千原徹也に聞いた“私の90年代カルチャー” | Numero TOKYO
Culture / Feature

千原徹也に聞いた“私の90年代カルチャー”

現在、各分野で活躍中のクリエイターが影響を受けた、自身のルーツとなった90年代とは?(「ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)」2018年3月号掲載)

music

ピチカート・ファイヴ 「80年代がYMOなら、90年代はピチカート。音楽はファッションでありカルチャーであることを教えてくれたアーティストです。映画のシーンやグラフィックからの引用など、多くの知識を与えてくれました」 ピチカート・ファイヴは84年、小西康陽を中心に結成。特に野宮真貴が参加した90年代は、渋谷系の代表として人気を集めた。94年に発売され、06年に再発されたアルバム『オーヴァードーズ』。「東京は夜の七時」などを収録。(私物)

music

小沢健二『LIFE』

「『Olive』の連載しかり、『LI FE』は90年代を生きる人の人生のバイブル。そのすべてがミクスチャーされ、東京が一つの文化をつくったのが90年代ではないでしょうか」
94年に発売されたセカンドアルバムで、「ラブリー」や「今夜はブギーバック」「僕らが旅に出る理由」などのヒット曲を収録。

magazines

『Olive』

「ファッション誌ではなく、カルチャー誌として影響を与えた雑誌。裏方のスタイリストやデザイナーなどが誌面に登場し、僕は京都にいたのですが、当時の東京カルチャーに憧れを抱かせました」
82年の創刊から03年まで発行された、伝説的ファッション雑誌『Olive』(マガジンハウス)。今なお受け継がれるガーリーカルチャーを牽引した。

OTHERS

京都と東京

「 僕の場合、生活は京都、刺激を受けに行くのは東京という時代。YUB-YUM や20471120などの洋服を代官山や渋谷、原宿まで買いに来てました。音楽も、六本木WAVE、ボンジュールレコードなどそこで買う意味を求めて東京へ。グルーヴィジョンズが京都から東京に引っ越し(97年)したように、僕も東京で頑張ってみようと思った、僕自身の文化のすべてをつくったのが90年代、今それを吐き出し続けています」

Edit:Sayaka Ito

Profile

千原徹也(Tetsuya Chihara)アートディレクター、れもんらいふ代表。

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