誰かの妻としてしか記録されていない女性、歴史の影で名前さえ残らなかった人々──。そんな「影の存在」に光を当てて描いた映画作品を、3人の映画ライターがピックアップ。語られてこなかった側からの物語が立ち上がるとき、世界の見え方も変わるはず。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2026年5月号掲載)
【プロフィール】
森直人
映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)ほか。YouTube『活弁シネマ俱楽部』MC担当中。
児玉美月
映画評論家。映画を中心に、さまざまな媒体に寄稿。近著に北村匡平との共著『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』(フィルムアート社)。
月永理絵
ライター、編集者。映画評や映画関連のインタビュー記事を執筆。著書に『酔わせる映画 ヴァカンスの朝はシードルで始まる』(春陽堂書店)。
1.『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』

シンデレラの義姉妹は敵だったのか?
誰もが知るおとぎ話である「シンデレラ」。そこでは、継母と義姉妹たちにいじめられる可哀想なシンデレラが、やがて王子様に見初められて幸せになる物語が語られていた。しかし『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』ではシンデレラではなく、その義姉妹の視点から、別の側面に光が当てられていく。主人公のエルヴィラは、母の再婚相手の屋敷へと引っ越すが、すぐに新しい父は死去してしまう。
母からも圧力をかけられ、エルヴィラは王子様との結婚のために麻酔なしの美容整形や無理なダイエットに挑み、次第にエスカレートしていく……。この映画は、敵対関係と見なされていたシンデレラと義姉妹に、実は同じ社会的構造のもとで生きざるを得なかった女性として、新たに息を吹き込む。「シンデレラ」という童話が現代において持つ意味が、鋭く探求されている。(児玉)
2.『ブルームーン』

「じゃないほう」の孤独と渇望
“光と影”の後者──「じゃないほう」の天才こそ、名コンビ“ロジャース&ハート”の片割れとして語られがちだった作詞家ロレンツ・ハートだ。名曲「ブルームーン」などを生んだ彼は48歳で夜の帳へと沈んでいる。舞台は1943年3月31日、ブロードウェイ近くの名店サーディーズ。本作でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたイーサン・ホークは大胆な役作りで、才気と脆さ、孤独と渇望が同居する彼の一日を哀歓とともに立ち上げる。
アメリカ音楽史の周縁に追いやられた声を中心へと引き戻す試み。誰が歴史の主役として記憶され、誰が語られずに消えていくのか──映画はその問いを静かに投げかける。 監督はリチャード・リンクレイター。劇中にはのちに名監督となる若き無名時代のジョージ・ロイ・ヒルも姿を見せ、時代の息遣いをそっと添えている。(森)
3.『タンゴの後で』

“名作”の裏に隠された悲痛な叫び
イタリアの名匠ベルナルド・ベルトルッチの代表作『ラストタンゴ・イン・パリ』で、脚本にはなかった性描写の撮影を強行されたとして、出演した当時19歳だった俳優マリア・シュナイダーが告発した。同作が制作されたのは1972年だったが、シュナイダーのその訴えは、ハリウッドの大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインによる性暴力およびハラスメントが明るみになって活況を呈した2017年の#MeToo運動を経るまで、十分に聞き取られていたとは言い難い。
『タンゴの後で』は、シュナイダーの視点から、映画撮影の現場で起きてしまった俳優の尊厳を踏みにじる行為の裏側を暴き出していく。映画という“芸術”の名の下に、誰の声が掻き消されてきてしまったのか……。そこにある支配と権力の問題は、映画界に限らず、今あらゆる領域で再考を迫られている。(児玉)
4.『1975年のケルン・コンサート』

伝説の舞台を作った少女の冒険
1975年1月、ドイツのケルンで行われたキース・ジャレットによるピアノソロの即興演奏。体調不良やピアノの不具合など最悪のコンディションながら披露された演奏は見事なもので、録音された音源はベストセラーを記録し、ケルン・コンサートは音楽史に残る伝説となった。実はその裏には、無名の少女の存在があった。ひょんなきっかけから、ミュージシャンのツアーブッキングを始めた高校生のヴェラ。
抑圧的な父親に反抗し、はちゃめちゃなやり方で次々にイベントを成功させた彼女は、ついにキースを招聘しコンサートを企画するが、当日、数々のアクシデントが彼女に降りかかる。伝説の舞台裏に隠された、ひとりの少女の無謀な冒険の物語。家父長制に抵抗し、リスクを顧みずあらゆることに挑戦する彼女の、その後の人生にも思いを馳せたくなる。(月永)
5.『天才作家の妻 -40年目の真実-』

女性の創造性を取り戻す
創作のクレジットを不当に与えられず、歴史の表舞台に立てなかった“書く女性”たち。ノーベル賞の光が降りそそぐストックホルムで、長く封じられてきたひとりの女性の沈黙が軋みを上げる。グレン・クローズ演じるジョーンは、40年にわたり夫ジョゼフの文豪の名声を陰で支えてきた“影の作家”。若き日に自らの才能を閉ざした痛みと、積み重ねた妥協の層がゆっくりと剝がれ落ちていく。
ジョゼフは受賞スピーチで彼女を「私のミューズ」と称えるが、ジョーンは決して従属物ではない。これはフィクションだが、夫の影に創作を隠されたメアリー・シェリーを描く『メアリーの総て』や、『ハムネット』が照らし返したシェイクスピアの妻アンの姿とも深く響き合う。映画は抑圧の構造を暴き、長く奪われてきた女性の創造性を取り戻す静かな反逆の物語として輝く。(森)
6.『トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして』

新たな視点から歴史を語り直す重要性
長い歴史を誇るハリウッドで作られた数々の名作たち。その膨大な作品群のなかで、ではトランスジェンダーの存在はどのように描かれてきたのか。『サイコ』や『羊たちの沈黙』といった有名な映画から『セックス・アンド・ザ・シティ』のような人気のテレビドラマまで、さまざまな場面を引用しながらトランスジェンダー表象のありかたを検証するドキュメンタリー。
女装をした男性が「精神異常の犯罪者」として描かれたり、トランスであることが「笑いのオチ」として使われたり。実際の場面紹介と当事者たちへのインタビューを通して歴史を振り返ることで、自分がこれまで当たり前のように見てきた映画やテレビの物語が、いかに偏見と差別に満ちたものであったかに気づかされる。新たな視点から歴史を読み直すことの重要性がよくわかる、必見の一本。(月永)
Text:Naoto Mori, Mizuki Kodama, Rie Tsukinaga Edit:Mariko Kimbara
