浅野忠信インタビュー
「生まれ変わったらミュージシャン」
自分自身の今に影響を与えた人物や、ターニングポイントとなった出来事、モノ、場所との出合い。それをきっかけに変化し成長した自分を振り返る。浅野忠信のビフォー&アフター。(「ヌメロ・トウキョウ」2017年11月号掲載)
──芸能界に入ったきっかけは?
「父親が芸能マネージャーをやっていて、『3年B組金八先生』のオーディションを受けたら?と。僕も目立ちたがり屋だったから、テレビ出たい!と受けたら受かっちゃって。元SMAPの森且行さん、V6の長野博さん、萩原聖人さんが同級生。もう一つの中学に行く感覚で楽しかったです。その後、映画『バタアシ金魚』に出て、こんな面倒な仕事はもう絶対にやらないと思った。待ち時間の長さに、この俺を待たせやがって!みたいな(笑)。でも親がどんどんオーディションを振ってくる。僕もあまのじゃくで負けず嫌いだから、オーディションで勝手な芝居をすると、逆にそれがウケて、また受かったりして」
──俳優でいくと決めたのは?
「18歳くらいです。もう本当にやりたくないと泣いて親子げんかして(笑)、それでもやらなきゃいけないと諭された。僕、すごいバカで、高校中退してフラフラしながらパンクバンドをやっていたので。親からしたら心配ですよね。こいつが食えるようになるのは俳優しかないだろうって。今はとても感謝しています。その頃はおばあちゃんが生きていて、『あんたが音楽好きなのはわかってる。音楽は俳優やりながらできるでしょ』と言ってくれた。自分を理解してくれる人がいることが大きくて、意志が固まったわけです」
──仕事の上でのターニングポイントはいつでしたか。
「相米慎二監督の映画『風花』に出たとき。いまだに引きずっているくらい大きな体験でした。一般的な現場は段取りが先で、カメラのアングルや監督のやりたいことが優先になる。でも僕ら俳優は自由に役を膨らませる時間が欲しい。その点、相米監督は僕の理想の撮影方法だったんです。現場でまず俳優がリハーサルをして、それをスタッフが見守る。面白いことが見つかるまで時間をかけて入念にリハーサルを繰り返し、その上で完成したものを撮影する。俳優やスタッフに対してとても愛のある監督で。一生自分の中に残る正しいものを教えてもらったと感謝しています」
──現場では、俺はこうやりたいんだと主張するタイプですか。
「そこも両極端。言うときは、なんでちゃんと撮影しないんだ! もう帰りたい!ってなっちゃう(笑)。前にそういうことがあって『面白くない!』と言ってしまった。本当は『こうしてやったほうが気持ちいいですよ』って穏やかに言えればいいんだけど。反省しています(笑)」
──でも正直に言える人がいないと、良い作品はできないですよね。
「ほんと、映画やドラマって現場が和気あいあいと楽しいからうまくいくわけじゃない。地獄のような撮影であの監督とは二度とやりたくないと思っても、めちゃくちゃ面白くてヒットすることがあります。結局、本気で向き合うかどうか。現場で俳優とスタッフがモニターにかぶりついて、これ面白い!と思える、そんな一日を過ごせたら。たとえ殴り合いのけんかをしたとしても、撮れたものが良ければいいわけで」
──SNSを拝見していると、イラストやショートフィルム、ポートレートと多才ぶりを発揮されていて、フットワークの軽さに驚きます。
「ミーハーだから、アイデアが生まれたら何でもやりたくなる。映像は自撮りで、ストーリーも考えます。自分のなかでルールがあって、撮影、ナレーション、編集すべてを30分以内に終わらせる。仕事じゃないから、こだわりすぎてもね。納得いかないショットでも、つなげればなんとかなるんですよ」
──生まれ変わっても俳優になりたいですか。
「絶対に嫌ですね(即答)。次はミュージシャンと決めてる!」
──でも今、ミュージシャンで売れるのは俳優より大変では?
「売れなくてもいい。俳優なんて、こんなきつい仕事ないですよ。二度と俳優をやらないために、いま存分に楽しんでるんです。生まれ変わったとき、前世がちゃんとやってくれたから、もう俳優やらなくていいんだ!ってなるように。だって下痢の日にロケ行って、ろくなトイレがないと地獄ですよ。それでご飯を我慢したり」
──ミュージシャンだって体調が悪くても歌うのでは?
「そうだよなぁ。絵描きでもいいか! 先生と言われながら家で描く!」
Photo:Masato Moriyama
Hair & Makeup:Hayato Toyama
Interview & Text:Maki Miura
Edit:Saori Asaka