マームとジプシーの藤田貴大が語った、演劇のこれから
劇団「マームとジプシー」を2007年に旗揚げし、4年後には岸田國士戯曲賞を受賞した藤田貴大。その後オリジナル作品はもちろん、川上未映子や穂村弘など、さまざまな作家たちとの共作で大きな反響を呼び、また、蜷川幸雄が最期に新作戯曲を依頼した劇作家としてその存在を印象付けた。コロナ禍において「演劇とは」という問いに向き合った彼がたどり着いた答えとは。
今の状況とどう付き合っていくのか
──コロナ禍により演劇界は苦境が続いています。藤田さんの今の思いをお聞かせください。
「僕はしばらくこの状況にわかりやすいゴールのようなものはないと思っています。いまマームとジプシーで話しているのは、この状況とどう併走していくかということ。公演を中止、または延期にするという判断をこれからもしなければならない場面があると思うのだけど、そのときに100あったものをただ0にしてなくすのではなくて、100を50くらいに切り替えながらどう作品を実現できるか、なにかに代替するにしても本来あったものの質をどこまで維持しながら代替するのか、みたいなことを制作と話し続けています。
正直、厳しいですけどね。現に劇場やリハーサルをするスタジオでクラスターが発生していますし、まだコロナ禍以前のように活動できる状態ではありません」
──そもそも演劇は、特に小劇場は小さな空間で人と人がぶつかり合い、汗水流す美学みたいなところがありますよね。もはやそれではウイルスの感染予防と相反してしまいます。
「“小劇場”という言葉自体が特殊なものなんだろうな、と思います。日本では当たり前のようだけど、あまり海外だと見かけないですよね。近いものはあったとしても、日本における“小劇場”って響きとは違う気がします。小さな空間で猥雑な雰囲気を味わうみたいな演劇の楽しみ方も、ある時代にはあったのだろうと想像しますが、それも変わっていくと思うし、現在のような状況下だとその価値観そのものがなくなっていく可能性もありますよね」
「演劇の退行」を目の当たりにして
──マームとジプシーもいくつかの公演が中止になったとか。
「3月から数えると7つの作品が中止、または延期になりました。しょうがないにせよ、まったく公演を実施しないというのを避けたいという気持ちはもちろんあるわけです。緊急事態宣言が発令されてすぐ、 Zoomによる演劇に着手する劇団や、公演自体を映像配信による発表に代替する動きがありました。でもそれをすれば演劇は生き残れるかというとそうではない気がして。演劇は、もちろんのことですが劇場で行われる表現だったし、本来は劇場で上演されるはずだったクオリティを下げて映像配信するというのが「代替」と呼べるのだろうかという疑問はありました。部屋と部屋がつながる、みたいなイメージは面白いかもしれないけれど、たとえば衣装があるはずだったところを部屋着のままだったり、舞台美術があっただろうに生活感が漂う部屋がむき出しで映っていたりとか、作家がそれでいいならいいのかもしれないけれど、でも演劇はそれでいいのかな、と。僕が考える現代を生きる演劇のイメージとかけ離れた、あるいは退行した演劇を目の当たりにした期間でもありましたね。かならずしもそういう類いの配信すべてがそうだったと思っているわけではないですが。
制作と話していたのは、マームとジプシーがこだわってきた演劇を、この状況下でどう観客のみなさんに届けるかということでした。まず『apart』という映像作品を製作したのですが、これはライヴ配信するのではなく、特設サイトに毎週ストーリーのない短い映像をアップしていくというもので、最終的にはDVDにして販売しました。購入してくれたひとに、全編が収録されたDVDと作品の中で使用した写真、戯曲が入った箱が届くということをしてみました。
もう一つは、オリジナルのTシャツの製作です。「Title T Project」ということで、ただTシャツを物販するというのではなく、マームとジプシーの過去作品のタイトルにまつわる作業だと思って始めました。大きめのタグには作中で俳優が発語したモノローグが印字されてあって、購入してくれたみなさんにはTシャツと一緒に言葉も同時に届きます。演劇がこういうかたちで届くのも面白いかなと思って」
マームとジプシーの演劇にとって大切なもの
──藤田さんの作品を見に劇場へ行くと、公演パンフレットの代わりに小さなリーフレットみたいなものが配られて、そこにメッセージが書かれた一片の紙が入っていたりしますね。発想としてはTシャツのタグと似ているような。
「そうですね。映像作品にしてもTシャツのプロジェクトにしても、今までマームとジプシーがやってきた“演劇”の延長線上にある、ということを意識しながら取り組むことが重要だと思ったんですよね。まったく新しいことをしようとはしていないというか。コロナ禍以前から、いつか映像作品を製作したいとか、マームがTシャツを作るとしたらこういう作り方がいいよね、みたいなことは話していて。外出が思うようにできなくなって、時間ができたから着手してみたというのもありました」
──自粛期間に考えたこと、気づいたことはありますか。
「Tシャツを作ろうとしたときに、人はどうして物が欲しくなって買おうとするのだろうと考えていましたね。部屋にいながら仕事も買い物も、映画の鑑賞もできてしまう時代じゃないですか。そんな環境が普通にあるのに、どうして人は外へ出てお店でお洋服を買おうとするのだろうか。おそらく質感を確かめて買いたくなったり、そのお店がつくる雰囲気の中に身を置きたくなったりするのだろうけど、でも利便性だけを考えるなら部屋でもできる買い物をどうしてわざわざ外で? と。このことを不思議に思ってしまうのは、なぜ人は劇場へ足を運び演劇を観るのかを考えるのと同じだからなんですね。
「不要不急」という言葉に強い違和感を抱いてしまうのは、不要であるとか不急であるとか、それは誰かに決められることではなくてそれぞれの価値観の中で思うことでしかないはずですよね。目的なんかないけれど散歩して日に当たりたいと思うのが人間じゃないですか。矛盾しているようだけど、あまり外出できないのに良さげな雨具を買ってみたり、高性能のゴアテックスを調べたり(笑)。
あの期間、なぜか靴が異様に気になったというのはありましたね。スニーカーも何足も買いましたし。靴を履く機会もいつもよりもだいぶ減ったはずなのに、長いこと遣っていなかった靴みがきを取り出してベランダで靴を磨いたり。動物として外へ出るための身支度をしているみたいで、あの時間は楽しかったなあ」
演劇を見て、シューズをカスタムオーダーする!?
──靴といえば、12月に開催した公演『窓より外には移動式遊園地』のなかでtrippenとコラボした展示作品“tsugime”も発表されました。
「はい。trippenのyenというモデルがあるのですが、展示を順に鑑賞していくと一足の靴が出来上がっていく様子を体験できるような作品です。観客それぞれがレザーやソールを選んで組み合わせることもできて、最後には実際にカスタムオーダーもできます。これは1月からツアーを予定している『BEACH BOOTS CYCLE』の公演会場でも展示する予定です」
──舞台に出てきた靴と同じブランドのものを、会場でオーダーできるわけですね。藤田さんの作品は衣裳やものへのこだわりが強いような?
「大きい劇場で上演する作品を演出すると特に物の重要性を感じますね。どの俳優にオファーするかというのと同じくらい、どういう道具を購入して舞台に配置するかは慎重になります。どういうデザイナーやスタイリストと組んで製作していくかというのを話し合うように、どういう道具を購入するか、そしてどこにどう配置するか、常に話し合っていますね。
もしかしたら、演劇がシューズブランドとコラボレーションをするというのを謎に思う人も結構いるかもしれません。でも僕は靴というのは衣裳と同様に、常に俳優の肌の一番近いところにある物だからもちろん重要だし、無視できる存在ではないと感じていたんですね。trippenの展示会に招待されて行ったとき、衝撃だったんです。何百足も並んでいる靴を前に、まるで美術館で彫刻を見ているような気分になりました。一足一足のフォルムがとてもかっこよくて、この感じを自分の舞台に上げることができたらなあ、と興奮しましたね。
最近思うのは靴のソールが舞台の床面だとしたら、その上にある革が形成するフォルムというのはもしかしたら俳優や、配置されている道具なのかもしれないなあ、とか。舞台面を実際の床面からどれくらい上げるのか、つまり舞台面の高さを決めていく話し合いが舞台芸術の製作過程の中でかならずあるように、ソール、またはヒールの高さをどうするか、靴を製作する人たちはどんな話し合いをしているのか想像するとワクワクしますね。舞台面の高さは虚構感を上げたり下げたりしますからね。ソールやヒールだったら、高くなればなるほどかしこまったり、かっこいいイメージが強くなったりするだろうし」
俳優の知名度で集客する時代の終わり
──面白いですね。確かに商業演劇は集客を考えて、スター役者を配役しがち。本来は有名無名に関わらず、この役にはこの人しかいないという視点が理想だと思うのですが。
「もちろん絶対にこの人にこの役を演じてほしい、というのがあるのならそこに予算を傾けることに異論はないです。ただ予算をどう遣っていくか考えるときに、配役のイメージより先に、この人は有名だから出演してほしいみたいな話になるのはつまらないですよね。そういうオファーって双方にとって面白くないし。そして予算の各セクションへの配分としても、出演料だけが大きく占めてしまったら、じゃあ他のなにかを削らなくてはいけないことになるわけです。有名な誰かが出演していても、衣裳にしても道具にしても良質なものを製作できないなら本末転倒だと思うんですよ。だから作品の性質に見合ったバランスで予算を組むことはもちろん大切だし、僕個人の見解ですが、俳優の知名度だけで広報していくのは現在の時代的にも限界が来ているような気がします。
例えば、ローザス(注:振付家アンヌ・テレサ・ドゥ・ ケースマイケルが率いるダンスカンパニー)とか憧れますよね。ドリス・ヴァン・ノッテンの衣裳もやっぱり素晴らしいし、そういう舞台芸術としての価値の高め方はかっこいいと思います。観客もその価値観で作品を鑑賞しに劇場へ足を運ぶから成立している雰囲気も、現在の日本では一般的ではないのですが、いつか製作する側も鑑賞する側も、純粋に舞台芸術の価値を高めていくような関係を築けていければと期待し続けることも大切かなあと思いますね」
──藤田さんはファッションからヒントをたくさん得ていらっしゃいますね。
「ファッションデザイナーの人たちと話すのは、なにかと参考になるので楽しいですね。もの作りのこともそうですが、どうやってブランドを形成していくかとか、もっとたわいもないこともよく話します。最近も皆川明さんと話す機会があったのですが、彼がどうやって言葉を選んでミナ ペルホネンに集まる人たちと接しているのかを聞いていると、とても勉強になりますね。皆川さんは10年先のことというか、100年先のことも考えているようで。そのイメージって面白いし、話を聞いていると不可能ではないと思うんですよね。物質レベルでは100年後も残っているはずだし、お洋服や家具の話を聞いているとじゃあ戯曲ってどうしたら残っていくのだろうと想像したりもします。ファッションブランドがどう続いていくかというのは、演劇を作っていく上でも大きなヒントになりますね。お店に足を運んでもらうために何をしているのか、その仕掛けを聞いていると劇場へ足を運んでもらうためにどうすればいいのかということと無関係ではないことを知るわけです。
Tシャツを販売することについても、そういう意味で緊張しましたね。僕らなんかが人が着るものを作っていいのか、と。でもどうせ作るなら、演劇における物販にしてはほんの少しだけ良いTシャツかもしれないのですが、僕らなりに手を尽くして届けてみようと思って製作しました」
──Tシャツを買うことで演劇につながれる。これも演劇の新しい形かと。
「演劇って贅沢なものですよね。1時間とか2時間の上演時間に何千円もかけて観るわけなので。しかも物質として何か手もとに残るわけではなくて、残るのは記憶だけじゃないですか。そこに演劇の美しさがあるとも思うのだけど、演劇を味わうことが容易にはできない時代になって、“演劇”という形そのものを考えなくてはいけなくなった。マームとジプシーのホームページを覗いて「このTシャツ良さそう」と思ったり、購入して手元に届いたときにいつか観た上演が頭の中で再生されたりもするかもしれない。それも“演劇”を体験することだと思うんですよね。まだまだ厳しい状況は続きますが、マームとジプシーの演劇的な試みが誰かの日常の些細な癒やしにつながってくれたらうれしいですね」
マームとジプシー
URL/mum-gypsy.com
Photos:Ayako Masunaga Interview & Text:Maki Miura Edit:Sayaka Ito