アンダーカバー 高橋盾インタビュー「自分にしかできない面白いことをやり続けるだけ」
1990年、東京のストリートからスタートしたアンダーカバー。それから30年余りを経て、ものづくりのスタイルはどのように変化したのか。パリでの2023-24年秋冬コレクションの発表を約1カ月後に控えながらも落ち着いた表情を見せるデザイナー高橋盾に、原宿に構えるオフィスで話を聞いた。(『Numero TOKYO』2023年4月号掲載)
3年ぶりに念願のパリで2023年春夏のショーを開催
──昨年9月28日、2020-21年秋冬メンズコレクション以来、約3年ぶりにパリでショーを開催しました。
「22-23年秋冬ウィメンズもそのつもりで会場まで決めていたのですが、まだコロナ禍の水際対策が厳しかったことから断念して東京でショーを行いました。パリに行って自分に足りない部分を発見し、成長できた気がするので、パリで発表するのはすごく意義があって大事なことです。ずっと日本で活動していたらそうした変化は起きていなかったはずなので。パリ滞在中はオペラ界隈にある定宿からマレのアトリエまで30分から40分かけて歩くのですが、何年通っていても、いつもきれいだなと感嘆します。ルーブル美術館を通って、エッフェル塔まで行って戻ってくる早朝のランニングも気持ちいい。街の感じもすごく好きです。それに引き換え最近の東京はけっこうわびしさみたいなものばかり見えてきてしまって、『最高だな』と思うことはないですね」
──日本よりもパリで発表したいという気持ちが強いのですね。
「全世界に打ち出せるという宣伝効果もありますし、海外ではランウェイで発表するような強いデザインの服がちゃんと売れる。『着飾る』という文化が衰退してコンサバな国になってしまった日本では受け入れられにくいところがあります。プレコレクションのほうが反応が良いんですよね」
──ショーという発表形式についてはどのようにお考えでしょうか。
「コロナ禍で、急に街から人がいなくなって売り上げも減り、会社をまわしていくのに精いっぱいでショーを開催する余裕がなくなったりもしました。大金をはたいてランウェイで発表しなくても、ルックブックで世界観を十分に見せられるじゃないかと葛藤した時期もあります。現場でたった500人程度が生で観て、インターネットの同時配信で世界中が視聴する状況も何だかおかしいな、と。でも、ショーで見せるのが好きなんです。映画とかライブのようにエンターテインメントとして作り上げています。だから観客には楽しんでもらいたいし、感動してもらいたい。シーズンによって内容は異なりますが、一つ一つ物語を紡いでいく感じです」
2023春夏コレクションより。ショー会場はステンドグラスが美しいパリの教会、アメリカン カテドラル。春夏のベーシックな服にナイフで切られたようなスラッシュやダメージ加工が施され、花やチュールフリルが添えられている。写真右はラストルックのドレスのディテール。
──23年春夏はナイフで切られたようなスラッシュが施されていました。
「春夏のベーシックな服にスパイスを一つ加えられないか、というのが出発点でした。アンダーカバーらしいひと手間って何だろう、と考えたときに、ナイフで『ばさっ』と切るようなバイオレンスなのかなと思いついたんです。そういうアートや映画がもともと好きですし。どこをどう切るとか、切り口をどうするかは何度もトワルで試しながら検討しました。ラインを引いて、実際に切ってからモデルに着せてみる。それで『バイオレントすぎるのでフリルを添えようか』あるいは『花を加えようか』と中和させていきました。あらかじめゴールを設定せず、試行錯誤しながら作り上げるシーズンでしたね」
──ゼロから新しい形を作り上げるのではなく、既成のものにひと手間を加えるという発想だったのですね。
「自分が着るのも、人が着ているのを見るのも、ベーシックなスタイルが好きなんです。それをどう自分なりに解釈して違うものにするかとつねに考えているような気がします」
──フィナーレの4体のドレスはインパクトのあるフォルムでしたが。
「オートクチュールで発表されるような王道のドレスを自分でやるならと考えて、ぐしゃぐしゃにしたり、切ったり、ぼろぼろにしたりしました。ラミネートみたいにキラキラ輝く素材をぐしゃぐしゃにしたドレスがあるのですが、代々木公園を走っていたときに見つけた、ショッキングピンクのアルミのバルーンから着想を得ています。道端に落ちていたのがめちゃくちゃきれいで。持って帰って洗ってスタッフに見せて、これでドレスを作りたいと言いました」
2023春夏コレクションより。いずれも使用されているのがランニング中に代々木公園で拾ったパーティ用のバルーンから着想を得た生地。
──オートクチュールのベーシックにアンダーカバーらしさを加える、ということだったのですね。ランニング中にものづくりのアイデアが浮かぶこともあるのでしょうか。
「このときはたまたまで、アイデアは全然出てこないですね(笑)。早くゴールに着かないかな、としか考えていないので」
──そうなのですか(笑)。最後のドレスのシリーズにも花が添えられていたのが印象的でした。
「最初はダメージ加工だけだったのですが、粗すぎる気がしたんですよね。ちょっと毒のあるかわいい感じを入れたかった。あとは、世の中に配慮したという部分もあります。本当は社会情勢と切り離したところで表現ができるといいのですが、ファッションは時事問題と関連させた深読みをされやすい。実はこのドレスのシリーズにはもともと悪魔の尻尾が付いていたんです。でもショー会場である教会の下見に行ったときに、ここでバイオレントな要素がある服を発表して、悪魔まで出てくるのはちょっとまずいかなと思い直して。結局尻尾は取り、パティ・スミスが歌う「Until the End of the World」を使用する予定だったのも歌詞の内容を鑑みて変更しました。どうしても譲れない点ではなかったので、まあいいかという感じではありましたが、自分が思い描くストーリーや世界観が世の中の流れと合わなくなってきているのかもしれません。
──ファッション業界ではここのところ思わぬポイントを突かれて炎上するケースが目立っていますから、作り手が思う存分に発表することが難しい時代になっているのかもしれませんね……。「粗すぎないように」という調整には、パリで発表するにあたってエレガンスやフェミニンさを意識されていることもあるのでしょうか。
「パリで発表するようになり、さまざまな評価やバイイングの結果から東京のストリート出身の自分にはエレガンスやフェミニンさが足りないと気づきました。それで07年春夏の『PURPLE』コレクションでは、苦手だったフェミニンさをあえてテーマにしてみたんです。すると、それが実はけっこう好きだということがわかった。今回は「切る」というバイオレンスに何かエレガントな要素が加わることで一つのデザインになるのかなと思っていました」
上段左:パリでの反応を受け、苦手としていたフェミニンさに正面から取り組んだ「PURPLE」コレクション。上段右:17-18秋冬「But Beautiful III UTOPIE」。下段左から、2014-15年秋冬「COLD BLOOD」、15年春夏「PRETTY HATE BIRD」、いずれもパリにてランウェイショー形式で発表。
──久しぶりにパリで発表して手応えはいかがでしたか?
「それが、全然感じなかったんですよね(笑)。ショーの後、バックステージに来る人の数がめちゃくちゃ少なかったこともあって。『ナイフで“ばさっ”じゃやっぱりだめだったのかな』とかいろいろ思い悩んだのですが、後でPR担当者に次のショーへの移動がタイトなのですぐ会場を出てしまう人が多かったからではと聞きました。展示会で『今までで一番良かった』という感想をいただいたりもしたのでほっとしましたけど、興奮冷めやらぬショーの直後に言ってほしかったかも(笑)」
徹底したスケジュール管理でオンオフの切り替えができる
2018-19年秋冬以来のウィメンズ単独でのショー形式での発表となった。新型コロナウイルス感染拡大のため渡航を断念し、ショー会場は急きょ国立代々木競技場の第二体育館に。「COLD FLAME」と題し、フォーマルウェアに反骨精神と平和への思いをちりばめた。
──毎シーズンどんなプロセスを経てコレクションを作り上げていくのでしょうか。
「まずキーワードを主要なスタッフ2人に伝えてディスカッションします。2、3時間無言のときもあるのですが(笑)。そこから具体的なテーマや手法にたどり着くのに、早いときは1日ですが、通常は4、5日くらいかかるでしょうか。方向性が決まったら、コーディネートを3人で話し合います。まずカテゴリー分けをして、フィナーレまで、ジャケットに合わせるインナー、ボトム、靴をどうするかまで、口頭で検討するんです。それも大体4、5日ですね。そしてコーディネートが決まったら、カテゴリーAはこの日からこの日まで、Bはこの期間で……とパターンや生産のスケジュールを組みます。そこで初めてデザイン画を描いてグラフィックチームに渡し、コンピュータ上で色付けする。その段階でもうショーのコーディネートになっているので、同時にショーの雰囲気や会場、音楽といった世界観をつくり上げていく。十数年こうしたスタイルです」
──システマティックに進めていらっしゃるんですね!
「昔は一つ一つのアイテムに対して時間を使い過ぎていたような気がします。次々に判断して処理していかなければどんどん溜まってしまう。スケジュールをしっかり立てているほうがやりやすいですし、自由な時間を持てます。だからといって手を抜いているわけではなく、経験を積んで、処理速度がアップしたんだと思います。その日のタスクが終わったらすぐ帰るようにしていて、だいたい夕方5時とか6時には会社を出るんです。以前は夜遅くまで仕事をしていましたが、今は集中力もないし全然無理ですね(笑)。帰宅したら映画を観たり、音楽を聴いたり。でも1月に犬を引き取ってから生活が一変してしまいました(笑)。映画もゆっくり観られないし、まだ留守番ができないので日課であるランニングもままならない」
──なぜ犬を飼い始めたのでしょうか。
「実家でも犬を飼っていたし、犬派で、ずっと飼いたいと思っていたんです。なかでもジャック・ラッセル・テリアがかわいいなと。ネットで調べてブリーダーに会いに行ったが最後、即決しました」
──21年には葉山にもスタジオを構えました。
「週2回くらい通っています。疲れたら山を見て、テラスで焚き火をしたり、歩いて昼ごはんを食べに行って海でちょっと休んで帰る、みたいな過ごし方です。最高ですけど、クリエイティブなアイデアが浮かぶのはやっぱり東京のオフィスですね。40人くらいのスタッフの気が回っている場所なので活力にはなるんです」
──オフィスの高橋さんの部屋にも飾ってありますが、絵も描かれています。
「まとめてばーっと描いたら、2年くらい筆を取らないことも。今年の7月か8月に個展を開催する予定があってそのために制作しているのですが、ここ2、3カ月は描いていませんね。今取り組んでいるのは目がないシリーズで、誰を描くか、がポイントです。きれいにうまく描いているので大した作品ではないんですが」
──世界観が伝わってくるすばらしい作品だと思いますが!?
「小さい頃から絵を描くのが好きなこともあり、この程度は描けるというか。もうちょっとフリースタイルでやりたいんです。そのほうがたぶん苦しいけどすごく楽しいし、面白い作品になると思う。この先、アブストラクトな絵を描ける心境になるのを待っている感じですね。服作りではできていて、ぬいぐるみクリーチャー『GRACE』もそうだと思います。立体裁断と一緒で、最初に何のプランも立てずにボディにピンを打って手で彫刻のように形づくっていく。いま油絵ではそれができていないんです。でも、コンセプトはあって、自分の中で大事なプロジェクトなので、発表したいな、と考えています」
左:いま取り組んでいる油絵。 右:2013-14年秋冬「ANATOMICOUTURE」で、何十枚ものヴィンテージドレスを解体して作り上げた一点もののドレス。ヘアメイクアップアーティスト加茂克也が作ったヘッドピースとともに飾ってある。
──コラボレーションも数多く手がけられています。
「依頼されることがほとんどなのですが、面白いな、アンダーカバーだけではできない内容だなと思ったら引き受けています。1足す1が2以上になりそうな見込みがあれば」
──DJもされますよね。
「時には選曲に1週間くらいかかったりします。どのタイミングで次の曲に替えるか、とか、流れを組んで、めちゃくちゃ練習するんですよ。プロは現場で選曲してつないでいきますけど、俺は慣れていないからできないので。やるからには皆を楽しませたいし、ショーの音楽と一緒で、流れが肝。音楽が好きなので、それがデザインの着想源になることもあるし、コレクションに対してどういう音楽を流すのか、というのは重要だと思っています」
──娘でモデルのららさんとDJで共演されたそうですね。
「あいつは真面目なので、テクノからロックに行くにはこういう流れがいいとか、つなぎ方をオフィスのこの部屋で練習したんですけど、いざ本番になるとテキーラを飲みすぎて「パパ、できない」って言い出して。「じゃあ押すふりしとけ」って、結局俺がやったんです(笑)。楽しかったですけど」
──そんなにたくさんのことを同時にこなしていらっしゃるのがすごいなと……。
「プレコレクションや自分が着たい大人のためのメンズライン、ザ・シェパード アンダーカバーのデザイン、グラフィック制作、ルックの撮影など、本当にやることは多いのですが、スケジュール管理が半端なくしっかりしているからクリアできるんですよね。大まかにではありますが、2、3年先まで埋まっていて、スタッフとも共有しているんです」
楽しんでいないと伝わらない苦しみだけになったら引き時
──根底にはやはりパンクの精神が宿り続けているのでしょうか。
「中学生の頃に出会って、やられちゃいましたね。もうパンクミュージックは聴かないですが(笑)、破壊する、といった考え方は抜けないですね」
──昨年末ヴィヴィアン・ウエストウッドが死去しました。高橋さんにとって大きな存在だったと思います。
「彼女が手がけていたセディショナリーズやセックス・ピストルズの服に衝撃を受けました。以降ノブさん(ヒステリックグラマーのデザイナー北村信彦)がやっている東京のストリートと音楽のミックス、川久保さん(コム デ ギャルソンのデザイナー川久保玲)やマルタン・マルジェラのアヴァンギャルドなものづくりにも影響を受けていますが、やはりヴィヴィアンが原点ですから。実は具合が悪いとは少し聞いていたんです。心配していたらすぐに亡くなってしまった」
──高橋さんも後進に何かを残していかなければ、という使命はお持ちなのでしょうか。
「まだ53歳だし、そんな余裕はないです(笑)。ただ、1990年代にNIGO®と始めたショップ『NOWHERE』とか、結果的に影響を与えているものはある。自分たちはそういう結果を目指してやってはいないですが、たまたま残ってくれたらいいのかな。それには、やっぱり自分が面白いと思えることをやるしかない。もちろん苦しいときもありますが、楽しいという感覚を持ってやらないと人に伝わらないのではないでしょうか。苦しみだけになってしまったら引き時ですね。今のところ何でも楽しんでできていると思います」
Photos: Yoshie Tominaga Interview & Text: Itoi Kuriyama Edit: Chiho Inoue
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