中山咲月インタビュー「“私”から“自分”に。ジェンダーレスではなく、男性として生きる」
注目の若手俳優として活躍する中山咲月が、23歳の誕生日にフォトエッセイ集『無性愛』を発売。コンセプトの立案から文章まで、自分の手で作り上げた本書の中で、トランスジェンダーでありアセクシャル(無性愛)であることを公表した。長年抱えていた違和感の答えに気が付いたとき、一時は生きることさえ諦めたという。しかし、それを受け入れて公表に至った経緯、そして、これからもひとりの「中山咲月」として生きることに決めた、今の心境を聞いた。
「5つの前世と、命が始まる前の世界」で自分自身を表現した
──今回のフォトエッセイ集はご自身でコンセプトの立案から携わったそうですが、写真集ではなく、フォトエッセイにした理由とは?
「写真集はずっと出したいと思っていたんですが、自分は外見よりも内面を知ってほしいという思いがあって、フォトエッセイという形にしました」
──本書に収められたヴィジュアルは、6つのシーンがあります。中には、映画『ヴェニスに死す』(71年)や『キャバレー』(72年)、田山花袋の小説『蒲団』をモチーフにしたものもあります。テーマ選びはどのように?
「それに、自分はディズニーやアニメなど、二次元のファンタジーやフィクションに勇気づけられてきたので、この本を開いたときに映画のワンシーンを見たような感覚になってくれたらと、映画や小説からモチーフを選びました。スタイリストさんやスタッフの皆さんと話し合って、非現実的で美しい世界観に近い作品をたくさん教えてもらって。実は、裏テーマが『生まれ変わる前の自分』という設定なんです。もしかしたら前世はこういう人物だったのかもしれないと想像しながら、6つの人物を演じたのですが、その人の年齢や性格など、シナリオを書くように細かく設定を作り込みました。例えば学生のシーンでは、過去にいじめられた経験があったので、現状に疲れ果てている思春期の少年です。どの設定も前世をイメージしているので、今より前の時代で、一度、人生が終わっているから、死を連想させるかもしれません。最後のシーンは、生まれる前のまだ人間としての形が出来上がる前、全ての命がここから始まるゼロの世界です。衣装は、世界観に合うものを古着の中から選んだり、オートクチュールで作っていただきました」
──タイトルの『無性愛』という言葉を選んだ理由は?
「高校に入学してすぐ、自分は恋愛感情のない世界に生きているんだと気が付きました。友達はいるし、恋愛を扱った映画やドラマは好きだけど、誰かに対して恋愛感情を抱くことがないし、それが想像できないんです。それで『恋愛感情/ない』と検索したら『無性愛、アセクシャル』という言葉がヒットしました。今回、この本のタイトルを『無性愛』にしたのは、恋愛感情がない人がいるということを、多くの人に知ってもらいたかったから。自分は恋愛感情が想像できないけれど、そうじゃない人にとって自分のような存在は想像できないかもしれない。でも、知ってもらうことで、お互いが歩み寄れると思うんです。タイトルを漢字の『無性愛』にしたのは、最初に検索したときに『アセクシャル』は何のことかわからなかったけれど、漢字は直感的に理解することができたんですね。だから、たくさんの人に伝えるなら、何となくでも理解できる方がいいと思って、自分もしっくり来たこの言葉を選びました」
自分はトランスジェンダーだと受け入れるまでの1ヶ月
──今回のフォトエッセイで、トランスジェンダーであるとも公表しました。その経緯は?
「無性愛であることは何年も前に自覚していたけれど、トランスジェンダーだとわかったのは今年に入ってからでした。これまでも、女性と呼ばれることに違和感を感じていたし、よくわからないモヤモヤとした悩みを抱えていたけれど、今年の初めに、生田斗真さんが主演した『彼らが本気で編むときは、』という映画を見て、自分はトランスジェンダーかもしれないと気が付いて。でも、映画に影響されているだけかもしれないし、気のせいかもしれないと、簡単には受け入れられませんでした。1ヶ月くらいの間、ずっと心の中に“トランスジェンダー”という言葉を抱えながら生活したのですが、考えれば考えるほど、これまでのモヤモヤした悩みは全部そこに繋がっていくんです」
──それを受け入れるために時間が必要だったんですね。
「この期間は、過去を振り返りずっと自問自答を続けました。それでも、やっぱりトランスジェンダーなんだとわかったとき、すごく辛くて苦しかった。自分がまるで別人になってしまったようで、心が追いつかなかったんだと思います。それに、無意識に自分を偽っていたこともショックだったし、このままでは仕事も続けられないとも思いました。生きることを辞めようと考えて、行動に移そうとしたとき、近くにいた親友が『死ぬぐらいなら自分の好きなように、わがままに生きてみればいい』と言ってくれて踏みとどまることができました。その間、ずっと自分の感情や思いついた言葉をメモに残していて、今回のエッセイは、そこから抜き出しました。もちろん載せられなかった言葉もたくさんあるけれど」
──支えになったのは親友の存在だったんですね。
「すごく感謝しています。親友は以前から性別関係なく、自分のことをひとりの人間として扱ってくれました。トランスジェンダーかもしれないと伝えたら、『そうかもしれないと思っていた』と言ってくれたんです。その後、事務所にもこのことを話しました。以前から、性別への違和感は伝えていたんですが、事務所も理解してくれて、自分が成長できるように力を尽くしてくれると言ってくれて。本当に人に支えられて生きているんだと実感しました」
──トランスジェンダーだと認めて、さらに世間に公表するのは大きな覚悟が必要だったんじゃないかと思うのですが、背中を押したものは何だったのでしょうか。
「悩んだのは、自分がひとりの“中山咲月”ではなく、“トランスジェンダーの中山咲月”になってしまうことです。でも、最初にブログでファンのみなさんに伝えたら、自分を性別に関係なく、ひとりの人間として見てくれていて、温かいコメントを寄せてくれました。今回のフォトエッセイで公表しようと思ったのは、自分のことを知らない人やもっと多くの人に伝えたいから。ジェンダーの悩みだけじゃなくて、今、理不尽な現実に直面して、葛藤している人もたくさんいると思うんです。自分が苦しんでいたときは、『がんばれ』という言葉も凶器のように感じたんです。ただ、一緒に寄り添ってくれるだけで嬉しかった。だから、悩んでいる人に自分も寄り添いたいし、きっといつか笑顔になれると伝えたいです」
──ジェンダーについては、日本はこれから理解していく最初の段階です。無意識の一言が傷つけてしまう可能性があると、知っておかないといけませんね。
「どう接していいかわからないと良く聞かれるんですけど、もし傷ついたらそれを相手に伝えればいいし、無意識に相手を傷つけてしまったら謝ればいいと思うんです。そうやってお互いに歩み寄れば、少しずつ素敵な世界になっていくはずだから。傷つけられて、それを攻撃で返したら何も変わらないですよね。歩み寄ってくれた気持ちは伝わるし、受け取る側も広い心で応えることが大事なんじゃないかと思っています」
「自分がわかって、服も言葉も変わった。これからは男性として生きていく」
──自分自身を理解する上で、ファッションはひとつの手がかりになりましたか。
「トランスジェンダーだと気が付く前、女性であることに違和感をもったのは、ファッションがきっかけでした。ティーン雑誌でモデルをしていたとき、周りの子は好きなブランドの話で盛り上がっていたんですが、自分は親から与えられた服をただ着ているだけで、ファッションが好きではありませんでした。ある時、韓国のカイトさんという、メンズを着こなす女性モデルの存在を知って、自分もメンズの服を着たいと思うようになりました。でも、その頃は前髪をおろしたマッシュなスタイルで、夏でも長袖を着ていました。日焼けしたくなかったし、今、振り返ると、自分に自信がなくて、体型を隠したかったんだと思います。でも、今はセンターパーツで額を出すヘアスタイルが増えて、半袖を着ることが楽しくて。そういえば、意識していなかったけど、一人称も“私”から“自分”に変わりました。自分が生きやすい方向に、少しずつ変化しているのかもしれません」
──以前と今とでは、生まれ変わったくらいの大きな変化があったんですね。
「死を踏みとどまった日、第二の人生が始まった感覚があります。今は、ホルモン治療も始めました。これからはひとりの男性として扱ってもらえたら嬉しいし、男性のひとりとして演じられる俳優になりたい。その前に、性別関係なく、ひとりの『中山咲月』として見てくれると嬉しいです。今回のフォトエッセイは、まず文章だけを読んでください。それから、写真を楽しんでもらえたら嬉しいです」
フォトエッセイ『無性愛』
企画・文・メイク/中山咲月
撮影/高野友也
スタイリング/Die-co ★
出版/ワニブックス
発売日/2021年9月17日
Photos:Kouki Hayashi Interview & Text:Miho Matsuda Edit:Chiho Inoue