Culture / Post
阿部寛と西島秀俊が出演するフランス映画『メモリーズ・コーナー』が劇場公開されている。阪神大震災から15年経った2010年の神戸を舞台に、フランス人新聞記者の女アダ(デボラ・フランソワ)が被災者への取材をする中で、震災の傷を負うフランス語通訳の岡部(西島秀俊)や、震災で子どもを失い亡霊となった元新聞記者の石田(阿部寛)の、開かれずにいた心の内に入り込んでいく——というストーリー。フランス人女性であるオドレイ・フーシェ監督が指揮をとった。
映画が撮影されたのは3年前だが、奇しくもその翌年に東日本大震災が起こった。フランスでは同年5月23日に公開されるも、日本での公開は未定の状態に。2年弱経った今回、満を持して日の目を見る運びとなった。
『メモリーズ・コーナー』封切り前日の2月22日、来日していたオドレイ・フーシェ監督と、劇中で亡霊・石田役を演じる阿部寛に話を聞いた。
ここ数年、映画への出演が年中ひっきりなしに続いている阿部寛。しかし、フランス映画を日本で撮影するというのは、阿部にとって初めての経験だったという。
阿部(以下A):フランス映画を日本で撮るなんてこんな機会はない。面白そうな匂いがしたんでしょうね。スタッフの中に日本人はいないし、台詞も全編ほぼ英語。自分のキャリアとしても特質的なもので、新しい挑戦でした」
オドレイ・フーシェ(以下F):是枝裕和監督の『歩いても 歩いても』を観て、人の機微、気持ちの動きを繊細に表現なさる阿部さんにぜひ演じていただきたいと思いました。……お受けいただけたのがほんとに嬉しくて、自分でオファーしておきながら初めてのミーティングでお会いしたとき、あーあの阿部さんだ!と興奮しちゃった(一同笑)。
阿部寛と言えば、2枚目なビジュアルを逆手に取って、コミカルな役を演じることが“旨み”になる役者。そんなイメージがあるが、今回はもともとの見た目通り、シリアスで無口な役。
A:今回の役柄は本来の自分と近いかもしれない。だから、決してやりづらい役ではなかった。監督がコミカルな役を演じている僕を見ていなかったのが良かったのかもしれない(笑)。力を抜いた感じでやりやすかった。
F:フランスで公開したときも、阿部さんや西島さんの素敵さにフランスの女性ファンから劇場問い合わせがありました。そんな素晴らしい日本の役者の皆さんに参加いただいたことでより多くの方に観ていただける機会が増えて非常に光栄ですし幸運だと思います……たぶん、私の背後に守護霊がついているんじゃないかと(笑)
フーシェ監督が日本を舞台に映画を撮影したのには理由がある。母親の友人の神戸在住の日本人が、ことあるごとに日本からプレゼントを届けてくれていたため、成長とともに日本という国を身近に感じていたからだ。そして1995年1月17日、偶然にも彼女の誕生日でもあるその日、神戸で震災が起こったと知る。さらに、震災の数年後、その母の友人が孤独死したという知らせを受ける。この出来事が彼女の心に深く影を落とし、脚本を書き進めることになった。
F:この映画の編集中に3.11が起こったので、正直ビックリしました。震災がこの映画に対する思い入れをより強くしましたし、フランスでは単館で2011年5月23日に公開しましたが、当時は3.11と重ねて観ていた方も多くいたようです。
テーマは“震災後の孤独死”。これだけ聞くと、シリアスな映画だと想像されるかもしれないが、決してそれだけでない。不思議さと、どこか優しい感触が残る映画に仕上げられている。
A:ファンタジーな面もある映画です。オファーがあったとき、孤独死をドキュメンタリー的に描くのかな?という懸念もあったのですが、違いました。10年以上経った今でも神戸の街に作品の中で足を踏み入れるということは、なかなか日本ではしづらいと思うんですね。作り手側がそこを越えるのは難しいだろうな、と。それを今回監督がテーマにしてくださったことで、震災後の神戸というものを自分の中で捉える貴重な経験にもなりました。
F:脚本を書く前、神戸で被災者にインタビューをしたのですが、そのときに言われたのが「君が日本人じゃないから率直に話せるよ」と。私は日本の現実を生きていないので、日本人でないからこその引いた距離から見たことがファンタジーにつながるのかも。「幽霊、信じる?」「亡くなったおばあちゃん、見たよ」… そういう会話はフランスでは珍しいんですね。難しいテーマを扱うときに幽霊を使って物語を語る、日本特有のそのやり方に面白さを感じていました。人の気持ちや思念は残る——そういう日本人の考え方に興味がある。誰かが自分を見守ってくれているという考えはちょっと勇気を持てますし、ポジティブでいいなって。
オドレイ・フーシェ監督はフランスの国立映画学校を主席で卒業。卒業作品である脚本をもとに監督として製作した映画がこの『メモリーズ・コーナー』だ。現在32歳のフーシェ監督は、映画の作風の静かさとは裏腹に、気さくで明るい雰囲気。お茶目な冗談をエピソードの中に盛り込む、サービス精神の旺盛さがチャーミングな女性なのだと知ることができた。
一方、インタビューに答える阿部寛は、スクリーンの中の姿とほとんどギャップがない。力強く目を見開きながら、あの低く響く声で朴訥と、言葉を紡ぐ。
そこにフランス人女優のデボラ・フランソワと西島秀俊が加わり、完成した映画『メモリーズ・コーナー』。震災による人々の心の痛み、やり場のない気持ちが「亡霊」として描かれ、遠く離れた異国の人間がその“想い”をキャッチして見守る。震災を被った当事者ではない者からの「あなたの痛みに心を寄せていますよ」という温かい目線は、フーシェ監督のそれそのもの。フランスから日本へ贈られたこの映画は、彼女が幼い頃に贈られてきた日本からのプレゼントに対する、時を超えたお返しなのかもしれない。
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阿部寛×西島秀俊が出演、フランス人女性監督による『メモリーズ・コーナー』
阿部寛×西島秀俊が出演、フランス人女性監督による『メモリーズ・コーナー』
阿部寛と西島秀俊が出演するフランス映画『メモリーズ・コーナー』が劇場公開されている。阪神大震災から15年経った2010年の神戸を舞台に、フランス人新聞記者の女アダ(デボラ・フランソワ)が被災者への取材をする中で、震災の傷を負うフランス語通訳の岡部(西島秀俊)や、震災で子どもを失い亡霊となった元新聞記者の石田(阿部寛)の、開かれずにいた心の内に入り込んでいく——というストーリー。フランス人女性であるオドレイ・フーシェ監督が指揮をとった。
映画が撮影されたのは3年前だが、奇しくもその翌年に東日本大震災が起こった。フランスでは同年5月23日に公開されるも、日本での公開は未定の状態に。2年弱経った今回、満を持して日の目を見る運びとなった。
『メモリーズ・コーナー』封切り前日の2月22日、来日していたオドレイ・フーシェ監督と、劇中で亡霊・石田役を演じる阿部寛に話を聞いた。
ここ数年、映画への出演が年中ひっきりなしに続いている阿部寛。しかし、フランス映画を日本で撮影するというのは、阿部にとって初めての経験だったという。
阿部寛×西島秀俊が出演、フランス人女性監督による『メモリーズ・コーナー』
阿部(以下A):フランス映画を日本で撮るなんてこんな機会はない。面白そうな匂いがしたんでしょうね。スタッフの中に日本人はいないし、台詞も全編ほぼ英語。自分のキャリアとしても特質的なもので、新しい挑戦でした」
オドレイ・フーシェ(以下F):是枝裕和監督の『歩いても 歩いても』を観て、人の機微、気持ちの動きを繊細に表現なさる阿部さんにぜひ演じていただきたいと思いました。……お受けいただけたのがほんとに嬉しくて、自分でオファーしておきながら初めてのミーティングでお会いしたとき、あーあの阿部さんだ!と興奮しちゃった(一同笑)。
阿部寛と言えば、2枚目なビジュアルを逆手に取って、コミカルな役を演じることが“旨み”になる役者。そんなイメージがあるが、今回はもともとの見た目通り、シリアスで無口な役。
A:今回の役柄は本来の自分と近いかもしれない。だから、決してやりづらい役ではなかった。監督がコミカルな役を演じている僕を見ていなかったのが良かったのかもしれない(笑)。力を抜いた感じでやりやすかった。
F:フランスで公開したときも、阿部さんや西島さんの素敵さにフランスの女性ファンから劇場問い合わせがありました。そんな素晴らしい日本の役者の皆さんに参加いただいたことでより多くの方に観ていただける機会が増えて非常に光栄ですし幸運だと思います……たぶん、私の背後に守護霊がついているんじゃないかと(笑)
フーシェ監督が日本を舞台に映画を撮影したのには理由がある。母親の友人の神戸在住の日本人が、ことあるごとに日本からプレゼントを届けてくれていたため、成長とともに日本という国を身近に感じていたからだ。そして1995年1月17日、偶然にも彼女の誕生日でもあるその日、神戸で震災が起こったと知る。さらに、震災の数年後、その母の友人が孤独死したという知らせを受ける。この出来事が彼女の心に深く影を落とし、脚本を書き進めることになった。
阿部寛×西島秀俊が出演、フランス人女性監督による『メモリーズ・コーナー』
F:この映画の編集中に3.11が起こったので、正直ビックリしました。震災がこの映画に対する思い入れをより強くしましたし、フランスでは単館で2011年5月23日に公開しましたが、当時は3.11と重ねて観ていた方も多くいたようです。
テーマは“震災後の孤独死”。これだけ聞くと、シリアスな映画だと想像されるかもしれないが、決してそれだけでない。不思議さと、どこか優しい感触が残る映画に仕上げられている。
阿部寛×西島秀俊が出演、フランス人女性監督による『メモリーズ・コーナー』
A:ファンタジーな面もある映画です。オファーがあったとき、孤独死をドキュメンタリー的に描くのかな?という懸念もあったのですが、違いました。10年以上経った今でも神戸の街に作品の中で足を踏み入れるということは、なかなか日本ではしづらいと思うんですね。作り手側がそこを越えるのは難しいだろうな、と。それを今回監督がテーマにしてくださったことで、震災後の神戸というものを自分の中で捉える貴重な経験にもなりました。
F:脚本を書く前、神戸で被災者にインタビューをしたのですが、そのときに言われたのが「君が日本人じゃないから率直に話せるよ」と。私は日本の現実を生きていないので、日本人でないからこその引いた距離から見たことがファンタジーにつながるのかも。「幽霊、信じる?」「亡くなったおばあちゃん、見たよ」… そういう会話はフランスでは珍しいんですね。難しいテーマを扱うときに幽霊を使って物語を語る、日本特有のそのやり方に面白さを感じていました。人の気持ちや思念は残る——そういう日本人の考え方に興味がある。誰かが自分を見守ってくれているという考えはちょっと勇気を持てますし、ポジティブでいいなって。
オドレイ・フーシェ監督はフランスの国立映画学校を主席で卒業。卒業作品である脚本をもとに監督として製作した映画がこの『メモリーズ・コーナー』だ。現在32歳のフーシェ監督は、映画の作風の静かさとは裏腹に、気さくで明るい雰囲気。お茶目な冗談をエピソードの中に盛り込む、サービス精神の旺盛さがチャーミングな女性なのだと知ることができた。
阿部寛×西島秀俊が出演、フランス人女性監督による『メモリーズ・コーナー』
一方、インタビューに答える阿部寛は、スクリーンの中の姿とほとんどギャップがない。力強く目を見開きながら、あの低く響く声で朴訥と、言葉を紡ぐ。
そこにフランス人女優のデボラ・フランソワと西島秀俊が加わり、完成した映画『メモリーズ・コーナー』。震災による人々の心の痛み、やり場のない気持ちが「亡霊」として描かれ、遠く離れた異国の人間がその“想い”をキャッチして見守る。震災を被った当事者ではない者からの「あなたの痛みに心を寄せていますよ」という温かい目線は、フーシェ監督のそれそのもの。フランスから日本へ贈られたこの映画は、彼女が幼い頃に贈られてきた日本からのプレゼントに対する、時を超えたお返しなのかもしれない。
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interview&text:Marina Oku