『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』で話題の翻訳家・文芸評論家 鴻巣友季子「本質を炙り出す翻訳の力 」 | Numero TOKYO
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『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』で話題の翻訳家・文芸評論家 鴻巣友季子「本質を炙り出す翻訳の力 」

翻訳家、文芸評論家として長年にわたり世界文学の動向を観察、批評してきた鴻巣友季子が著した『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』が話題だ。あらためて鴻巣に聞く、翻訳文学が持つ独自の力や、その役割とは。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2026年5月号掲載)

王谷晶著、サム・ベット訳『ババガヤの夜』が世界最高峰のミステリー文学賞の一つである、ダガー賞翻訳部門を受賞、柚木麻子著、ポリー・バートン訳『BUTTER』が全世界累計150万部の大ヒット。村上春樹以後の、英米の日本文学ブームの変遷と刷新される翻訳文学について、国内外の文学シーンを長年観測する翻訳家・鴻巣友季子が『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』(早川書房)で解説する。Photo:Shuichi Yamakawa
王谷晶著、サム・ベット訳『ババガヤの夜』が世界最高峰のミステリー文学賞の一つである、ダガー賞翻訳部門を受賞、柚木麻子著、ポリー・バートン訳『BUTTER』が全世界累計150万部の大ヒット。村上春樹以後の、英米の日本文学ブームの変遷と刷新される翻訳文学について、国内外の文学シーンを長年観測する翻訳家・鴻巣友季子が『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』(早川書房)で解説する。Photo:Shuichi Yamakawa

──『なぜ日本文学は英米で人気があるのか』から、翻訳文学のパワーを感じました。鴻巣さんは、物語における翻訳の役割をどう考えますか。

「翻訳とは、原作の物語に対して『遅れてきた者(レイトカマー)』です。訳されるのは早くても1~2年後、下手したら作者の死後に訳されることもあります。ですが、翻訳本が世に出るときには新刊として扱われるため、どうしたって誤差が生じる。抜け落ちてしまうこともあれば、100年後だからわかることもあるかもしれません。これまで、翻訳文学は二次創作であり、読者は理解者として一段下という学術界の見解がありましたが、ゲーテが『他国の人々のほうが時として作品をよく読み得る』と提言したように、翻訳文学の価値が見直され、独創性や芸術性が英米でも認められるようになりました。私としては、その国の言語圏で表現し得なかった社会の捉え方や概念を、翻訳文学を通じて代弁する働きがあるのではないかと思っています」

──書籍では、翻訳の批評性についても触れられていました。

「誰のどの作品をどういうふうにお客さんに見せるのか、美術館におけるキュレーターのように、翻訳も作家と翻訳家が共同して街並みを作る作業だと思っているので、必然的に作品を読み解く力が求められます。なぜなら、翻訳する際にただ同じ意味の言葉に置き換えるわけではなく、翻訳家自身の解釈が介在するからです。“役者”が与えられた台本を読み解いて、肉体を通じて表現するように、“訳者”もまた、テキストの一言一句全てを体験して、自分の身体を通じて言葉を生み出さなければいけないんです」

──書籍では、出版界におけるフェミニズムの波や独立系出版社の台頭について書かれていましたが、期待する翻訳業界の変化はありますか。

「しばらく前まで、作家も翻訳家も男性が優位でした。特に、名作を任されるのは男性ばかり。映画界でも、英国を代表する女性作家エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』が過去10回くらい映画化されてきた中で21世紀に入ってようやく女性監督によって撮られたように、女性作家の作品でも女性の声として運ばれてこなかったんです。ですが、編集長など責任あるポジションに女性が増えてきたことで自ずと女性の翻訳家が起用され、弱者の声を届けられるように。ノーベル賞をさらっていくのも小さな出版社ばかりで、権威主義的な翻訳業界の図式が崩れつつあります」

物語とは、死なないふりをして生きるための手段

──そうした変化を感じられる、良質な物語でおすすめはありますか。

「新しい風として注目している作品は、黒人文学を牽引するパーシヴァル・エヴェレット著『赤く染まる木々』(上野元美訳)。米国のインディーシーンで書いてきた作者は、英国の独立系小出版社に見出されたことでブッカー賞の最終候補になるという快進撃を見せています。翻訳家で選ぶなら、宮﨑真紀さんはサマンタ・シュウェブリン著『救出の距離』、マリアーナ・エンリケス著『寝煙草の危険』など話題のスパニッシュホラーを続々と訳している。ジョゼ・ルイス・ペイショット著『ガルヴェイアスの犬』で日本翻訳大賞を受賞した、ポルトガル語翻訳家の木下眞穂さんも大変な慧眼ですね。彼女が訳したものは必ずチェックしています」

──鴻巣さんが考える、翻訳文学が持つ「物語の力」とは。

「翻訳文学に限りませんが、物語とは死なないふりをして生きるための手段だと思っています。動物は、生命の危機の先にある死というものをわかっています。だからこそ、危険を察知する能力に優れていたり、仲間が死んだら悲しんだりする。だけれど、人間だけは、いつか死ぬかもしれないという命の有限性を理解して、それを概念化して、あれこれ考えながら生きている。必ず訪れる“死”にどうして耐えられるのかといったら、やっぱり物語の力なんですよね。

小説や映画、演劇といった物語は、始まって閉じる人間の営みの“代替物”のようなもので、物語に触れることで自分の死を見つめるまなざしが生まれます。そして、自分たちが生きた証しがいずれ刻印されることを知る。そうやって自分たちの似姿を見たり作ったりすることは、生きることへの惜別の念であり、癒やしの行為なのかもしれません。私にとって物語の力というのは“よりよく生きる”に直結しています」

──物語が翻訳されることで、「価値観や歴史観が衝突し、擦り合わされる」という本書の言葉と“よりよく生きる”が結びつきました。

「翻訳は言語の架け橋といわれますが、他言語がぶつかり合う場でもあります。外からの声だからこそ物事の本質を鋭く描いていて、そこには自国にはない考えや社会通念が書かれていることがあります。読者は自分の中にある常識と擦り合わせながら読むことで、あらためて気づくこともあるはずです。昨今、英米では若い世代が慣れ親しんでいないものを知ろうとする傾向があり、翻訳文学がブームに。日本も翻訳文学の多様性が広がっているので、違和感もともに楽しんで読んでもらいたいです」

Interview & Text:Yoko Hasada Edit:Mariko Kimbara

Profile

鴻巣友季子 Yukiko Konosu 芸評論家。エミリー・ブロンテ『嵐が丘』(新潮社)といった古典新訳から、マーガレット・アトウッド『誓願』(早川書房)など現代の重要作まで幅広く翻訳を手がける。同時に『小説、この小さきもの』(朝日新聞出版)といった文芸評論や翻訳評論も数多く執筆。
 

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