ヴァインレプ「僕たちは世代のこともあって、オルガについてあまり知らなかったんですが、何年か前にチェコの国営放送で放送されていたオルガのドキュメンタリー番組を観て衝撃を受けたんです。そのあといろいろと調べるうちに、伝記『私、オルガ・へプナロヴァー 生き様をさまよい、殺戮に及んだ女』の存在を知り、著書のロマン・ツィーレクにコンタクトを取り、オルガのことを詳しく教えてもらいました。そこでまず感じたのは、オルガがかねてから僕たちが惹かれているテーマである実在主義だったということ。個人として、社会における自分の生き方を切り拓くような思想を持っていたわけですね。2つ目に、オルガの文才がとても豊かだったということ。3つ目は、チェコでは何か問題が起きた時にできるだけ話し合って解決をしようとするのですが、オルガはその真逆で、言葉を使わずに行動に出す人だった。その3つの面において大変興味を持ちました」

ペトル・カズダ「70年代のプラハの女性はスカートを履いてお洒落をするような文化がありましたが、オルガが他の女性とは違ったということを表現したくて、ヘアスタイルをおかっぱにし、男性のようなパンツを履くというスタイルで描きました。そして、歩き方も武骨にしました。オルガはLGBTでしたので、生き辛さは感じていたと思います」

──オルガは事故の加害者であると同時にLGBTに対する差別の被害者でもありますが、その今でも根深く残っている問題に対してはどんな風に考えていますか?

トマーシュ「1970年代当時はチェコスロバキアだけでなく、多くの国でLGTBであることが罪だと見なされていました。取り調べや潜入捜査もありましたが、今ではチェコでは同性婚を巡る制度ができました」

──チェコではシビルユニオン(法的に認められている関係としてさまざまな優遇や保証を受けることができる制度)が施行されていますよね。

トマーシュ「そうです。日本は違うんですか?」

──日本はパートナーシップ制度を導入する自治体が徐々に増えているという段階です。

トマーシュ「そうなんですね。1970年代のチェコはLGBTは罪とみなされていたわけですが、実際に罰せられることはありませんでした。1980年代には、同性愛者のためのTという有名なクラブが人気でいろいろな人が自由に出入りしていました。そこに反政府運動をしている活動家がいた場合、捜査が入りました。でもそういう場合以外は当時の与党だった共産党も同性愛を黙認していたんです」

ペトル「オルガの日記や捕まったときの調書を読んでも、LGBTだからといって罰せられたという記述はありませんでした。だから割と自由に女性に恋をしていたのだと思います」

トマーシュ「LGBTであったことより、人とうまくコミュケーションができないという精神疾患を抱えていたことがオルガの人生を大きく左右したと思っています」

──マイノリティへの理解はオルガが生きた50年前に比べると進んだとは思いますが、どう捉えていますか?

ペトル「1989年の11月にビロード革命が勃発し、チェコは民主主義に戻りました。その影響で1990年代はLGBTの人たちにとってとても過ごしやすい時代になりました。そこから30年以上が経ち、政治的には今は逆に過ごし辛くなっているところもあると思っています。つい最近政治体制が変わる前は、『家族のなかにトランスジェンダーがいたら大変だ』と主張する政治家がいたからです。ただ、一般層の話をすると、昔と比べてマイノリティへの理解は比べものにならない程、広がっていると感じます」

トマーシュ「LGBTの権利を認めないと主張する人も一定数はいるので、それをテーマに映画を作ると必ず議論が起こります。僕たちがオルガのことを映画化しようと思ったのは、彼女がLGBTだったからではありません。ただ、そういったテーマをはらんでいることは、より多くの人にLGBTは病気でも何でもないということを啓蒙するためにすごく大事だと思っています。そして、昔は単に男性同士のカップル、女性同士のカップルという風に分類されていましたが、今はLGBTという言葉が代表されるように、すごく多様化されましたよね。昔は同性愛のコミュニティはお互いを見守り、お互いを尊敬し、何か困ったことがあると助け合う関係性でした。しかし今はそういう関係性ではなく、個人主義の傾向が強くなりました。世間の理解が広がる一方、協力し合うムードがなくなるという不思議な現象が今のチェコでは起きています」

──それは協力し合う必要がなくなったというポジティブな受け取り方はできますか?

トマーシュ「昔は共産党という共通の敵がいました。敵がいなくなると手を取り合って戦わなくなくてもよくなりバラバラになる。その変化にはポジティブな面もありますが、やはり問題は完全になくなっているわけではないので、いろんな問題が出てきたときに協力し合う状況がスムーズに生まれないという面があります。ゲイのカップルが手を繋いで歩いていて指を指されるような状況はなくなりましたが、カミングアウトをすることに対するハードルは未だに高いです。昔、家族がいる人がTに通うことは難しかったですが、そういった風潮は今でも変わりません。特にプラハは小さな街なので、すぐに話が広がってしまいます」

──オルガの映画を作ろうとした理由の2つ目に挙げていた文才の豊かさについても聞かせてください。過剰な演出を排除したなかで、ときおりオルガが読書家だったことを思わせる文学的なセリフが入ってきます。あの演出にはどんなこだわりがありますか?

ペトル「SNSやメールが存在しなかった当時は、離れた誰かに想いを伝える場合、電話をかけるか手紙を書いていました。手紙の方が残るので、チェコ人は手紙、しかも絵葉書を送る人が多かった。オルガの人間らしさが一番如実に出ていたのは、手紙や日記などの文章だったので、セリフを組む際に彼女が実際に書き残した文章を引用してセリフを作りました」

──誰にもわかってもらえない孤独感を癒すために読書に没頭していた面もあるそうですが、愛読していた書物は彼女の思想にどんな影響をもたらしたと思いますか?

トマーシュ「オルガは精神疾患のひとつの症状として現実と虚実を識別することができなかったと思うんですが、豊かな文才を持っていたので、自分の感情や体験を自らを主人公にした物語として書けば、おそらく何らかの治療になったのではないかと思っています。でもそうではなく、物語のなかのメッセージを現実のものとして受け取り、事件を起こしてしまった。オルガはヒーローではなくて殺人を犯した人物なので、彼女を賞賛する映画を撮ろうとは思いませんでした。ただ、誰も彼女を助けることができなかったという事実が残響のように残る作品にはなっていると思います」

ペトル「文学もオルガの孤独を解決できるものではなかった。いくら本を読んでも彼女の孤独感は何も変わらなかったわけですよね」

『私、オルガ・ヘプナロヴァー』


監督・脚本/トマーシュ・ヴァインレプ、ペトル・カズダ
出演/ミハリナ・オルシャニスカ、マリカ・ソポスカー、クラーラ・メリーシコヴァー、マルチン・ペフラート、マルタ・マズレク
(2016年/チェコ・ポーランド・スロバキア・フランス/105分/原題:Já, Olga Hepnarová)
http://olga.crepuscule-films.com/
2023年4月29日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

Interview & Text:Kaori Komatsu

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