【連載】「ニュースから知る、世界の仕組み」 vol.18 ロシア人指揮者ワレリー・ゲルギエフの解任ラッシュ
Sumally Founder & CEOの山本憲資による連載「ニュースから知る、世界の仕組み」。アートや音楽、食への造詣が深い彼ならではの視点で、ニュースの裏側を解説します。
vol.18 沈黙を貫いた世界的ロシア人指揮者、ワレリー・ゲルギエフの解任ラッシュ
ロシアがウクライナに軍事侵攻し、戦争が始まってしまいました。早期の終結を願うばかりですが、文化面にも影響が出ています。僕も何度も生でそのパフォーマンスを観ていますが、世界的に活躍しているロシアの指揮者であるワレリー・ゲルギエフがニューヨークでウィーンフィルを指揮する予定だったのが降板になり、所属事務所からは契約解除を通告され、ミュンヘンフィルの首席指揮者も解任されました。
ミュンヘン・フィル、指揮者ゲルギエフ氏解雇 プーチン氏と親交
今回の侵攻に対して積極的に支持している等の発言がゲルギエフからあったわけではないものの、選挙の際にCMに出演するなどプーチンの応援をしていたり、2014年のクリミア併合については支持の意向を表明したりと、現政権との関係が深いことは以前からよく知られていました。ロシア人であることが今回の解任ラッシュの主な理由になっているというよりは、ミュンヘンフィルもそうでしたが期限までに今回のロシアの侵攻に反対の異を表明することを求められたことに対して沈黙を貫いたことで、職を失う結果になってしまっています。
ゲルギエフがマリインスキー歌劇場で見出したロシアが世界に誇るオペラ歌手のアンナ・ネトレプコも戦争に対しては反対の意を述べつつも、アーティストに公の場で政治的立場や祖国への糾弾を強制されるのは間違っているとコメントしたのが強い批難を世界から受けて、決まっていたステージは降板、当面の間ステージには出ないことを発表しました。
現実的には、この2人のアーティストが戦争行為自体を積極的に支持しているとはあまり想像できません。ただ政権と深い関係を築き続けていたこと自体はやはり事実で、グルジア出身のこちらも世界的に活躍するピアニストであるカティア・ブニアティシヴィリはプーチン政権に対して異を唱えており、以前からロシアでは積極的にパフォーマンスをせずゲルギエフとの共演は断ったりということがありました。
文化と政治の関係をどう捉えるべきなのか、非常に難しい問題です。古くはクロード・ルルーシュ監督の映画『愛と哀しみのボレロ』においても、カラヤンがモデルの登場人物が指揮者を務めたカーネギーホール公演に彼がナチ党員であったことを理由に観客がボイコットするシーンがあったり、現在公開中の『クレッシェンド 音楽の架け橋』では指揮者のダニエル・バレンボイムが創設したイスラエルとパレスチナの混合オーケストラであるウェスト・イースタン・ディバインオーケストラをモデルに政治的に対立する二国間のメンバー同士の困難なやりとりと結束が描かれたり、リアルの世界においても物語においても頻繁に掲げられるテーマではありますが、いつもそこに正解というものはありません。
個人的には政治的信条が異なることが、そのアーティストの表現を拒絶する理由になるとは思わないです。ただし、そのアーティストがこちらの立ち位置に直接的に強い反対の立場を表明している場合、及び、戦争がその最も極致のひとつになるのでしょうが、誰かを攻撃したりそのアクションによって(特に物理的に)他者が被害を被る状況に対して支持しているように思われてしまうところにまでその信条がエスカレートしてしまうと、その表現自体もボイコットの対象になってしまうということがどうしても起こりうるのでしょう。
そんな中、時間の経過にともない、その信条と表現を別物として捉えるように変化していくというのも我々人間がこれまで積み上げてきた歴史です。今回のボイコットもゲルギエフやネトレプコの音楽的才能やこれまでの功績を否定するものではおそらくなく、彼らが神から授けられた素晴らしい音楽のギフトを抑えこみ続けるまでの力は政治にはないでしょう。カラヤンのその後の活躍もそうですし、ソビエト連邦のプロパガンダと言われたショスタコーヴィチの音楽が今日までこんなにも愛されて続けていることもまたその象徴的な事象のひとつだと思います。それがいいことなのかどうか即時的には分からないですが、事態が沈静化したあとには、また彼らにも活躍の場が戻ってくるはずです。
でも、そんなことよりも今は何よりもウクライナに一刻も早く平和が戻ることを祈ります。
Text:Kensuke Yamamoto Edit:Chiho Inoue